批評という鬱

著者 :
  • 岩波書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (300ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784000019262

作品紹介・あらすじ

文芸批評において活躍する著者が長年熟成させてきたテーマである「近代的自我論=主体性論」批判を軸に、近年の主要論考を集成する力作論集。人間そして文学の歴史を自我の発達の歴史であるかのように捉えることを批判し、進歩史的時間意識を病いあるいは神話として斥ける緊密な議論を展開。全体に通底するものは、時代を越える人間的普遍、人間的な感動を生み出すものへの強い関心である。本書のために書下ろされ、タイトルを書名にも冠した渾身の吉本隆明論200枚は著者の到達点を示す注目の力作。

感想・レビュー・書評

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  • 三浦雅士の批評は何よりも本格推理小説を思い出させる。精緻な研究に裏打ちされた絢爛たる引用、アクロバティックに飛翔する論理、そして、それまでの展開をすべて裏切ってしまうかのような鮮やかなどんでん返し。人は、つまらぬミステリーなぞ読むより、三浦雅士の批評の前に垂涎して跪拝すればよいのだ。などと言ってみたくなるような、いつもながら読ませてくれる批評ばかりが並ぶ論文集である。

    たとえば、近代という頭脳が、過去という身体を恥じらってみせたのが桑原武夫の第二芸術論だと切って捨て、啄木、太宰、寺山修司に身体の復権を見る「短歌と近代」。独歩の『春の鳥』という小品に描かれた白痴の少年の死を題材に、現世人類は、身体を媒介にして動物に同調することによって社会を発見し、自己自身を発見したのだと告げる「舞踊の身体のための素描」。さらには、インカ帝国が圧倒的に有利な大軍を持っていながら、なぜ少数のスペイン軍に敗れたかという謎を解き明かしながら、近代的自我という観念の持つ幻想性を引き剥がしていく「近代的自我の神話」等々。

    しかし、集中の白眉は書名にもなっている「批評という鬱」であろう。副題が「吉本隆明ノート」とされているのを見ても分かるとおり、吉本論の形をとってはいるが、なかなか、吉本論どころではない。紫式部や実朝、さらには樋口一葉、北村透谷と並べてみれば分かるように、日本文学を総ざらいする勢いで書かれた意欲作である。

    筆者はまず、吉本の基本的見解として『言語にとって美とは何か』から「自己表出」と「指示表出」という言語の持つ二つの側面を取り出してみせる。前者は自己自身への関係を、後者は自己の外界への関係を示すものである。さらに、「文学のような書き言葉は自己表出につかえるように進み、話し言葉は指示表出につかえるように進む」と言う吉本の言葉を取り出し、『初期歌謡論』『源実朝』に話を進める。吉本の持つ「暗い詩心」というものが、実朝に引き寄せられていく過程を初期論文を引きながら実証していくのである。

    圧巻は、『初期歌謡論』の一節と、三島の『豊饒の海』の一節を並べて引用し、その論理構造と語調の不思議なまでに酷似する様子をさばいてみせる手並みである。そして、「文芸批評の流れに立ってみれば、自己表出という概念は、近代的自我、主体性の延長上に構想されたということになるが、むしろその淵源は説明のつかない底知れぬ悲哀に、すなわち鬱にあったと言わなければならない。」という最後の審判が下される。日本近代文学とはすべて鬱のなせる技であったか。

    たしかに主体は弾圧によって、それへの抵抗によってはじめて明らかになる。とすれば、不平士族の反乱が壊滅した後に「いまだかつて所有したことのない世界を断念した」市民によるメランコリックな文学の大量発生が生じたことは理解できる。しかし、紫式部や実朝は近代文学とは言えない。それら自己表出の文学はみな、鬱という病から来ているという見解は、人間が文字というものを持つことにより過去の自分や未来の自分と対話できるようになったこと、つまり歴史的存在と化したことがメランコリーを生んだということに等しい。

    三浦雅士の見えすぎる目は、時代や空間をこえてすべてを明らかにしてみせねばすまない。ここまで来ると、鮮やかに霧が晴れていた景観がいつの間にか深い靄の中に包まれてしまっているように感じられてくる。証されたタネが平明すぎて、かえって誰にでもできる手品のように見えてくるのだ。真犯人が見つかっても、何も解決されていないという感じを受ける推理小説がある。ちょうどあれとよく似た感じを持ってしまうのは私だけだろうか。

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著者プロフィール

文芸評論家

「2022年 『ベスト・エッセイ2022』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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