宮沢賢治―存在の祭りの中へ(20世紀思想家文庫 12)

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著者 : 見田宗介
  • 岩波書店 (1984年2月29日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (277ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784000044127

宮沢賢治―存在の祭りの中へ(20世紀思想家文庫 12)の感想・レビュー・書評

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  • 歴史の中に、自らがたしかに存在したというのは、どのように「標本」されるだろうか。それはとりもなおさず、現在という「時」との関わりにおいて刻みこまれた「痕跡」なのでないかと私は思う。

    ●以下引用

    人間が生のひとときを分かち合いながら、あるいは孤独を噛みしめ合いながら、たしかに生きたということを刻印するあかし

    いうまでもなく、賢治が意識してりんごの携帯論的なシンボリズムを用いたということではない、無意識のシンボリズムが問題なのだ

    外部に見ているものの内部にいきなり存在している

    黒くひろがった野原のはてからみている

    遠く黒くひろがった野原

    そこから汽車の音が聞こえてきました。その小さな列車の窓は一列小さく赤く見え、その中にはたくさんの旅人が、林檎を向いたり、わらったり、いろいろな風にしてゐると考えますと、ジョバンニは、もう何とも云へずかなしくなって、また眼をどらに挙げました

    死せるものの残した永遠の現在態としての唯一のしるし

    標本と、それと等価であるような「化石」や「足跡」や透明な生き物たちとは、なによりもまず存在しないものの存在のあかし、少なくとも「現在」という時間の中には存在しないとされているもの

    過去に存在したものも、未来に存在するはずのものも、この四次元世界の内部に存在している

    現在あるものが「すきとおってゆく」ことをとおして、いれかわりに過去やミライノ透明な存在たちがありありとここにその姿を現す

    賢治の作品の中の標本が、このような化石や足跡と等価のものであることをすでにみてきた。それは洋服の生地の標本などとは異なって、すでにないもの、を現にあるもの、として現前するものであり、

    標本もまた、いっそう具体的な仕方で、現在が歴史を包摂する様式であり、時間をのりこえる様式であった

    何となく汽車に乗りたく思ひしのみ
    汽車を下りしに
    ゆくところなし

    あいつはこんなにさびしい停車場を
    たつたひとりで通つていつたらうか
    どこへ行くともわからないその方向を
    どの種類の世界へはいるともしれないそのみちを
    たつたひとりでさびしくあるいて行つたらうか

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