ランボー、砂漠を行く―アフリカ書簡の謎

著者 :
  • 岩波書店
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本棚登録 : 13
レビュー : 3
  • Amazon.co.jp ・本 (363ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784000024174

作品紹介・あらすじ

ランボーは二十歳くらいで詩から遠ざかり、以後十年間、エチオピアのハラルを拠点にして、交易活動にたずさわる。その間、アフリカ書簡といわれる膨大な書簡を残した。主に商用活動が書かれたこの書簡は、従来のランボー研究では枝葉のものと軽視されてきたが、日付や事実の虚構化、手紙相互の入れ子的な関係が見られ、多くの謎が存在する。本書では、ランボーの詩を書簡と対比し、詩と書簡を等価に読む視点から新しいランボー像を提示する。

感想・レビュー・書評

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  • 『地獄の季節』『イリュミナシオン』の詩人ランボーは、ある日突然詩を放棄し、交易商人となって、アラビア、アフリカに行ってしまう。その後エチオピアのハラルを拠点にして書かれた所謂「アフリカ書簡」を残すのみで、詩と考えられるものは一切書いていない。この謎は多くの人を虜にした。著者は、従来軽視されてきた「アフリカ書簡」を「詩」と同等のテクストとして読むという作業を試みている。もちろん、従来の詩の概念は放棄せざるを得ない。錯乱するイマージュと言葉に溢れた試作品と比べるまでもなく書簡は索漠とした商用文の体裁をとっているからだ。書簡に散見される言葉やランボーのその後の行動を詩作品と対応する作業を通じて現れてくるのは、その詩の持つ驚くべき予見性である。テクストがすべてであるなら、ランボーは既に詩によってその人生を生きてしまっている。著者の意図はともかく、この書からはアフリカにおけるランボーの姿が浮かび上がってくる。その存在の苛烈さは見る者をして言葉を失わせる。世界は言葉によって定着されるが、そこに映し出されたものは既に「物語」と化している。ランボーがアフリカで目にしたものを言葉に表さなかったのは正しい。書くことで存在は風景と化し、事件は物語と化す。ランボーをアフリカに留まらせたものは自己を人間(西欧人)の物語の中からすくい出し、単なる存在として扱うという過酷なまでの意志だったのではないだろうか。

  • ランボーを地の果てまで追いたい人向け
    さらっと知りたい人にはちょっとマニアックすぎるかも

    ヴェルレーヌみたいにならないように気をつけてね!
    (※ヴェルレーヌの詩もすてきです)

  • 2001年1月21日登録

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著者プロフィール

すずむら・かずなり
一九四四年、名古屋市生まれ。東京大学仏文科卒。
同修士課程修了。
横浜市立大学教授を経て、同名誉教授。
文芸評論家、フランス文学者、紀行作家。
著書に『村上春樹とネコの話』(彩流社)、
『村上春樹は電気猫の夢を見るか?』(彩流社)、
『テロの文学史 三島由紀夫にはじまる』(太田出版)、
『三島SM谷崎』(彩流社)などがある。

「2017年 『ボブ・ディランに吹かれて』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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