1938年7月18日 群馬県前橋市に生まれる
57年、東京大学理科一類へ入学
61年、日本原子力事業(NAIG)入社、核化学研究室に配属
65年、東京大学原子力核研究所助手
69年、東京都立大学理学部助教授、東京大学より理学博士の学位授与
72年、マックスプランク核物理研究所客員研究員
73年、東京都立大学を退職
75年、原子力資料情報室スタート、専従世話人となる
78年、反原発運動全国連絡会結成に加わる
87年、原子力資料情報室代表
92年、多田謡子反権力人権賞受賞
93年、サンケイ児童出版文化賞「推薦の本」に『マリー・キュリーが考えたこと』が選ばれる
95年、宮澤賢治学会イーハトーブ賞受賞
97年、長崎原爆被爆者手帳の会平和賞受賞、ライト・ライブリフッド賞受賞
98年4月、オールターナティブな科学者を育てる「高木学校」を設立
97年7月、大腸がんが発覚、緊急入院
2000年10月8日、大腸がんで死去
2001年1月9日、遺言により高木仁三郎市民科学基金発足
「2018年 『高木仁三郎 反原子力文選』 で使われていた紹介文から引用しています。」