- Amazon.co.jp ・本 (450ページ)
- / ISBN・EAN: 9784000028684
感想・レビュー・書評
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文学とはなにか。結論からいうと、文学は一義的にこれこれこういうものであるということができない。文学といえば小説であると考える場合が多いが、かつては小説は文学のカテゴリーに入れるべきではないとされていたし、時代によって領域が変遷するため、例えば、数学のようにある種の安定性を確保しているとはにわかにいいがたいものがある。例えば、文学とはすべて虚構であると定義したとしよう。しかし、プラトンのソクラテスの対話文学、パスカルやデカルトの哲学、シェークスピアの演劇、歴史文書、回顧録、告白文学をちょっと思い起こすだけで、その定義は破綻してしまう。このような状況に対して、文学とは「雑草」であるといった人があった。これは言い得て妙で、雑草なる草が存在しているわけではない。私たちにとって害となる、あるいは、何に益にもならないような草に対して便宜上雑草と呼んでいるにすぎない。「文学とは」ロラン・バルトが喝破したように、文学だと「教えたれたものほかならない」したがって、文学を枠に入れる文学理論は最終的には、イデオロギーと不可分ではいられず、政治的なものであるということが明かされていく。
1 英文学批評の誕生
2 現象学、解釈学、受容理論
3 構造主義と記号論
4 ポスト構造主義
5 精神分析批評
結論 政治的批評
現代思想入門としても使える、之一冊あれば文学について知ったかぶりできる。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
いや、意外だったんですが良い本でした。有名なだけあります。入門書としてオススメ。<br>
著者のテリー・イーグルトンといえばフレデリック・ジェイムスンと並んで英国を代表する左派批評家だが、「ポストモダン」を超・矮小化し戯画化する形でカテゴライズするっていうのを、左派陣営でやってきた代表人物としても有名。そのバリバリの偏見っぷりは、『批評の機能?ポストモダンの地平』なんかで読める・・・んだろうと思う(いやアハハそっち未読です)。まあいくつかの文章を読んだ限り、わたしとしては嫌いじゃない、嫌いじゃないんだけれど・・・。彼独特の嫌味を駆使したレトリックと毒舌は、こう、人をウヒーと苦笑させるものがあるというか、多少突き放さないと楽しく読めないわけなのです。<br>
そんなわけで、名著として知られるこの本も、いやいやイーグルトンだしねえと身構えて読み始めたのであるが、意外なことにとっても読みやすい。著者の皮肉っぽいピリピリはずいぶんと抑えられ、読者をいざなう快適なスパイス程度のお味。つまり彼としては非ッ常にシンプルな言い回しを用いながら、でも、テクスト至上主義的な批評や解釈学的な批評、精神分析批評等々、それぞれの理論の特徴を、きちんきちんとおさえていく。<br>
もちろん紹介されている各理論をまあまあ知ってる人から見れば、「えっこれで終わり?」という物足りなさはあるだろう。あと原著の初版は1983年ですが、そのころからうなぎ登りに展開されだしたのであろう諸潮流-----たとえば、脱構築理論と強固なリンクを持つようなコロニアリズム批判やセクシュアリティにまつわる批評なんかはあまり論じられておりません。あとがき追加でカバーできる議論ではないしね・・・。でも、これは入門書。先鋭的な議論を誘発するというよりは、むしろ、ボコッとあいてた基礎知識の穴を埋めるための本と捉えるのがいいのかと。それこそ、ポストコロニアリズムとかポスト構造主義とかポスポス分類されるようなものばっかりに(しかも耳学問で)触れてきたんだけどいまいち基礎の土台が無くてねぇ、という人にこそベストな本なのではなかろうか。-----わたしですがねワハハ。「英文学批評の誕生」および「現象学・解釈学・受容理論」のあたりは参考になりました。<br>
ところで最近これの訳者が『新文学入門ーT・イーグルトン『文学とは何か』を読む』とかいう本を出したそうな。もともと解説を要するような難解な書物ではないから、へっなんで?という感じだったのだけれど、もしかしたら解説と言うよりは、ここ20年の展開をふまえた上で批判的に再吟味、という奴なのかな。ウーム機会があったらパラパラしてみるかな。