- Amazon.co.jp ・本 (621ページ)
- / ISBN・EAN: 9784000017961
作品紹介・あらすじ
日本の国花である桜は、一九世紀末より、「祖国、天皇のために潔く散れ」と兵士を死に追いやる花となり、太平洋戦争敗戦の直前には特攻隊のシンボルとなった。著者は、明治の大日本帝国憲法をはじめ、軍国主義の発展を分析する一方、特攻隊員の遺した膨大な記録を読み解き、桜の美的価値と象徴によるコミュニケーションに常に伴う「解釈のずれ」を中心に、どのように「桜の幹」がねじ曲げられてきたのかを検証する。平和への願いを込めた、人類学の見事な成果。
感想・レビュー・書評
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図書館に返却2010/6/19。
国家ナショナリズムを信奉していなかった特攻隊員たちがなぜ特攻する選択をしたのかを、国家が桜に象徴させたものから読み解こうとしているようだけど、違うかもしれない。
桜が象徴してきたものの変遷に軽く触れて、桜の多義性を確認した後、明治にどういう国家体制が作られたのかを論じたところまで読んだ。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
確認先:川崎市立麻生図書館
一言で言って物足りない。
というのも、桜が孕むメタファーについてもう少し根を掘った分析もありえたにもかかわらず、なぜミリタリズムに「しか」回収できなかったのだろうか。そこに疑問符が残る(その点で言えば「カミカゼ」という虚構をなぜ自ら希望したのかという点でしか指導できなかったピエール・ブルデューの過失は重大である→もう少しマトモな意見を言うべきだったのではあるまいか)。
たとえば、さくらんぼと「武士道」には関係性が望めるのかとか、そもそも桜をメタファーで用いること自体が特殊的な行為であると言い切れるのかといったような分析や見解もあればいくぶん期待したのだが……
「政治にタッチすることはできても歴史を作ることはできない」――敬愛する巨匠の言葉を気安く拝借するのは気が引けるが、逆立ちした三流研究者(例:若桑みどり・渡部昇一など)と同じツッコミをせざるを得ない点に本書の欠陥が凝縮していると言ったらそれまでであろうか。 -
この本は「政治的・軍事的機関構築の歴史的過程と、そういう機関が、国家の究極的破滅への行進に国民を強制参加させるために使った手段を研究した」「それと共に、若者たちが思想ではイデオロギーを否定しているのに、行動では「進んで」それを再生産している、という正に驚くべき現象を理解する」ことをめざしている。
「生」「死」「若者」「再生」「美」など多様な意味を古来から持ち続ける桜の「意味のフィールド」から、いかに国家が「死」の意味を桜に与え、それが古来からの桜の意味解釈であるかのように工作してきたか、ということを明らかにしようとしていて、非常に興味深かった。
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戦争
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2010年4月2日
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分類=近現代史・太平洋戦争。03年4月。
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2008/1/9読了
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★そう、だから私は桜の花が苦手だった。