思考と行動における言語

著者 :
制作 : 大久保 忠利 
  • 岩波書店
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本棚登録 : 435
レビュー : 23
  • Amazon.co.jp ・本 (365ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784000009775

感想・レビュー・書評

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  • "言葉"が人間にもたらす認識作用についてわかりやすく説明しています。言葉の基本形である叙述文には報告・推論・断定の3つの種類があること。報告は事実を、断定は語り手の判断を述べていること。断定の文は語り手の主観に依存しており、一概に聞き手は肯定してはいけないこと。言葉には事実を伝達する機能と感情を上乗せする機能があること。言葉は必ず具象物の属性を捨象し抽象化されていること。適切な抽象度で対話しないと議論の本質を見誤ること。抽象観念の印象を具象物にそのまま投影するのは偏見を生むこと。などについて例え話を交えて説明しています。自分が言葉について薄々思っていたことも明快に書かれており、頭の整理になりました。大変勉強になりました。

  • 意味論に関する知識は全くなく、入門書として読んだ。
    報告・推論・断定の区別、地図と現地の関係、外在的・内在的、抽象の過程…
    個人と個人から広く国際レベルまで、無益な衝突・誤解を防いでコミュニケーションを円滑にするための原理がいっぱい!

  • 事実よりも記号が優先されがち。  ex. ベンツに乗っている人は、裕福に違いない。
    記号を支配するための第1法則。
    記号は物そのものではない。
    コトバは物ではない。
    コトバの意味はコトバの中にあるのではない。意味は我々の内にある。
    地図は現地そのものではない。
    外在的世界=報告によって受け取る世界
    報告は、実証可能でなければならない。
    できるだけ推論と断定を排除しなければならない
    言語的世界と外在的世界=地図と現地  
    言語で外在的世界と何の関係もない「地図」を作ることができる
    ex.突然事故に会わないようにウサギの足を持って歩く、ホテルの13階に泊まろうとしない
    アヤマリの地図が頭に入るのは、人から与えられるか、自分で読み違えるかのいずれか

    抽象のハシゴ
    優れた小説家や詩人の作品は、より高いレベルと低いレベルの抽象感の相互作用を常に現している。その主張が人生への洞察を与える高いレベルの一般的な有用さを持つ人だが、かれは自分の能力で実際の社会的状況や心理状態を観察し描写して、その一般化に効果と説得性を持たせる。

    抽象のハシゴ(ウェンデル・ジョンソン)
    抽象のレベルの混同 ex. 自転車とケンカ
    「その人の話がなかなか理解できない」と言う状況の多くは、「彼の語る内容の抽象化レベルが、”低すぎるか”反対に、”高すぎるか”による事を知り大いに頷きました。
    抽象化のレベルが高すぎると、
「赤という語はどんな意味だ?」
「それは色だよ」
「色って何だ?」
「それは物の一つの性質さ」
「性質って何だ?」
という展開になり、質問を発している方から見たら、答えは五里霧中です。抽象化のレベルを下げると
「赤という語はどんな意味だ?」
「交差点で自動車が止まっている時に前方の信号灯を見たまえ。消防署に行って消防自動車がどんな具合に塗ってあるか見ても良い」
という展開になります。

    語と記号の神秘的関連 必然的な関連 ex. ガラガラ蛇
    思考の中の幼児性を回避するには、語とそれが代表する物との間に関して必然的な関連はないということを深く知ること。

    報告から推論に断定に そしてレベルの混同に。
    メアリーはこの前の土曜日の夜、2時まで戻って来なかった(報告)
    彼女は遊び回っていたのだ(推論)
    彼女は遊び人だ。顔つきも虫が好かない。初めて見た時から分かっていた(断定)
    こうした性急な抽象的判断による他の人への反応により、我々は他の人の生活を悲惨にするばかりでなく、自分自身の生活も惨めなものにしていることが多い。「私は3回失敗した」→「私は失敗者だ!」

    二価的考え方VS多価的考え方
    指令的叙述と情報的叙述とを区別せよ。

    報告から推論に断定に、そして抽象レベルの混同に。メアリーはこの前の土曜日の夜、2時まで戻って来なかった(報告)彼女は遊び回っていたのだ(推論)彼女は遊び人だ。顔つきも虫が好かない。初めて見た時から分かっていた(断定)こうした性急な抽象的判断による他の人への反応により、我々は他の人の生活を悲惨にするばかりでなく、自分自身の生活も惨めなものにしていることが多い。「私は3回失敗した」→「私は失敗者だ!」。二価的になる自分を避ける。通達的事象を話し手と話の内容に分ける。信念体系と不信体系(ミルトン・ロキーチ)。不信体系についての情報に対して心を開くということが、開かれた心を持つということ。我々が他の人々の判断により、そして我々が彼らの断定を信じることにより、我々を不当に影響させる事実こそが、我々が劣等感を、罪悪感を、不安定を感じる最も一般的な理由の一つである。報告にいかなる断定も下さない。反応の延滞反射機構を持つこと。慣習的に達した態度と外在的に達した態度とを区別すること。慣習的態度に含まれた広い評価錯誤の原因は、その中に高いレベルの抽象における一般化が含まれていることである。

  • Azabu

  • 言語を使って生活をしたり、言語を使って色々考えたりするので、言語ってたしかに僕にとっても重要なテーマかもしれない。文学についての話で、著者がたしか言っていたと思うけど、文学や表現を通じて他人の人生を生きてる感覚は分かる気がする。

  • 思いついてみたことを書いてみた本。NLP(エセ心理学ほう)の人が影響を受けてるのでその文脈で語られる。本はありのような、なしのような、と。

  • 本書は修士課程に入った頃読んで非常に刺激的だった一冊で,私がそれまでぼんやりと考えていたことを明確に理解させてくれると同時に,その後の私の研究の方向性を示してくれた。
    私の研究はそれから多方面に及んでいるような気もするが,本書を読み返すと発想の源泉は20年前と変わっていないようにも感じる。

    第一部 言語の機能
     意味論的寓話――赤目と女の問題
     1 言語と生存
     2 記号
     3 報告,推論,断定
     4 文脈
     5 言語の二重の仕事
     6 社会的結びつきの言語
     7 社会的制御の言語
     8 感化的コミュニケーションの言語
     9 芸術と緊張
    第二部 言語と思考
     第二の意味論的寓話――A町とB市の物語
     10 われわれはどうやって知るか
     11 居なかった小人
     12 分類
     13 二値的考え方
     14 多値的考え方
     15 詩と広告
     16 ジューク・ボックスの中の10セント銀貨
     17 ネズミと人間
     18 内の秩序と外の秩序

    今私が考えているのは,地理空間の認知の問題である。単に空間認知というと,実験に依拠する心理学では,目の前の机上空間だけでことが済んでしまうことがあるが,地理学者の場合はそうではない。実際に自分が身体を移動して覚える「土地勘」のようなものから,世界地図で国の名前や位置を覚えるようなことまでを含む。まさに,身体経験に基づくものから世界地図までを対象にする地理学はそのミクロからマクロまでのスケールの大小が問題となり,地理学者なるものは大小を連続的に認識できなければならないわけだが,一般の人々,そして成長する子どもたちがそうした能力をいかに獲得していくのか,あるいは成人しても獲得しないのか,というところがもっぱら気になるところ。
    経験に基づくボトムアップ的な知識と地図というメディアによるトップダウン的な知識,それは本書の表題の行動と思考に対応するし,その際に言語の果たす役割は大きいと思う。ということで,今の私の思考にもってこいの本。また,本書は「言葉は物ではない」という主張を繰り返すが,その際に用いられる比喩表現が「地図と現地」である。つまり,物が現地だとすれば,言葉は地図であり,地図は現地の情報から得られたものだが,現地そのものではない。というところも,言葉の問題を地理の問題に準えて考えやすい。
    読み直してみると,やはりくどいというか,あまりにも単純化しているという感覚が否めない箇所も少なくないが,それはある意味では非常に大胆で,そして初学者に分かりやすいという側面もある。また,今読み直したからこそよく理解できることも多かった。最近ようやく私もエスニシティについて考えることが多くなったが,本書で登場するユダヤ人のたとえ話や,また日系人である著者自身の話も非常に興味深い。また,著者がヨーロッパ大陸ではなく北米の研究者であることもあり,本書が広い意味でのプラグマティズム的であることも,やはり同時代のマクルーハンやケネス・バーク,ブーアスティンなどの著作家と共通する特徴かもしれない。

  • ことばに関心のある私としては良書でした。
    推論することは悪いことではないが自分が話していることが推論なのか否かは分からなければならない。といったことが書かれていてその通りだなと。実際、普段の会話で「あの人、~してそう」みたいなやり取りはおもしろいことが多いから推論は使われてよいものだとは思うけれど議論の場等ではふさわしくないなと。マスメディアから情報を受けとる聞き手としても注意したいところ。
    文脈が大事ってのは今でいうと芸能人のテレビでのちょっと過激な発言が一部切り取られてネットニュースになって荒れるみたいなことやな。芸能人側は文脈重視してるから気にしてないやろうけど聞き手の力量が下がる恐れはありますね。
    「文学は感情の最も正確な表現であり、科学はほうこくのなかでもっとも正確な報告である。」一つの文学の答えでもあるなーと。生活を生きていく上において感ずる、例えば自分こそ世界でこのような恋をした最初の人間であるというような、独特な感情を創造するものであると。そして作者の表現したいそのままの感情を読み手の心に再現させるために一冊の本になるほどの膨大なフィクションが作られるんだなーと。
    アリストテレスがカタルシスと呼んだものであり、発言のもっとも重要な機能の一つは緊張の緩和であるとのこと。
    芸術の目標が秩序づけの結果読者の自己整頓を若干進展させることってのはなかなかいい定義づけだと思う。自分がなんとなく感じていた感覚を説明してくれるハヤカワさん何者なんだ…!
    第二部
    抽象のはしごおもしろい。語の意味を説明するときには常にはしごをより低いレベルの抽象に下らないといけないのね。そして定義は外在的に。ex.料理本
    多値的な考え方はコミュニケーションに必要なものよね。これができるかできんかで人生の方向性に大きく影響が出ますわ。
    知的に成熟した人は人生で唯一の保証とは内部から来る動的な保証すなわち、精神の無限の柔軟さから来る保証だと知っている。柔軟さってやっぱ大切やな。

  • 言葉でものごとを考えるのであれば、よりよく考えるために言葉について知りたい。さて言葉とはなんだろうかという興味で読んだ本。

    ・情報的内包
    ・感化的内包
    ・抽象のハシゴ
    このあたりが自分にとっては新鮮だった。

    言葉1は言葉2である。

  • 中小企業診断士の勉強の一環で読みした。

    内容が 全て理解出来て、負に落ちた訳ではありませんが、役に立つ内容でした。

    日常生活から意識して行きたいと
    思います。

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