ヤクザと憲法――「暴排条例」は何を守るのか

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レビュー : 10
  • Amazon.co.jp ・本 (192ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784000023290

感想・レビュー・書評

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  • ●→本文引用

    ●たこ焼きをめぐっての押し問答。さらに車で送ってもらうことがセーフかアウトかという議論。揉めたわけでも気まずい空気になったわけでもない。冗談の延長線上のようなやりとりなのだが、この中に暴排条例が社会とヤクザの間にもたらした影響が出ている。(略)インターネットで調べても、どこからが利益供与にあたるかなんてことは詳しく書いていない。何が明確にアウトかは分かっても、何がOKなのかは触れられてはいない。境界線が分からないのだ。(略)こうして、拡大解釈が進んで、触らぬヤクザに祟りなしと、ヤクザは社会から排除されていくのだろう。そんなヤクザを排除していく現状を象徴するようなシーンが偶然撮れた。そして、河野さんの口から何気なく出てきた「差別」という言葉。それほど深い意味はないのだろうが、だからこそ余計リアルに響いてくる。川口さんら幹部から聞く差別とはどこか違う、「現場」の生の声だった。ヤクザと社会、そして差別。送ってくれるという申し出をなんとか断り、いろいろ考えをめぐらせながら宿まで帰る。

  • 映画を見たのだが、DVDでは出てこないので、こっちで。

    映画館以来の再見。ヤクザが法を犯してるのは悪い。これを前提に、悪い弱いものを排除していいかと考えさせられる。

    部屋住みの少年のその後は、残念

  • 法を犯したら人権は無くなってしまうのか?

  •  正直期待外れであり、実につまらない本であった。まず、文体、特に土方宏史氏の軽薄な言い回し。「ヤクザと憲法」という意外な組み合わせに惹かれて本書を手に取った私には、「不安MAX」「あえてスルーする」などという、内輪の友だちとしゃべっているような言葉遣いは、それだけで先を読む気が失せた。
     また、考えがとにかく浅い。例えば、自らヤクザの世界に身を投じた、宮崎学の小説を愛するナオトという青年の話。彼はかつてイジメを受けており、しばらく引きこもりであった。ヤクザを排除しようとする社会を批判し、彼は「ヤクザもいる明るい社会」を提唱する。著者はこれに対し、「考え方が違う者同士が共存し合う、これは「多様性」の話だ」と共感する。
     冗談ではない。自分の邪魔になる者、気に入らない者を暴力で排除していく集団、それを「ヤクザ」と言うのだ。つまり、ナオトを変人としていじめる、それこそがヤクザ的行いなのだ。
     イジメが心理的に大変な苦痛であるのは、学校のように、それが起こらないと想定されている場所で起こるからである。「みんなちがって、みんないい」はずの場所で、自分だけは別らしいという疎外感に襲われ、また理不尽な暴力に立ち向かうことのできない自分に際限なく落胆していくからである。
     一方、ヤクザの世界では、怒鳴られたり、殴られたりしても、心理的にはそれを受け入れることができる。ヤクザの世界ではそれが当たり前だからある。ナオトがヤクザになったのは、その方が心が安定するからだろう。また、ナオト自身はそう語ってはいないが、ヤクザになって、かつて自分をイジメた奴らをどうにかしてやろうという気持ちも、もしかしたら彼の中にあったかもしれない、「多様性の話だ」というより、私はナオトの語りをそんな風に読んだ。
     実際、ヤクザが一般の人々と価値観が異なり「多様」なのは、売春、覚醒剤、違法ギャンブル、悪徳政治家の手伝いなどを生業としているからであるが、私は金輪際、こんなものを「多様」とは認めない。こういった違法なことについてはヤクザの側が取材を許さないとして、本書はほとんど追究しようとせず、著者の言葉を使わせてもらえれば、「スルー」する。
     私が「ヤクザと憲法」という題名から連想したのは、共謀罪であった。暴力団排除条例により、ヤクザは例えば銀行口座を持てないなど、人権を制限されることになった。その是非を論じる能力は私にはないが、理由のないことではないだろう。私が危惧しているのは、ヤクザに対するこうした人権の制限が、やがてなし崩しに一般の人に拡大していくことである。ヤクザを排除しよう、これにはほとんどの人は異を唱えないから、とりあえずヤクザをターゲットにしておく。そして、この規定が及ぶ範囲を、例えば政権に異を唱える集団、個人などに広げていく。この国でこうした動きは現実となっている。実際、暴力団排除条例は、表面的にはテロリストをターゲットにしている共謀罪と、大変よく似ている。しかし、本書にはこうした視点は全く見られず、私は読んでいて大きな失望を味わった。
     本書は、テレビのドキュメンタリー番組を書籍化したものである。未見だが、番組自体はもしかしたら優れているのかもしれない。しかし、一冊の独立した本として世に出した以上、評価は本自体、それのみに対してなされるべきである。私は本書を、評価しない。

  • 強面のカナリア‥‥。ヤクザが、そんなふうに見える瞬間があった。カナリアは、毒物をいち早く嗅ぎ分けて鳴いて知らせ、そして、命を落とす。特例を設けて、人権も憲法も蹂躙して構わないというやり口は、いつか、一般社会に及ぶのですよ、とカナリアは鳴いているのではないか。しかし、彼らは粗暴で強面だから、人々は見て見ぬふりをしてしまう。見たくないものでもあえて顕在化させ、社会に波風を立てる、それが私たちの仕事ではないかと思うのだ。(本書182頁、終章『ヤクザと憲法』の果実)

  • 知り合いにはいない存在
    それだけに とても興味深く読ませてもらった
    取材を進めていくときに
    当然のことながら、さまざまな逡巡が生じてくる
    それでも取材をつづけた取材班の人たち
    その部分にジャーナリスト魂を強く感じました
    素直に誠実に真摯にヤクザと向き合っている姿勢に
    大きな共感を覚えました。

    最後に弁護士の安田好弘さんが、かつての社会浄化運動、民族浄化運動、風紀委員が跋扈する社会への危うさを指摘しておられることにも、共感を覚えました。

  • ドキュメンタリー映画を観てから読了。あの時の場面、撮る側はこういう気持ちだったのか、ということがわかって面白い。具体的には、取材対象との距離感のはかりかた、ヤクザに寄り添いそうになってしまうことへの逡巡など。映画を観てから読むのが良いと思う。

  • 会社でも反社についての講習を受けたりするが、

    そもそも『暴排条例』って線引きがあやふやな

    玉虫色の条例らしい。

  • 仕事柄『ヤクザ』と出会うことはある。
    実際に話をして感じることは、普通の人だということ。この感覚は東海テレビの方々と一致すると思う。
    存在そのものを違法とする考え方には違和感を感じる。

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    #2017年1冊目

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