思考と行動における言語〔原書第4版〕

  • 岩波書店 (1951年12月20日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (400ページ) / ISBN・EAN: 9784000009775

みんなの感想まとめ

言葉の持つ力やその認識作用について深く考察した一冊です。言葉には事実を伝える機能と感情を加える機能があり、叙述文の種類を理解することで、コミュニケーションの本質を見極める手助けとなります。特に報告・推...

感想・レビュー・書評

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  •  何度も読み直してもいい本‼️ 「辞書」の役割、言葉の意味と文脈(文脈の重要性)、抽象の役割と具体性、言葉の感化的影響力、レッテル張りと現実無視、などコミュニケーションするときや、考えるときに狂った世界に行かないようにしてくれるように思う。
     特に、「親は親だ」のような「AはAだ」には注意が必要。「A1はA2ではない」(A1は目の前の現実、A2は頭の中のイメージで自分の理想)。言わばレッテル張りだ。
     全部を理解できなくても、また実践できなくても、最低限、「抽象のハシゴ」を身につけられれば、コミュニケーションの道に迷うことが少なくなりそう。

  • 『思考と行動における言語』は、1941年の初版以来、アメリカにおける一般意味論運動の金字塔として、言語学や心理学、コミュニケーション学の分野に多大な影響を与えてきた名著です。

    著者のS.I.ハヤカワは日系カナダ人として、時に偏見や差別に直面しながらも、言語学者としての深い洞察力でアメリカの言語教育に大きな足跡を残しました。後にサンフランシスコ州立大学の学長も務めたハヤカワの本書は、今なおアメリカの大学で広く読み継がれ、コミュニケーション教育の古典として確固たる地位を築いています。

    本書の中核を成すのは、「抽象化のはしご」という概念と、「地図と領土」という印象的な比喩を通じた考察です。

    「地図と領土」の議論は、ホルヘ・ルイス・ボルヘスが『学問の厳密さについて』で描いた、帝国の地図製作者たちの寓話を彷彿とさせます。

    ボルヘスの寓話では、正確さを追求するあまり、帝国と同じ大きさの地図を作ろうとする愚かさが描かれますが、ハヤカワもまた、言葉という「地図」が現実という「領土」を完全に表現できると考えることの危うさを指摘します。地図がいくら精密に作られていても、それは決して実際の領土そのものではありません。

    同様に、私たちが使う言葉も、現実そのものではなく、現実の一つの切り取り方に過ぎないのです。

    たとえば、「この料理は美味しい」という言葉は、実際の味覚体験の豊かさのどれほどを捉えているでしょうか。あるいは、ニュースで使われる「景気が回復した」という表現は、複雑な経済現象のどれだけを正確に描写できているのでしょうか。ハヤカワとボルヘス、この二人の20世紀の思想家は、それぞれの方法で、言語という「地図」を絶対視することの危険性を私たちに警告しているのです。

    ハヤカワは、このような身近な例を重ねながら、私たちが言葉という「地図」に騙されないよう、そして「地図」と「領土」を混同しないよう、実践的な方法を示していきます。

    この視点は、例えば「成功者」「勝ち組」といったラベリングや、SNSでの単純化された議論、さらにはフェイクニュースの問題まで、現代社会の様々な課題を考える上で、驚くほど有効な思考の道具となってくれるはずです。マイノリティとしての経験を持つハヤカワだからこそ示せた、言葉の持つ暴力性や危険性への警鐘は、現代においてより一層重要な意味を持っています。

  • 一度では理解しきれず、何度も読んだ一冊。

  • "言葉"が人間にもたらす認識作用についてわかりやすく説明しています。言葉の基本形である叙述文には報告・推論・断定の3つの種類があること。報告は事実を、断定は語り手の判断を述べていること。断定の文は語り手の主観に依存しており、一概に聞き手は肯定してはいけないこと。言葉には事実を伝達する機能と感情を上乗せする機能があること。言葉は必ず具象物の属性を捨象し抽象化されていること。適切な抽象度で対話しないと議論の本質を見誤ること。抽象観念の印象を具象物にそのまま投影するのは偏見を生むこと。などについて例え話を交えて説明しています。自分が言葉について薄々思っていたことも明快に書かれており、頭の整理になりました。大変勉強になりました。

  • 意味論に関する知識は全くなく、入門書として読んだ。
    報告・推論・断定の区別、地図と現地の関係、外在的・内在的、抽象の過程…
    個人と個人から広く国際レベルまで、無益な衝突・誤解を防いでコミュニケーションを円滑にするための原理がいっぱい!

  • 連休中に野尻湖の湖畔で静かに読んだ一冊です。

    良書だと思う。
    人生の中で、一度は読んでおきたい一冊。

    言語学の本です。
    まったくの門外漢ですが、彼の理論はたぶん言語=記号という大前提から成り立っています。

    人間が他のイキモノと大きく異なるのは
    言葉を通して、互いの「調整」が取れる社会的イキモノであること。

    そしてコトバとは何かを抽象化して、分類して表すための「記号」

    ということは、その「何か」を完璧にアラワスことアタワズ
    記号であらわした「地図」はセカイそのものにアラズ

    そんな前提において、コトバって何だ。
    ヒトってコトバでどう考えて動いて、互いに影響しあうのだ?
    という疑問について、ある意味エッセー調に彼の理論を展開していきます。

    日本みたいなハイコンテキスト社会にいると、あまり言語そのものについて考えることは少ないのでしょう。
    コトバにしなくても伝えるモノがある、という前提だから。
    そういった面でも新鮮だし、コトバそのものについてよく考える今日この頃なので
    特に興味深く読めました〜

    お勧めの一冊です。

    ヒトリになってもコトバは残る
    ボクと語るのだから
    だからこの一冊を無人島に持っていくかも知れない

  • 事実よりも記号が優先されがち。  ex. ベンツに乗っている人は、裕福に違いない。
    記号を支配するための第1法則。
    記号は物そのものではない。
    コトバは物ではない。
    コトバの意味はコトバの中にあるのではない。意味は我々の内にある。
    地図は現地そのものではない。
    外在的世界=報告によって受け取る世界
    報告は、実証可能でなければならない。
    できるだけ推論と断定を排除しなければならない
    言語的世界と外在的世界=地図と現地  
    言語で外在的世界と何の関係もない「地図」を作ることができる
    ex.突然事故に会わないようにウサギの足を持って歩く、ホテルの13階に泊まろうとしない
    アヤマリの地図が頭に入るのは、人から与えられるか、自分で読み違えるかのいずれか

    抽象のハシゴ
    優れた小説家や詩人の作品は、より高いレベルと低いレベルの抽象感の相互作用を常に現している。その主張が人生への洞察を与える高いレベルの一般的な有用さを持つ人だが、かれは自分の能力で実際の社会的状況や心理状態を観察し描写して、その一般化に効果と説得性を持たせる。

    抽象のハシゴ(ウェンデル・ジョンソン)
    抽象のレベルの混同 ex. 自転車とケンカ
    「その人の話がなかなか理解できない」と言う状況の多くは、「彼の語る内容の抽象化レベルが、”低すぎるか”反対に、”高すぎるか”による事を知り大いに頷きました。
    抽象化のレベルが高すぎると、
「赤という語はどんな意味だ?」
「それは色だよ」
「色って何だ?」
「それは物の一つの性質さ」
「性質って何だ?」
という展開になり、質問を発している方から見たら、答えは五里霧中です。抽象化のレベルを下げると
「赤という語はどんな意味だ?」
「交差点で自動車が止まっている時に前方の信号灯を見たまえ。消防署に行って消防自動車がどんな具合に塗ってあるか見ても良い」
という展開になります。

    語と記号の神秘的関連 必然的な関連 ex. ガラガラ蛇
    思考の中の幼児性を回避するには、語とそれが代表する物との間に関して必然的な関連はないということを深く知ること。

    報告から推論に断定に そしてレベルの混同に。
    メアリーはこの前の土曜日の夜、2時まで戻って来なかった(報告)
    彼女は遊び回っていたのだ(推論)
    彼女は遊び人だ。顔つきも虫が好かない。初めて見た時から分かっていた(断定)
    こうした性急な抽象的判断による他の人への反応により、我々は他の人の生活を悲惨にするばかりでなく、自分自身の生活も惨めなものにしていることが多い。「私は3回失敗した」→「私は失敗者だ!」

    二価的考え方VS多価的考え方
    指令的叙述と情報的叙述とを区別せよ。

    報告から推論に断定に、そして抽象レベルの混同に。メアリーはこの前の土曜日の夜、2時まで戻って来なかった(報告)彼女は遊び回っていたのだ(推論)彼女は遊び人だ。顔つきも虫が好かない。初めて見た時から分かっていた(断定)こうした性急な抽象的判断による他の人への反応により、我々は他の人の生活を悲惨にするばかりでなく、自分自身の生活も惨めなものにしていることが多い。「私は3回失敗した」→「私は失敗者だ!」。二価的になる自分を避ける。通達的事象を話し手と話の内容に分ける。信念体系と不信体系(ミルトン・ロキーチ)。不信体系についての情報に対して心を開くということが、開かれた心を持つということ。我々が他の人々の判断により、そして我々が彼らの断定を信じることにより、我々を不当に影響させる事実こそが、我々が劣等感を、罪悪感を、不安定を感じる最も一般的な理由の一つである。報告にいかなる断定も下さない。反応の延滞反射機構を持つこと。慣習的に達した態度と外在的に達した態度とを区別すること。慣習的態度に含まれた広い評価錯誤の原因は、その中に高いレベルの抽象における一般化が含まれていることである。

  • 『#思考と行動における言語』

    ほぼ日書評 Day633

    Day631に続き、半世紀、読み継がれる名著シリーズ。が、こちらは分量が凄まじい。350頁ほどながら、1行50文字、最近の同型本の1.4〜1.5倍の文字量、単純計算で500頁換算の大著である。

    それだけのボリュームがありながら、休日1日(実質半日ほど)を費やしたとはいえ、一気読み。現代でも、いや寧ろ、今のような時代だからこそ、興味深く読み通すことができた。

    内容は、あまりにも多岐にわたるため、読んでいただくしかないが、いつものように、幾つか興味を惹いたポイントを。

    言語的世界(verval world)かつ外在的(extensional)な世界との対比から、議論が開始される。外在…は、本来、内在的(intensional)と対比されるべきものなのだが、厳然としてそこにあるものと、言ってみただけ、とを対比するという発想も、なかなか面白い。

    その後、前半は、言葉や表現の仕方の定義に関する論述が続く中、非常に面白かったのが、次の内容。

    貧困者への「施し」を、彼らが失業等といった事態に陥る以前に果たした世間への貢献に対する「保険金」であると表現し、やたらに面倒な手続きを設けることで、出来るだけ「施し」を求める者を排除しようとする代わりに、保険料を払ったものが当然の権利として請求できる「保険金」と考える。この2種類のポジショニングは、同じことなのかどうか?

    後半は、より現実世界の出来事との関係性を強める方向に論が進む。

    人種や性別に関する差別的とされる表現の変遷。ニグロとされていた人たちを、ブラックと称することが好まれたが、これも今日では異なっている(「ユダヤ人」が、今日なおそのままなのは何故か?)。

    さらに、ナチスのニ値的思考法(「ナチ党員にあらざれば狂人もしくは愚者」「ハイルヒトラーの挨拶を進んで行わないものは裏切り者」というような考え方)や、共産党・マルクス主義者についても"レッテル貼り"(ブルジョワ的インチキというような)の危険性に言及。
    これらの例でピンと来ない向きには、憲法9条信者の言の方が例として相応しいかも知れない。例えば、災害時救援でも大きな役割を果たしている自衛隊が現行9条では違憲の恐れがあるから、それを明記すべしと言った瞬間に、9条を守れないものは好戦派、戦争をしたいと考えている…と決めつけるあれ、である。
    こうした発想法が、機械学習に取り込まれてしまうと恐ろしいことになるだろう。

    さらに、詩と広告に関する考察も、思考を広げてくれる。
    現代のコピーライターの仕事は、消費財を「詩化」することにある。広告は"スポンサー付きの詩"、従来の意味での「詩」は"スポンサー無しの詩"と呼称を改めるべきなのだ。そして、多数のスポンサー付き詩人が、膨大な数の作品を世に問うている中、スポンサー無しの(本来の)詩人達の作品は、難解の度を極めざるを得ないという。往年の名詩人のような詩を書いたなら、下手なコピーライター呼ばわりされることになるであろうからだ。これは詩に限らず、音楽や映像等の芸術においても、ほぼ同じことが言えるだろう。
    ところが、である。時代が降り、今日においては、ネット媒体の普及により、この区別が再び曖昧になりつつあるのが、また興味深い。

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  • 一般意味論の入門書。

    最近の本として、「ことばと思考 (岩波新書) (今井むつみ)」(2010/10/21)との併読を薦める。

    「サピア=ウォーフの仮説」(言語が違えば人間の思考パタンも違う)と、「普遍文法」(生成文法学派が提唱した「人間の脳に普遍的に備わる言語能力」)は、どちらがより妥当か。

  • ・反応を延滞し、「もう少し話してくれませんか」と言うことができ、反応する前に耳を傾ける。これが、この書が関心を持っている理論的原理の幾つかの実際的応用である
    ・悪い目的で語られる真実は、どんな嘘をも打ち負かす
    ・コトバではなく事実について考えれば、問題に新しい光が投げかけられる
    ・不健康な反応の徴候は、感受性が過敏で、すぐに心が傷つき、すぐに侮辱されたと腹を立てることである。未成熟な精神は、コトバを物と同一視し、不親切なコトバを不親切な行動と見なす
    ・精神科医やカウンセラーの助力のもっとも重要な一つの面は、かれらは決してわれわれにいかなる断定もくださない、という事実である。自分は「ただの」ガソリンスタンド従業員「にすぎない」ではなく「私はガソリンスタンドの従業員だ」
    ・大切なことは、どんな結論に達するにせよ、価値判断の対象である事物についてのわれわれ自身の外在的検討の結果であるということ
    ・本を読むこと―ワーズワースを読んだことのない人は、英国の湖のある地方について何かを見落としている、たとえその人が一生そこに住んでいようとも
    ・言語の使用の結果としてしばしば不一致と衝突が起こりまたは激化される場合には、話し手か聞き手かその両方かに何かミスがあるからなのだ

  • Azabu

  • 言語を使って生活をしたり、言語を使って色々考えたりするので、言語ってたしかに僕にとっても重要なテーマかもしれない。文学についての話で、著者がたしか言っていたと思うけど、文学や表現を通じて他人の人生を生きてる感覚は分かる気がする。

  • 思いついてみたことを書いてみた本。NLP(エセ心理学ほう)の人が影響を受けてるのでその文脈で語られる。本はありのような、なしのような、と。

  • 本書は修士課程に入った頃読んで非常に刺激的だった一冊で,私がそれまでぼんやりと考えていたことを明確に理解させてくれると同時に,その後の私の研究の方向性を示してくれた。
    私の研究はそれから多方面に及んでいるような気もするが,本書を読み返すと発想の源泉は20年前と変わっていないようにも感じる。

    第一部 言語の機能
     意味論的寓話――赤目と女の問題
     1 言語と生存
     2 記号
     3 報告,推論,断定
     4 文脈
     5 言語の二重の仕事
     6 社会的結びつきの言語
     7 社会的制御の言語
     8 感化的コミュニケーションの言語
     9 芸術と緊張
    第二部 言語と思考
     第二の意味論的寓話――A町とB市の物語
     10 われわれはどうやって知るか
     11 居なかった小人
     12 分類
     13 二値的考え方
     14 多値的考え方
     15 詩と広告
     16 ジューク・ボックスの中の10セント銀貨
     17 ネズミと人間
     18 内の秩序と外の秩序

    今私が考えているのは,地理空間の認知の問題である。単に空間認知というと,実験に依拠する心理学では,目の前の机上空間だけでことが済んでしまうことがあるが,地理学者の場合はそうではない。実際に自分が身体を移動して覚える「土地勘」のようなものから,世界地図で国の名前や位置を覚えるようなことまでを含む。まさに,身体経験に基づくものから世界地図までを対象にする地理学はそのミクロからマクロまでのスケールの大小が問題となり,地理学者なるものは大小を連続的に認識できなければならないわけだが,一般の人々,そして成長する子どもたちがそうした能力をいかに獲得していくのか,あるいは成人しても獲得しないのか,というところがもっぱら気になるところ。
    経験に基づくボトムアップ的な知識と地図というメディアによるトップダウン的な知識,それは本書の表題の行動と思考に対応するし,その際に言語の果たす役割は大きいと思う。ということで,今の私の思考にもってこいの本。また,本書は「言葉は物ではない」という主張を繰り返すが,その際に用いられる比喩表現が「地図と現地」である。つまり,物が現地だとすれば,言葉は地図であり,地図は現地の情報から得られたものだが,現地そのものではない。というところも,言葉の問題を地理の問題に準えて考えやすい。
    読み直してみると,やはりくどいというか,あまりにも単純化しているという感覚が否めない箇所も少なくないが,それはある意味では非常に大胆で,そして初学者に分かりやすいという側面もある。また,今読み直したからこそよく理解できることも多かった。最近ようやく私もエスニシティについて考えることが多くなったが,本書で登場するユダヤ人のたとえ話や,また日系人である著者自身の話も非常に興味深い。また,著者がヨーロッパ大陸ではなく北米の研究者であることもあり,本書が広い意味でのプラグマティズム的であることも,やはり同時代のマクルーハンやケネス・バーク,ブーアスティンなどの著作家と共通する特徴かもしれない。

  • ことばに関心のある私としては良書でした。
    推論することは悪いことではないが自分が話していることが推論なのか否かは分からなければならない。といったことが書かれていてその通りだなと。実際、普段の会話で「あの人、~してそう」みたいなやり取りはおもしろいことが多いから推論は使われてよいものだとは思うけれど議論の場等ではふさわしくないなと。マスメディアから情報を受けとる聞き手としても注意したいところ。
    文脈が大事ってのは今でいうと芸能人のテレビでのちょっと過激な発言が一部切り取られてネットニュースになって荒れるみたいなことやな。芸能人側は文脈重視してるから気にしてないやろうけど聞き手の力量が下がる恐れはありますね。
    「文学は感情の最も正確な表現であり、科学はほうこくのなかでもっとも正確な報告である。」一つの文学の答えでもあるなーと。生活を生きていく上において感ずる、例えば自分こそ世界でこのような恋をした最初の人間であるというような、独特な感情を創造するものであると。そして作者の表現したいそのままの感情を読み手の心に再現させるために一冊の本になるほどの膨大なフィクションが作られるんだなーと。
    アリストテレスがカタルシスと呼んだものであり、発言のもっとも重要な機能の一つは緊張の緩和であるとのこと。
    芸術の目標が秩序づけの結果読者の自己整頓を若干進展させることってのはなかなかいい定義づけだと思う。自分がなんとなく感じていた感覚を説明してくれるハヤカワさん何者なんだ…!
    第二部
    抽象のはしごおもしろい。語の意味を説明するときには常にはしごをより低いレベルの抽象に下らないといけないのね。そして定義は外在的に。ex.料理本
    多値的な考え方はコミュニケーションに必要なものよね。これができるかできんかで人生の方向性に大きく影響が出ますわ。
    知的に成熟した人は人生で唯一の保証とは内部から来る動的な保証すなわち、精神の無限の柔軟さから来る保証だと知っている。柔軟さってやっぱ大切やな。

  • 言葉でものごとを考えるのであれば、よりよく考えるために言葉について知りたい。さて言葉とはなんだろうかという興味で読んだ本。

    ・情報的内包
    ・感化的内包
    ・抽象のハシゴ
    このあたりが自分にとっては新鮮だった。

    言葉1は言葉2である。

  • 中小企業診断士の勉強の一環で読みした。

    内容が 全て理解出来て、負に落ちた訳ではありませんが、役に立つ内容でした。

    日常生活から意識して行きたいと
    思います。

  • 「市民に金を与えるのは救済に他ならない。救済は悪だ」「市民は市に何らかの貢献をする形で保険をかけている。市民は金をもらう権利がある」「救済は救済だ」「保険は保険だ」。この議論に終止符を打つには?抽象的な議論は無価値、という言語論の古典。

  • 協力が衝突よりも好ましい。・゜・(ノД`)・゜・。
    「協力が衝突よりも好ましい」苦しいことがあるたびに この言葉が僕の心の中に響き ます。
    ハヤカワ氏は言います p(^_^)q
    「全ての基本的な合意というものは(合意によって人間は円満に仲良く共存することを知るのだが)、それは実に気長な思考・話し合い・議論・説得から生まれるのだということである。結婚・法律・政府などの人間の諸制度は偶然に生ずるものではなく、社会的な発明なのだ。我々の生活に秩序を求める切実な要求に対応して工夫され発達してきた社会的発明なのだ。」
    言葉とそれを使う人間の本性・ あるべき 配慮について学び直そうという方にお勧めの良書です 。。・°°・(>_<)・°°・。

  • コージブスキーの系譜たる一般意味論の名著です。言語の使用についての倫理的な側面を解説しています。読む環境(年齢、会社での地位、社会情勢)で感じ方が変わりますから、折々の再読が味わい深いものになるでしょう。

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