負ける建築

  • 岩波書店 (2004年3月25日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (240ページ) / ISBN・EAN: 9784000021593

感想・レビュー・書評

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  • 題名がさらっとしていたので、内容が一般的なのかと思っていたけど、バリバリの専門書だった。いい意味で裏切られたと思ったので、☆5つ。

    著者は、受動的に設計の方針を決めることを、負けるという言葉を用いて、負ける建築と言っている。簡単に言うと、その土地それぞれの規制や制限を逆手に取って、建築を作っていくということだ。さすが東大の方というべきか、歴史や思想、経済の話が出てくるので、話が論理的で説得力がある。アメリカのどこかの大学では、設計の授業ではもう製図板を使わず、コンピューターで全ておこなってしまうというのは、驚き。近年は、設計製図が、アニメーションの力比べになってきているとも言っている。

    シンドラーとかロバート・ヴェンチューリとか、建築の世界で著名な人の名前が多くでてきたので、確かめながら読むことができて良かった。建築関係では無い人は、わからないと思うので、一般向けの本ではないです。読者層を絞っているため専門性がはっきりでていたので、個人的に良い本だと思う。

    参考URL↓
    http://www.nhk.or.jp/professional/backnumber/070410/index.html

  • さまざまな分野に言及している本。
    建築を中心に生活のいろいろなことを考えられる。
    とってもお勧め!

  • 建築と近代思想を取り上げた一冊。抽象的、思想的なことを噛み砕いて表現する表現力の豊かさに驚かされた。

  • コンペで負けるとか、回りの環境に負けるとかいう本だと思って読んだら全く違った内容だった。。。

    ずいぶん観念的な内容で、頭がよくてしゃべれる建築家だから、あれだけ仕事があるのだとわかった。

    徹底的に叩かれた作品をつくってなお、生き残るしぶとさと、その後の実績が、よい意味で、彼の本当の実力を示しているのろう。

  • 実際につきあってみて、同じひとつの時間、ひとつのプロセスを共有する体験の重みだけが、人間にとって意味を持つ。それは負けること、不自由でそこそこ弱いからこそ続いていくこと。

  • 建築はなぜ負けなければならないかを、建築の歴史や特徴から分析した本。様々な角度から建築を見ている視点が面白い。

  • 建築が嫌われる理由。
    ・大きいこと
    ・物質の浪費
    ・取り返しがつかないこと
    これに対し社会が建築を必要にするため、ケインズ政策、持ち家政策などが打たれてきた。

    この本で、これまでの建築、都市の過程を経済中心に理解できる本。
    建築以外も学べる良本。

  • 前書きで、隈氏は「今は建築の危機だ」と断言し、3つの事例を挙げて、説明する。

    一つは住宅ローンの問題。幸せの象徴であったマイホームが逆に手にいれたことで生活を圧迫している。同書はサブプライムローンの破綻以前に書かれたものだが、国の経済を困窮させている現状を見ると、さらに深刻なものとなっている。

    家というものは何か?

    また、オウム事件は建築の観点からも大きな衝撃であったという。オウムの建物は、無機質の倉庫だった。かつての宗教建築は、ひとつの象徴であった。神を崇めるために、特別に設えたもの。しかし、オウムは建築に無関心だった。建築は力を失ってしまったのか?

    最後は阪神大震災である。地震によって、多くの人名、彼らの住まい、会社が崩壊した。建物とは儚いものである。

    負ける建築とは、隈氏の建築哲学である。

    建物は本来、弱い、儚いものである。ならば、柳のようにしなやかな受け身の建築というあり方が正しいのではないかと考えるようになったようだ。負けるということは、隈氏にとって、「負」ではない。率先して、負けよということだ。

    隈氏は、建築だけの視点でなく、政治、社会を含めて、複合的に建築史の流れを推理していく。なぜ、生き残る建築があり、淘汰された建築があったのか。若干、予備知識を必要とする部分もあるが、興味深く読めた。

  • 建築家・隈研吾による負ける建築の提言。
    マルチな視点から語られた刺激的な現代建築論です。
    バブル以降を代表する建築思想だと思います。

  • とにかく分かりやすい、だが分かりにくい。
    隈のいう負けるとはどういうことなのかが知りたかった。
    “地”にあぐらをかかずに“図”をつくれということか。

  • 隈研吾という建築家は、つい最近まではなんとなく好きではありませんでした。
    「でした」といっても、今でも別に好きというわけではない。
    好きなのか嫌いなのかがよくわからない。
    この人の設計した建築を写真で見たとき、実際に建物の中に入ったとき、何か不思議な感覚を覚えます。
    心地いいわけでもなく、別に居心地が悪いわけでもない。

    この人の写真や活動などを見る限りではぼくの考えと合わない雰囲気がすごい出てるんやけど、勝手な思い込みで人を判断してはいけないと思い、クマさんの著書を1冊読んでみました。
    この人の著書でたぶん一番有名な本、『負ける建築』。

    内容は
    建築というものは空間的、物質的、時間的に強いものである。特にコンクリートの登場以降は。内と外をはっきりと分断し、素材は自然には存在しえない人工のもので、建つときは一瞬で建ち、なくなるときは一気になくなる。環境から切断され、その影響をほとんど受けることなく存在できた「強い」建築に対して、環境と空間的、物質的、時間的に接続した「弱い」建築、つまり「負ける建築」というものがありえるんじゃないか。
    というような話。

    でも、読んだ後でもクマさんに対する評価は特に変わらなかった。
    正しいことを言っている気はするが、それがどうしたという感じもする。
    とんでもなく頭がいいことはわかったけど、好きなのか嫌いなのかはまだわかりません。
    でもなんか気になるわー

  • 異業種クロスオーバー企画一人で実施中。しかし建築というジャンルに関するコンセンサスがあまりにも少なすぎて(私が無知)、結局終始「へー、そうなの?」みたいなノリのまま読み終わってしまった。基礎知識がそれなりに確立されている人向けな気がする。西洋医学のパラダイム転換、みたいな例に置き換えて考えれば幾分理解が進むかな。<BR>
    [05.08.17]<m市

  • 隈研吾氏の建築の本だが、近代建築の歴史もまとめられており、教科書のような内容。近代建築の五原則など懐かしかった。ちなみにそれはピロティ、屋上庭園、自由な平面、連続する窓、自由な立面。

  • ずっと読もうと思っていながら読み損なっていた本。
    鋭利な感性と的確な分析、豊かな語彙。痛烈で辛らつな内容ながらなんて美しい文章なんだろうと思う。

    P002 建築は、確かに嫌われてしかるべきさまざまなマイナスを有している。まず大きいこと。我々が日常的に付き合う対象物の中で、これほど大きいものはない。(中略)次の要因は、物質の浪費である。(中略)さらに嫌われるのは、取り返しがつかないこと。(中略)簡単に直したり、壊れるものは、そもそも建築とは呼ばれない。(中略)「建築の時間」の、この取り返しのつかないふてぶてしさが、嫌われる。

    P005 ヨーロッパでは建築は上から与えられたのに対し、アメリカは個人の建築的欲望を喚起し、昂進させることが、政策の目標となったのである。建築への強精剤的施策とはこの意味である。
    この対照的な施策はいかなる結果を招いたか。低家賃で何の困難もなくあたっれ荒れた住宅は、ヨーロッパ人の勤労意欲を決して高めなかった。(中略)一方アメリカの持ち家政策は予想をはるかに超える圧倒的な成功を収めた。住宅ローンの返済のために、彼らは農奴のごとき勤勉さで働き始めたのである。さらに住宅ローンを背負った人々は政治的にも保守化することが明らかになり、政治の安定化にも寄与することがわかった。

    P010 「弱者」もまたひとつの切断であった。「建築」がひとつの切断であるように、「弱者」もまたひとつの切断である。
    完全な弱者というものは存在しようがなく、いかなる弱者もある関係の中では、強者として出現する。それらの繊細な関係性を全て切断して、「弱者」というアリバイが捏造され続けたのである。(中略)建築の利権と結びついた政治家は、まず弱者の代理にとして登場し、弱者のロジックを存分に利用し、建設を仕切り、利権を獲得していくのである。

    P012 注意というよりはむしろ驚嘆すべきは、建築自身のあり方が一度も問われていないことである。建てる理由は問われている。なぜ建てねばいけないのか。なぜ建てる必要があるのか。建てることの政治的、経済的結果も計算されている。しかしなぜか、その建築自身を堂建てるかについて、そのあり方、その質に関しては、驚くほどの無関心が支配し、誰もそれを厳しく評価しようとはしなかった。
    建築が切断であるととらえられていたとするならば、この無関心は当然のことであったのかもしれない。(中略)量的には「建築の時代」と呼びうるだけの圧倒的達成がありながら、質的には惨憺たる物となった。建築自身に意味を求めず、建築することにだけ意味を求めた結果が、我々に振りかかっているのである。

    P014 短期的な処方をとりあえず重ねるのがケインズ政策のホンシツであることを、彼は自ら個々で正直に告白している。刹那という名の切断を反復した結果が、時間という延長になるという時間観の持ち主であった。経験とは時間に対する想像力である。時間に対する想像力が精緻になり深められることで、持ち家政策もケインズ政策も破綻せざるを得なかった。

    P016 切断としての建築ではなく、接合としての建築というものがありえないか。
    例えば空間的な接合。(中略)物質的にも建築と周囲とを接合できないだろうか。(中略)時間的な接合は最も重要な課題となるであろう。

    P017 コンクリートという素材が、さらにこの二十世紀的な時間概念を補強した。コンクリートにおいては全てが突然である。水のようにどろどろとしていたものが、ある日取り返しのつかないほどに硬くなり、もはや後戻りはできない。後戻りをしようと思えば、莫大なエネルギーを用いて粉々に粉砕し、無理やりにゼロにまで戻さなければならない。

    P042 (80年代の)結果として、世界中には無数のポストモダン・スカイスクレーパーが残された。かつてベンヤミンは19世紀に建てられたブルジョアジーの邸宅を眺めて「挫折した物質」と呼んだ。20世紀末、我々の都市には「挫折した塔」が残された。どちらも救いようがないほどに重く、暗い。

    P045 我々に今、要請されているのは、オブジェクト指向と同型の思考方法、即ち場とオブジェクトとを分割しない思考方法である。場と物の境界はあいまいであり分割不可能である。世界が複雑になるとは、そのような状態を指す。物、建築、都市は全てほぐしがたい形で癒着している。実際にはさらに、それらに関わる情報、欲望までもが、分かちがたく重層し、溶融し、そこに場と物という図式をあてはめること自体が既に意味を失っている。
    重要なことは、そのように溶融していたとしても、世界は決して理解不能、計算不能なカオスではないということである。

    P060 実際のところ、都市対田舎という空間的な不均衡をエンジンにして、20世紀の社会はなんとか運営されてきたのである。

    P081 ポスト構造主義の前提にあるのは、サプライサイド(形式)とデマンド再度(自由)との永遠の分裂であり、サプライサイドのデマンドサイドに対する圧倒的優位で会えり、デマンドサイドのニーズに対応してサプライサイドを更新する際の巨大な抵抗値であった。この大前提を元に、既製の形式を弁証法的に更新し続ける姿勢が、正当化されたわけである。

    P082 形式対自由という思考の枠組みから人々はなかなか離れることはできない。わずかな変化といえば、弁証法を用いる際のレトリックが変わったことくらいであろう。冷戦期においては「かつ」レトリックが支配的であった。自由という理念を用いて、既製の形式に打ち勝ち、更新して行くのである。(中略)それにかわって全てが「負ける」レトリックで語られ始めた。(中略)建築においても、全ては「負ける」レトリックで語られ始めた。思い込みの激しいワガママな施主に負けた、奇妙な形の敷地に負けた、理不尽な建築法規に負けた、工事予算のなさに負けた、建築雑誌に並ぶテクストは、さながら負け自慢であり(中略)相手を説き伏せて自分の思想を実現したなどというテクストを書く人間は変人扱いである。(中略)最も気にかかるのは「負ける」レトリックの裏側で、またしても建築という「結果」の強さが隠蔽されることである。

    P166 「社会性のある建築」というのが、そもそも矛盾した概念ではないか。この不達の展示は、暗黙のうちに、しかも痛烈にテーマ自身を批判したのである。建築は本質的に環境破壊であり、資源の無駄遣いであり、社会性の対極のあるのではないかというニヒリスティックなメッセージが、少女と行者の中には込められている。(中略)少女も行者も社会から距離を置く名人である。日本には、社会から距離を置き、その仔細に巻き込まれないための技術が、数多く用意されていた。少女と行者はその現代版である。

    P183 自分を想像syだと難くするほどの誇大妄想が、建築家には必要とされた。言い換えれば、徹底して自分を「公」的存在だと思い込める能力が、建築家には必要とされた。(中略)ゆえに、彼らは、激しく、ドラスティックに挫折するのである。建築家とは挫折を運命付けられた職能なのである。その挫折から、彼らを救済するために、個人住宅の設計という仕事が作り出されたのだとみなすこともできる。個人住宅の設計とは、極めて社会的意味の大きい、貴い仕事だと、彼ら挫折した建築家は考えるようになる。(中略)もちろん、住宅の施主という存在があってはじめて、この個人住宅の設計という救済の機会は与えられる。そして、興味深いことには、施主もまた、充分に挫折した存在なのである。

    P184 大雑把な言い方をすれば、階級社会には挫折はない。自由と平等という近代の理念が挫折という減少を生成し、挫折が近代住宅の施主と設計者とを、大量に生産したのである。(中略)しかし、施主と設計者という不達の挫折は、必ずしも幸福な出会いをするというわけでもない。(中略)それに気づいた挫折者は、厄介なる他者の媒介なしに、住宅を建設しようと試みるのである。建築家という媒介なしに、プレファブ住宅に代表される、一方的な設計システムを利用して家を建てようと試みる。(中略)一方、建築家は「住宅論」を書いたり、住宅の設計を教えることに活動を限定して、施主という他者との接触を避けるようになった。この現象は、恋愛が失われつつあるという現象とも並行していた。人々は恋愛を回避し、性風俗を通じて、他者との軋轢なしに癒されようと望むのである。プレファブ住宅は性風俗に酷似している。(中略)住宅設計はリフォームへと漸近し、建築家は風俗産業へと漸近しつつある。それを受け入れることが、今日における良心的建築家の条件と言ってもいい。

    P202 建築雑誌が真実という価値基準でなく、美醜という価値基準で編集されているからである。

    P204 最終選考に写真を用いる美人コンテストというものはない。(中略)最終的には同一の舞台の上に立たせて、肉眼で眺める。日を基準とする領域においては、そのような方法のみが、有効性を持つはずなのである。ところが残念ながら建築を移動させることはできない。さまざまな建築物を美女のようにして、同一の舞台の上に立たせて見比べることはできない。ゆえに、仕方なく建築は、写真に撮られ、写真の形式で評価され、比較されることになったのである。

    P211 この種の都市代用型の公共建築はしばしばエンクロージャー(囲い込まれたもの)とも呼ばれるのである。(中略)都市の空間的貧困を建築で解決しようとしたときに、建築は巨大化せねばならず、安価な土地を求めて敷地は場末へと拡散せねばならない。結果としていよいよ都市は中心を喪失して拡散し、エンクロージャーの外部に取り残された都市空間はいよいよ魅力を喪失し、そして更なる巨大なエンクロージャーが要請されるという悪循環である。(中略)さしあたり我々にできることはエンクロージャーとは対極の建築のあり方を、直感的に探ることである。都市の中に閉じた領域を作ることではなく、都市の中に小さな建築を無防備にさらし、都市に対して無残なほどに建築を開く。閉じたエンクロージャーの中での透明性に安住しない。都市に対して開き、投げ出すことこそが透明性なのである。
    それでもまだ建築は大きすぎ、まだ何かを囲い込んでいるかもしれない。建築はエンクロージャーを思考する遺伝子を内蔵しているからである。いっそのこと、たった一個の石ころをこの現実の路上においてみること。どうおいたら、何が起こるかをじっくり眺めてみること。そのような行為を建築デザインと呼びたい衝動にかられている。 

  • 単語を調べて横に書き込んだりしつつ読まないと、理解できない。でも苦労しても読んであることを理解して、消化したい!

  • 2013/05/24

  • 専門的過ぎてピンとこない

  • 今日は一部テーマ別でしたが、多ジャンルの本について意見交換や議論ができました。
    今日は一部テーマ別でしたが、多ジャンルの本について意見交換や議論ができました。

  • 2011年度ブックハンティングで選書された図書
    配架場所【図・2F開架】
    請求記号【520.4||KU】

    日本で最も忙しいと言われる建築家、隈研吾。
     世の中の環境を圧倒する20世紀型の「勝つ建築」は、いまはその強さゆえに人びとに疎まれています。建築はもっと弱く、もっと柔らかいものになれないのか。
     さまざま外力を受け入れる「負ける建築」の途をさぐる、「受動性の建築論」。

  • 1107夜

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著者プロフィール

1954年、神奈川県生まれ。東京大学大学院工学系研究科建築学専攻修了。コロンビア大学建築・都市計画学科客員研究員などを経て、1990年、隈研吾建築都市設計事務所設立。慶應義塾大学教授、東京大学教授を経て、現在、東京大学特別教授・名誉教授。30を超える国々でプロジェクトが進行中。自然と技術と人間の新しい関係を切り開く建築を提案。主な著書に『点・線・面』(岩波書店)、『ひとの住処』(新潮新書)、『負ける建築』(岩波書店)、『自然な建築』、『小さな建築』(岩波新書)、『反オブジェクト』(ちくま学芸文庫)、他多数。

「2022年 『新・建築入門 思想と歴史;ク-18-2』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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