文化と両義性〈哲学叢書〉

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  • 岩波書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (266ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784000045827

感想・レビュー・書評

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  • 意味が理解出来て、おもしろかったのは数章だけだったけれど、連想が働いておもしろかった。

    昼の思考と夜の思考
    混沌というものの外縁があり、それを敵とすることで秩序が生まれる
    混沌は、どんな集団の中にもあり、作られ、たとえば女性というものがそれにあてられて、それを虐げることによって秩序を維持しているとかね


    ●一章
    p2
    常陸国風土記
    「荒ぶる神等、又石根木立、草の片葉もこととひて、昼は狭蝿なすさやぎ、夜は火のかがやく国」

    草木言語とひし時、これがつまり混沌という時代。
    秩序が造化神によって持ち込まれる以前は、草木が喋る。人間ではないものが喋る=日常生活の秩序に反する
    しかし美しい表現……
    「さばえなす」なんて、久しぶりに見た。

    風土記などに見られる表現として、正しいとされるものの敵対者には「混沌」の属性が与えられている。
    穴居、隠れる、遊ぶ(怠惰)、狂暴、窃盗、近親相姦
    それと対峙する側も、これに近しいものを持っていたりする。それらは、仲介者である。
    たとえば、スサノオノミコトと、ヤマタノオロチのように。スサノオは、秩序に反するものの性質がある。




    この章で思い出したのが、数。
    和風総本家で、どこぞの神社の方が「お守りをたくさん持っていたら、神さまがケンカするって本当ですか?」という質問に
    「日本の神様は八百万人いるので、いっぱい持っててもケンカしません。大丈夫です」というような答え方をしていたのだけれど。

    八百万の神って、限定の柱数ではないよね?
    それくらいいる、多くて数えきれないことを八百万といって表すものだった筈。
    日本は八って数が多いよねえと連想。
    奇数が陽数として縁起がいいのは、陰陽道から。(重陽の節句は、陽の数が重なる。陽数の最大値である九の数が重なるので、非常に縁起がいい。ついでに陽=楊(やなぎ)なので、陰の幽霊は柳の下に立つ)
    八は偶数だけれど、末広がりで縁起がいいとされている。ということは、日本独自か? いつからだろう?

    古そうなもので、ぱっと思いつくものは
    千代に八千代に
    八岐大蛇
    八束の剣(束は長さの単位。拳ひとつ握った分。拳八つ分の長さの剣)
    八重垣
    八雲
    (やくもたついずもやえがきつまごみにやえがきつくるそのやえがきを
    八雲立つ出雲八重垣妻込みに八重垣造る其の八重垣を
    スサノオノミコトが嫁さんもらったときの歌)

    八という数がそのころの数の上限値で、「とても多い」の意というだけだったのかな。


    ●二章
    昼と夜の思考
    たいていの神話で、至高神は双面神

    昼――恒常性、秩序、和、光、理性、友愛、温情
    夜――秘匿、呪術、奇跡、発明、想像、暴力

    夜の根源的な言葉は「結び合わせる」→保留する、匿す、秘する
    神話的メタファーなら
    水を遮る堤防、水を護持する竜、宝を護持する竜、雨を抑える黒雲、水源を手放さない乾燥地、己の種をまけない無力な男、生まれるべき児を胎内にとどめる女、乳を出さない牝牛、太陽を放さないオーロラ、オーロラを引きとめて出させない夜

    夜は、突発的な変動を示唆。
    保留が、暴発を惹き起こす前提というイメージ。
    決壊した堤防、退治された竜、洪水、剣で母胎から取り出された子供、稲妻で雲の胎中から引き出された雨

    福をもたらすと同時に災厄をもたらす。

    争闘神話など、対立概念のくり返し。


    p41
    旧約のヨハネ像と新約のキリスト像の対比。
    両者例外的な懐妊による生まれ。
    ヨハネの母エリザベスは、子供を産む年齢を超えての出産。
    イエスの母マリアは、処女。
    これら二人の母たちは従姉妹。

    ヨハネはアーロンの司祭の系譜。
    (アーロンって、杖に桃の花咲かせた人だっけ??)
    イエスはダヴィデの王家。

    ヨハネは原野に住む(この世界の他の世界の境界)
    野獣の皮を着用し、イナゴと蜂蜜で生きていた。
    酒を断っていた。
    仲間は野獣。
    「自然」人
    イエスは、くり返し王であると告げられる。
    大工の子で、市中の世界で普通の食事。
    市井の徒や在任と付き合う。
    「文化」人
    イエスはヨハネに洗礼を受けるが、このときヨハネは口頭でイエスへの従属を表明

    ヨハネは頭を刎ねられて死ぬ旧約においては、これは王侯にのみ許された死に方
    イエスは十字架上で死ぬ。ローマの征服者達によって導入され犯罪者のみに適用された処刑法。
    ヨハネの死は邪悪なヘロディアスの陰謀と、彼女の娘サロメの性的な悪知恵によってもたらされたもの。
    イエスの周りの女性は全く潔い性的な役割を果たす。マグダレーナのマリアは淫売婦。
    ヨハネの死は王宮の饗宴という場においてであり、彼の首は御馳走のごとく皿の上に載せられて供された。
    イエスは過ぎ越し節というユダヤの祭日に死に、彼は自分の体や血を食物や葡萄酒であると言った。


    ヨハネって、十二使徒のヨハネ?ってのに、まったく気づかず読んでた。
    「ヨカナーン、おまえの唇にくちづけするよ」のヨカナーンだったか。


    ●三章 記号と境界
    混沌から遮るための儀式を行なって、秩序が保たれる。
    外縁の混沌を定義することによって、内部が定義される。

    祭りの際に、お堂の床板や縁を牛王杖で叩いたり、堂内を跳ねまわって騒音を立てたり。

    騒音は日本でも西欧でも、悪霊などを遠ざけると認識されていた模様。

    p67
    「ここで見られるのは、日常生活の静寂に対する騒音、異常な身ぶり、境界の明示を中心とする「異和性」の儀礼といってよい。「呪師走り」、能の乱声、反閇(へんばい)など芸能史の根源的な行為がこうした「異和性」儀礼と対応する理由が明らかになるであろう。」

    コトバンクより。
    へんばい【反閇】

    陰陽師が邪気を払い除くため呪文を唱え大地を踏みしめ,千鳥足に歩む呪法。三足,五足,九足などさまざまの種類がある。平安朝以来天皇・将軍など貴族の外出にあたって多く行われ,悪い方角を踏み破る意味があるという。土御門(安倍)家の秘法では反閇のとき燃灯し,水,米,大豆,ゴマ,アワ,麦,酒,生牛乳などを用意して散供(さんぐ)を行う。平安朝,陰陽道の進出につれ,日本古来の鎮魂の作法が反閇と習合し,神楽が芸能化する中世にはそれに伴って反閇も《翁》《三番叟》《道成寺》など猿楽にとりいれられ,乱拍子(らんびようし)などとも呼び,祝福的意味をもつようになった。

    禹歩とかのことらしい。

    ●五章
    p160
    我々はいくつもの現実を生きている。
    例としては、覚醒時と、夢の状況の意識。
    覚醒時にも、意識の緊張度、覚醒の度合、我々の生活の注意の向け方によって、いくつもの現実の、異なったレベルがある。
    現実の多層性。

    p161
    「「現実」の数は、人間がその感度をたよりに周りの世界を感知するアンテナの数に相当するといえる。これらのアンテナは、それぞれ特徴を持っているので、人は、彼が置かれている環境の中で、生存の条件を維持するのに最も役に立つアンテナを重点的に用いる。しかし他のアンテナは、主役を演じなくとも、同時に集音作用を続け、これらのデータを下意識の次元または身体の記憶として目だたぬ形で蓄積する。これらのアンテナの中には、未だに我々の眼にとどかぬ内臓されたものもあることを我々は忘れてはならない。」

  • 話題が多岐に渡っていてまとめることができない・・・。神話・伝承に対する記号論的解釈から始めて、僕らを取り巻く世界の多元性について概説したという感じでしょうか。読むにあたっては現象学に関する知識が必須です。

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プロフィール

1931年北海道生まれ。アジア・アフリカ言語文化研究所、同研究所所長、札幌大学学長等を歴任。文化人類学者として、西アフリカ、インドネシア、カリブ海諸国等でフィールドワークを行う。道化・トリックスターの分析、中心と周縁理論、近代日本の負け派に着目した敗者学を通じて、国内外の思想界に衝撃を与え、その広い学識は、文学・芸術等の分野にも影響を及ぼした。2013年逝去。

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