「科学にすがるな!」――宇宙と死をめぐる特別授業

  • 岩波書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (216ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784000052153

作品紹介・あらすじ

死ぬ意味?生まれてきた意味?科学論や学問論で答える科学者vs.問い続ける女性。

感想・レビュー・書評

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  • 「科学コミュニケーションってこういうもの」という見本のような一冊。
    ゴリゴリの文系人間なので、わかりやすく書かれているはずの科学解説が半分くらいしか理解できず、読み進めるのが大変だった。
    でも、だからこそ社会の中で「科学」がどう見られているかと、実際に科学に携わる側のギャップや、それが生み出される背景や問題点が眼前に洗い出されるような感覚が生々しい。
    科学だけでなく「よくわからないけどスゴそうな何か」に問題解決してもらいたいと思ってしまうのがいかに危ないかがよくわかる。
    冒頭投げかけられる「科学者の死生観」については人間愛溢れる回答が提示されており、少し泣けてしまった。

  • ☆すべての学問は役に立つための手法である。量子力学もそうだが、科学的な予想はどこまで行っても確率。ふつうの人も物事を確率で発想できる社会にならないといけない。

  • 「科学とは何か」「科学とは何でないか」を語る一冊

  • 2015年3月新着

  • 請求記号・404/Sa
    資料ID・100061419

  • なぜ「死」について、科学者に聞きたいと思ったのだろう?
    自分だったら、誰に質問するのだろうか。

  • 【配置場所】工大選書フェア【請求記号】404||S【資料ID】91132522

  • 死についての認識を科学の側から見る本だと思ったのだが、宇宙の話ばかりだった!
    宇宙の話を読むつもりではなかったのに、天文台イベントを前に、なんとタイミングのいい(笑)
    「人は死ぬとどうなるのか」という恐れへの答えを求めた女性が、宇宙物理学者から見た死とは何かを聞くことで、自分の中の漠然とした恐れに対応出来ないか。と、面会のお願いをすることから始まる対談。
    読んでいる間中、理解しようとしたり、反論しようとしたりで、とても考えさせられながら読む本。


    佐藤文隆さんが、かの有名な「宇宙の晴れ上がり」という言葉を作ったのねえ。質問への答え方が「うわー、こういう人苦手だ」と思ってしまうような偏屈っぽいものもあったので、あの素敵な言葉とのギャップで驚いた。
    再読してみれば、この人は、無知のままでいる姿勢が好きではないのだろうし、実学にならないものが好きではないのかも知れない、だからああいう発言になるんだろうな。とは納得した。

    「死」というものや、「時間」というものを、その言葉だけではなく、どの「世界」に属するものかを定義して考えていくことに、理系らしい頭の働かせ方を見る。漠然ととらえず、定義に当てはめて、違いを明確にして、問題を解決していく思考の枠組み。
    「外界」→「物質」としての死を恐れるばかりで歪んでしまうから、「第三の実在」たとえば文化や、誰かの思い出、認識、思考の中に残ろう。
    というのは、科学者だからというよりも、やさしい心の動きだと思った。



    p16あたり
    実在には三つある
    ・外界
    第一の実在
    「カップ」人間がいなくても、外界はある。石でも地球でも。しかしカップをカップだと認識するのは、電気信号の作用。
    頭の中にカップが「ある」わけではなく、光に反射してカップが見える。視覚によって、脳にカップの像を結ぶ。瞳と手からの電気信号が脳に伝わり「ある」と認識している。
    ・内界
    第二の実在
    人間の内部。夢も、頭のどこかで信号が起きたことによる。カップだと思うことと、夢で思ったことは同レベル。外との関係で存在する。カップは外界と対応して認識するが、夢はそうじゃない。その違い。
    ・第三の世界
    人間の社会の中で受け継がれてきたもの。新しい科学的知見が現れれば、変化する。われわれが長い時間かけて蓄積してきた慣習や認識は、人間にとって物と同じくらい確かなもの。

    「カップ」が目の前にあったとして、それがコーヒーなどを飲む道具だという共通認識があるから、「カップ」だと認識する。
    第一の実在についてわれわれが思っていることそれ自体が、第三の存在を参考にした、外界のものの見え方。社会的なことをぜんぶはぎ取って、純粋に物そのものを想うことは出来ない。
    第三の世界は、皆で合意して作り上げてきた文化。中身は変化する。昔のヨーロッパの人々は魔法使いが実際に第一の世界を飛ぶと思っていたけれど、現代の人にとっては、もはや第一の世界に実在するものではなく、ファンタジー。第三の世界のもの。
    第三の世界はみんなで合意する平均値。時代時代で中身を変える。
    「死」というものは、第一と第二だけで考えるものでなく、第三世界の概念。


    p38
    「大事なのは、「ビッグバンとよばれる現象で天体ができた」ことがわかったこと…略…「宇宙はビッグバンからはじまった」などという知識は二束三文の値打ちもないといっているのだよ。値打ちがあるのは「なぜそう考えられるか」です」
    p39
    「…略…あなたは時空が生まれたときの宇宙をイメージできますか? …略…現状からかけ離れて物事を予想することは、それだけ曖昧になるのです。…略…科学の成果は、石ころみたいにどこかから拾ってきたものじゃない。現在を土台にしない知識に意味はないのだよ」
    ★何故、その発見にいたったか。どうして発見できたのかを考える。


    p48 宇宙について
    「ほとんど平坦です。ただし、いま見ている範囲で平坦だということです。…略…」
    「…略…いまの高性能の望遠鏡で実際に見た範囲では、こんなにガチッと曲がってはいないことがはっきりした」
    「…略…もっと大きな望遠鏡で、もっと広い範囲を見ることができたら、曲がっていることを発見するかもしれない。…略…」
    p50
    「…略…それを知って何をするのかがないまま、曲がっているか曲がっていないかと効くのは意味がない、ということ」
    「…略…隣の家に行くのに、地球が曲がっているかどうかが心配で足が出ないというなら、曲がっていませんよと答えてあげよう。しかし電波を地球の裏側に送りたいなら、地球は曲がっているから地表と並行に送っても届かないことを知る必要がある」
    「…略…自分が行う(行うに傍点)ことのために知識がいるのです」

    p80
    「こうして物を捕まえると、私の手はここで止まる。カップと交わらない」
    「当たり前やと思うだろう。しかし、なぜ交わらないのかと考えてみる」
    「なぜなら、カップに手を近づけたとき電気的に押し返すように反発しているからです。だから手とカップは交わらない。二つの原子が交わらないのは、電子と電子が電気的に反発するからです」
    「原子がつぶれないのも電子の電気力のおかげだし、原子がくっつくのも同じ力です。ぼくたちの体だって、原子の電気力がなくなれば、バラバラ-ッとなりますよ。光も電気の作用です。電子の状態が変わることによって、光を出したり吸収したりしているわけ。音も、空気を構成する原子が動く作用、つまり原子がほかの原子にぶち当たって伝わるものです。…略…」

    p82 素粒子の話 抜粋
    素粒子はそれ以上分解出来ない。物質の最小単位。いっぽう、素粒子がもつエネルギーは整数で数えられる。
    エネルギーが米粒みたいにカタンカタンと減る。そのあいだがない。エネルギーはつぶつぶの集まり。
    素粒子は粒ではなく、雲みたいに、場所的にボワンと広がっているようなもの。だから波といういい方をする。
    「そもそも、原子は存在ではなく機能なんだ」
    「われわれは、光を出す装置として原子に気づいたのです。最初に原子という粒を発見して、これは何者?と考えたわけじゃない。見えないものを見つけるときは、何か役割をしているから、そこに何かがあるのだろうと考えるんです」

    重力=万有引力
    p89
     物が落ちるのは重いから。私たちが地面にくっついていられるのは、地球の引力のおかげ。星や銀河があっちこっちに飛んでいかずに距離を保っていられるのは、互いに引き合っているから……私はこれ以上のことを考えたことがなかった。そもそも、重力と万有引力が同じものだという認識さえ欠けていた。

    p114 
    「…略…宇宙の初期は高温高密度で、陽子も小さいクォークというものに溶けていた。となると、この時代は陽子についての物理法則はなかったことになる」
    「…略…われわれが認識した宇宙や素粒子の法則を、絶対的に永遠不変なものだと考えるのは思い上がりなんだ」
    「たとえば、暗黒物質は光さえ出さないし、原子とぶつかっても原子がもつ電子を無視して通りすぎる。つまり、暗黒物質には電磁気力が働いていないことがわかる。宇宙には、なじみのある物質よりも多く暗黒物質が存在していて、体の中を膨大な暗黒物質の粒子が絶えず通り過ぎているが、この存在にずっと気づかなかった。なぜなら、人間は原子からできていて電磁気力で動いているからです。いっぽう原子は、人間との作用が大きいので気づくことができた。われわれはそんなかたよった立場から宇宙を見て、物理法則を発見してきた。人間の動物機能に関連した出発点から、上下に認識w拡大してきたのです」
    「宇宙をどこまで解明しても、それはわれわれの宇宙なのです。われわれは特殊な世界を見ているんだ」

    p123 抜粋
     私たちが見ているさまざまな物質は、たくさんの原子がまとまった姿。原子の動きの平均を見ていることになる。
     熱力学の「熱」とは典型的には「温度」。そして温度とは動いている原子の集団の平均のエネルギーのこと。
     カップの水の温度が10度と出たらそれは水の原子一つひとつが動く激しさの平均値。

    p141
    宇宙の誕生
     強い力
     電磁気力 弱い力
     重力

    p142
     宇宙が誕生したとき物質は存在せず、エネルギーだけだった。エネルギーの状態が変わって、重力から力が枝分かれし、他の三つの力が発生した。このときはまだ、力の働かせ甲斐のある物質がなかったので力は作用しなかった。その後クォークが生まれ、クォークが陽子や中性子の中に閉じ込められ、といったでき事が起きる中で、それぞれの力が作用しはじめた……ということらしい。



    p152 抜粋
    知識はふたとおり。
    足す知識と入れ替える知識。
    新しい知識を、自分の知識のおもちゃ箱にひとつ加えるのが足す知識。しみこまない。
    もともとつまっていたものと入れ替える知識はしみ込む。
    p153
    「真実を知ってそれまでの誤解を解くことを「正す」という。「正す」とは入れ替えることです。物質のもとは原子より小さいクォークだと知ったとき、いままで原子だと思っていた知識と入れ替えているんです。なのに、次々と新しいものを買ってきて箱をいっぱいにしていくのが科学だと考えている人がいる」
    「…略…熱はまず体で感じている。そのあと、「いや、熱の正体は実は運動なのだ」と科学の知識が入ったら、熱についての新しい知識がしみ込むのです。…略…」
    「…略…湯川さんがノーベル賞を取ってあと二○年は受賞がないだろうといわれれば、その発見のきっかけは何だったんだろうと、何度も反復して考える。これが「正す」という感覚です。筋道をつけて整えていく感じだな。基礎的な科学が一般の人に役立つのは、この正す役割だと思うね」


    p186あたり抜粋
    科学者にしかできないことを社会がやらせることは必要。だけど、そこに人類の善はない。彼らが開発しようとしている技術が、人類に必要かどうかを判断する知恵は、彼ら自信にはない。
    市民はふつうの感覚にもっと自信を持って、科学を採点できるくらいにならないといけない。
    科学の中身を採点するのではない。政治をチャックするように、科学の成果を社会にどう生かしたいのか、市民は科学予算の使い方にもっと関心をもってチェックしないといけない

    p189
    マックス・ウェーバーの言葉
    第一次世界大戦で負けたあとのドイツは隣にソ連が誕生したり、超インフレなどで騒然となる。学生団体に頼まれてマックス・ウェーバーが講演をする。しかし彼はまったくのことをしゃべり、会場は怒号に包まれた。

    現実の代わりに理想を、
    事実の代わりに世界観を、
    認識の代わりに体験を、
    専門家の代わりに全人を、
    教師の代わりに指導者を。

    これらは学問の敵。
    世の中が混乱すると、頭で考えることを否定して体験したことこそ真実だと思ったり、現実の代わりに理想を求め、事実を見なくなり、専門家の権威がなくなって、知識の中身ではなく「あの人がいうことなら信用できる」と、その人を信じるか信じないかが判断基準になる
    不安と熱狂が、民主的にナチス政権を創りだした。

    p190
    「社会が非常に揺さぶられたときには、こういう傾向が出てくるんだな」
     混乱のいま、われわれは冷静に長期的に対処していかなければならないのだと先生はいった。
    「いまは、何が正しいかということにだけ意識が集中している。しかし、あることが正しいかどうかは、いつだって確率的にしかわからないんだ」


    p192 死について
    「私だって、何もなくなることに何も感じないわけではない」
    「しかし、第三の世界に何かを残して、そこで記憶という形で生きながらえたいという思いがある。…略…人によってそれなりに残すものがあるはずです」
     家族とか友人とかいった身近な隊商に、何かを残す人もいる。そこは多彩であると先生はつけ加えた。
    「物理・科学的な肉体だけで生死をとらえると、息苦しいしガツガツする。人間は精神的な動物だから、そっちを大事にするべきだと思うね」



    エピローグ
    p197
    「関東に住む友人は「今日生きるためには汚染された水だって飲むわよ」と憤然といい、私は、何があっても人は前に生きていくしかないのだと思いました。


    p202
    「生まれるのも死ぬのも、細胞はどちらもちゃんとした手順で変化する。それを区別しているのは人間である。人間を分解すると分子や原子になり、こられは死んでも憎たらしいことになくならない」
     星の死によってばらまかれた元素が私たちをつくり、肉体は死んで大気の元素の一部にもどるのでしょう。私は先生のこの言葉を聞いたとき、友人から聞きかじったイスラム哲学の「存在が花する」という言葉を思いだしていました。
    …略…
    「存在が花する」という言葉は、根底のところで溶け合ったものから目に見える形で姿を表したものが現実のさまざまな存在であるという、何かほっとさせる、永遠なる孤独はないと慰めてくれるような言葉です。

  • 佐藤氏は、ものが「実在する」ということを、「物理的にものが存在する(第一の実在)」と「認識の中で存在する(第二の実在)」と、「人間が社会的に受け継いできた言語、慣習といった社会的なもの(第三の世界の実在)」に分けて考えている。

    そのうえで、第三の世界というのは社会のみんなで合意する平均値のようなものであり、「その第三の世界に少しでも寄与する」ことが自分の科学者としての生きがいであると語る。

    科学でさえも、その時代によって移り変わっていく「第三の世界の実在」に属するもので、絶対的な真実を見つけるものではないと語る佐藤氏は、科学に生と死の意味を問うことは無意味と明快に言い切る。

    科学自体も絶対的な客観性を持っているものではなく、世界に対する一つの「見方」を提供するものであるという考え方自体は、科学論の中でよく言われることだと思うが、それを宇宙物理学や量子力学の内容を例に、しかもわかりやすく語るという芸当ができるのは、佐藤氏だけなのではないか。

    科学に対して冷静な態度を貫いているのに対して、人間社会に対しては強い期待を持っている佐藤氏の姿勢は、とても印象的だった。

    科学をシビリアンコントロールしながらも、そこからの知見をより良い人間社会に生かしていくということは非常に大切で、特に現代のように巨大科学技術が人間社会の隅々にまで影響を及ぼしているときに、みんなが心に留めておくべきことだと思う。

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著者プロフィール

1938年生まれ,1960年京都大学理学部卒業,1964年同大学院中退。1974―2001年京都大学教授,基礎物理学研究所長,理学部長を歴任。2001―2014年甲南大学教授。


「2014年 『林忠四郎の全仕事 宇宙の物理学』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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