平面論―1880年代西欧 (Image Collection精神史発掘)

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  • Amazon.co.jp ・本 (223ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784000037297

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  • 1880年前後を分水嶺として「イメージ」の本質的変容(著者の評する地滑り)を巡る論考。「イメージ」、「表象」、「記号」が生成される「場=媒体」であった「平面」そのものを「自意識化」させる試みである。これはイメージが成り立つ、まさにそのための条件として、そして新たな「イメージ」営為の可能性のための「平面論」である。

    「祖型と独創の葛藤に代わって、不在か記号か、空虚な自己同一性か仮面による演戯か、つまりは無人か群衆かという対立が出てきたのが『一八八〇年代』なのである。」13頁

    上の対立は「蝟集空間のイメージ=像(かたち)」と「無人空間のイメージ=貌(かお)」であるという。この議論のカギはベンヤミンの「アウラの喪失」、またボードリヤールの「シミュラクル」という概念である。

    端的には「像」とは「量」の「イメージ」である。「アウラ」を失った「シミュラクル」としての「イメージ」である。世俗化、均質化そして数量化された「イメージ」、つまりウォーホルのフラットに増殖された「マドンナ」である。

    翻って「貌」は「質」・「強度」の「イメージ」である。これは決して馴致されえない(従って見るものにある種の「危険性」を伴う)、均質化、数量化されることを拒否する「イメージ」である。ふいに我々を襲う失われた肉親などの強烈な「イメージ」である。

    この2つの「イメージ」を解き明かすためにラカン的に「現実なるもの」=「死」という概念が導入される。「現実界」=「不可能なもの」=「訳のわからぬもの(つまり狂気)」であるものが「像」を「貌」から決定的に隔てる。

    しかし、実はシミュラクルの「像」も決して馴致されえない「数量のリアリティ」を持つということである(徹底的に馴致されたはずの「像」の逆襲!)。また我々を襲う「貌」の「強度のリアリティ」も「イメージ」である限りにおいては、「現実なるもの」とは決定的に隔てられた「平面」に過ぎないということになるともいえよう(どうしても馴致され矮小化されてしまう「現実なるもの=死」!)。

    この二重性が「生」と「死」の世界の狭間に揺らめく「平面」の持つ魔性であり快楽というものであろうか。だとすれば、ここに開示されているものは、「現実なるもの=死」を前近代的「神聖性=アウラ」への安穏たる隠遁への途を断絶しつつも、我々を不安に揺さぶり続ける、このような現代的な「平面」・「イメージ」の営為に他ならない。

  • そこかしこに配置された二項対立を、精緻な論理と卓越した言語表現でためつすがめつ検証し、ゆっくりとにじりよるようにその対立を内破させながら論旨は展開する。だがその他方で、「近代は1880年代に始まる」、だの、イメージとは「それであって、それでないもの」だ、とあっけらっかんと言い放ちもするその華麗な身振りにうたれる。

    〈イメージ〉の二つのフェーズ。〈像(かたち)〉と〈貌(かお)〉。それらが〈投射〉され、相補的でも弁証法的でもない形で共存する〈幕〉に、〈近代〉はその存在を始める。
    <i>
    “わたしが、花!と言う”“あらゆる花束から不在の花、快い観念そのものである花が、音楽的に立ち昇る”</i>(マラルメ)

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