本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
Amazon.co.jp ・本 (216ページ) / ISBN・EAN: 9784000068277
みんなの感想まとめ
言葉の使い方やキャラクターに結びつく特定の言い回しを探求する本は、読者に新たな視点を提供します。特に「役割語」と呼ばれる言葉遣いの起源や変遷について、著者は明確な論証を展開し、近世から近代文学、さらに...
感想・レビュー・書評
-
「武器としての日本語思考」新潮新書2026.2.18発売を偶然ネットで知り、検索つながりでこの本が出てきた。
博士、田舎者、大阪人、関西人、武家、男性、お嬢様、(日本語のへたな)中国人、など主に漫画や小説などで使われる、「役割」言葉について考察。
・・じゃ、・・だのう、・・ですわ、など漫画や小説などなんの違和感もなく聞き流していたが、この「役割語」は、言語上のステレオタイプ化だという。この言葉を使うことによって、登場人物の地位や思考が固定化される。言葉遣いに社会相が隠されている、新たな見方を知った。
ステレオタイプという概念は1922年の「世論」という本でジャーナリストのリップマンによって使い始められた。本能や文化によってあらかじめ用意されたカテゴリーに目の前の対象を当てはめること。対象を分類するのは、動物が餌かどうかを確かめるなど動物全般がもっていることだが、事、人間が人間を分類、カテゴリー化すると、とたんにさまざまな問題が出てくる。偏見や差別が出てくるのだ。
<博士ことば>
「鉄腕アトム」のお茶の水博士:親じゃと? わしはアトムの親がわりになっとるわい! アトムどうじゃ、人間のふりをして煙にとっつかれてみんか
「名探偵コナン」の阿笠博士:「ワシが世話を頼まれとったんじゃが、ワシも一人暮らしでなにかと大変なんじゃ」
そして「ちびまるこちゃん」のともぞうさん:「まる子のいうとおりじゃなあ。 ほんとにみんな お金をもらえるからはたらいとるしのう」
アトムとコナン、時代も異なるが同じような博士の言葉。そして、ともぞうじいさん、博士とおじいさんの言葉が似てる! しかし今の大学の老教授や、おじいさんでこういう言葉遣いをする人はいないだろう、という。
こういう言葉遣いは、漫画や子供向けの作品などでみられるという。
<お嬢様ことば> 女学生ことばとして広まる
「エースをねらえ」1973-80連載の富豪の娘、お蝶夫人:「欠点がよくわかってよ」「あたくしも賛成ですわ」
「・・てよ」「・・ですわ」この『でよだわ』言葉は現在は優しい、上品な言葉遣いとしてプラスの評価を与えられているが、明治20年から40年頃まで、文学者や教育者の間では下品な言葉として認識されていたという。だが、女学校を中心として若い女性に広がったとされている。
<異人のことば> 蔑みもみられる
のらくろ上等兵(1932) 海賊:「高いある、負けるある」
のらくろ武勇伝(1938) 豚1:「やっつけるよろし」「安全あるよ」
これは「アルヨことば」と言え、執筆年代が中国侵略の時代でもあり、日本人の中国人へのまなざしを如実に映し出している。
「役割語」の対極には「標準語」があり、読者は標準語を話す者に自己同一化するという。劇「夕鶴」では「つう」は標準語で、夫は「田舎ことば」
役割語は分かりやすく、使い手の人物像を瞬間的に受けてに伝えてしまう。だが「アルヨことば」などにみられるように、役割語の使用の中に、偏見や差別が自然に忍び込んでくる一面に気づくべきだ、という。アメリカ映画などで、変になまったジャパングリッシュをしゃべる、背の低いメガネをかけた日本人が出てきた時の気持ちを考えるべきだ、という。(しかし映画で使われたとして、英語自体よく理解できないから、なまっているかどうかさえ分からないのだが・・)
<ピジンpidginことば>
貿易港、居留地、プランテーションなどに集まった異なる言語の話者が、コミュニケーションの必要から作り出した混成的な言語のこと。ピジンの特徴として、もとの言語の文法が変形され、崩壊し、単純化される。「アルヨことば」は日本語の述語の活用や助動詞群を極端に単純化し「ある(よ・か)」の付加で代用している。
2003.1.28第1刷 2003.6.5第3刷 図書館詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
「そうよ、あたしが知ってるわ」
「そうじゃ、わしが知っておる」
「そや、わてが知っとるでぇ」
「そうじゃ、拙者が存じておる」
「そうですわよ、わたくしが存じておりますわ」
「そうあるよ、わたしが知ってるあるよ」
「そうだよ、ぼくが知ってるのさ」
「んだ、おら知ってるだ」
いずれも英語で言えば“Yes, I know.”だろうが、日本語を母語とする話者ならば、どんな人物が話しているのか、ほぼ言い当てられるのではないだろうか(順に、女の子、老博士、関西人、武士、お嬢様、男の子、田舎者)。
著者はこうした、特定のキャラクターと結びつく特徴ある言葉遣いのことを「役割語」と呼ぶ。具体的には、<お嬢様ことば><田舎ことば><博士語>などが挙げられる。
こうした言葉は、示されればどんな人物と結びつけられているかが思い浮かぶわけだが、では実際、そうした人が本当にこうした「役割語」を話しているかといえば疑問が生じる。「ごめん遊ばせ、よろしくってよ」というお嬢様や「そうじゃ、わしが博士じゃ」という博士が実在するわけではない。それなのになぜこうした「役割語」が定着しているのだろうか。
本書では、こうした「役割語」成立の歴史を探る。
こうした中で注目されるのは、「役割語」の発展と<標準語>の成立との関連である。<標準語>があるから、非<標準語>があるわけである。<標準語>が成立するのは明治維新以降で、江戸の方言が元になっている。江戸時代には、上方ではもちろん、上方言葉が主流だったわけで、もし上方言葉が<標準語>の元になっていたら、「役割語」の在り方も変わっていたのかもしれない。
今ある「役割語」は、おおむね、こうした<標準語>の成立以後に生まれたものと考えればよいのだろう。
興味深い指摘はいくつかあるが、物語の中で、ヒーローや主人公と見なされる人物は往々にして<標準語>を話すというのもその1つ。受け手が、主人公と一体化しやすくする仕組みと著者は指摘しているが、なるほどこれは一理あるかもしれない。
虚構の中で「役割語」を話す人物は得てしてステレオタイプ化されている。<田舎者>であるとか<博士>であるとか役割を明確にすることで、物語は展開させやすくなる。
とはいえ、役割も時代に合わせて変化していくもの。関西弁を話すキャラクターは、かつてはがめついとかお笑い好きといった属性を持つことも多かったが、現代ではそうでもなくなっている。
<お嬢様言葉>の典型的なものは、実は昔は上品な言葉とはみなされていなかったというのもおもしろいところ。「○○てよ」「○○だわ」などは花柳界や下層階級で使われる言葉が元になっているとして、明治期には非難されていたというのだ。それらが女学校や少女雑誌などで<女学生言葉>として広がっていく。やがて女学校自体はなくなるのだが、それでもこうした言葉はどことなく「お嬢様」のイメージがあるものとして生き永らえていく。
中国人が使うイメージの<アルヨことば>はどこかピジン(2ヶ国語が混合することにより生み出される通用語)的である。片言の日本語に「アル」や「アリマス」を付ける形のものは、中国人に限らず、西洋人も使っていたようだ。<アルヨことば>が中国人、特に「怪しい中国人」と結びつけられるようになるのは、おそらく、日清戦争など、日中関係の悪化に伴うものである。<アルヨ>=中国人のイメージが定着する陰には、偏見や差別の色付けもあった。
「役割語」は、わかりやすいがゆえに、そうしたものを無自覚に取り入れやすいことには留意が必要だろう。
気になるのは、こうしたヴァーチャル役割語は世界の他の言語にもあるのかという点だ。イギリスなどは、階級によって言葉が異なり、出身がわかってしまう(cf:『ピグマリオン』)というが、架空の人物に特徴的な言い回しをさせる、というのとはまた違うような気がする。『日本の小説の翻訳にまつわる特異な問題』で取り上げられていたように、会話文の話者の性別がわかるというのも少なくとも英語にはない特徴だろう。
一概には言えないのだろうが、日本語にはどこか「役割語」が生まれやすい素地があるのかもしれない。 -
たいへん面白かった。
普段「〜じゃのう。」、「〜ですこと。」のような「博士語」、「お嬢様語」を話す人はいない、お目にかからない。たぶん、みんなもそうだろう。(いや、現実にそんな言葉遣いをする人に会ったことがある人もいるかもしれないが)
筆者の論の進め方は明確。
「役割語」を紹介し、そこから出てくる問題提起を行う。
「いつから使われるようになったか?」など。
近世文学や近代文学、あるいは漫画につかわれているセリフ、他さまざまな資料を提示し、綿密に論証していく。
そして、根拠を提示し、自らの問題提起に対する結論を述べる。
日本語学について深く知ることもできたし、小論文の組み立て方・・現代文読解の方法にも役立つ本だと思う。
もちろん、日本語学が一番だが。
おすすめです。
「〜アルヨ語」についての論考は、目からウロコ。 -
「わしが博士じゃ」「あたくしがお嬢様ですわよ」などと
現実には決して使われてない、漫画などのフィクションのみ
に現れる、特定のキャラクターと結びついた言い回し、それ
がこの本で言うところの「役割語」である。当初タイトルと
紹介を見た時、オタク研究のようなある種「イロモノ」の
ようなイメージを抱いていたのだが、その実ごく真っ当な
日本語研究の本であり、これまでこの分野がきちんと研究
されていなかったことにある種驚きを覚えた。特に博士語の
謎解きは納得の内容であり、スリリングで興味深い読書
体験であった。
今流行りのマイクロアグレッションとも関係が無くは無い
この役割語という問題、著者の本をあと何冊かは追いかけて
みたい。 -
「役割語」の起源、変遷、存在理由が説明される。巻末の「附録」には、「ある特定の言葉づかい…を聞くと特定の人物像…を思い浮かべることができるとき、あるいはある特定の人物像を提示されると、その人物がいかにも使用しそうな言葉づかいを思い浮かべることができるとき、その言葉づかいを『役割語』と呼ぶ。」と定義されている。なるほど、「そうじゃ、わしが知っておる」なら老博士だし、「そうですわよ、わたくしが存じておりますわ」ならお嬢様に決まっている。中国人なら、「そうあるよ、わたしが知ってるあるよ」と言いそうだ。そんな言葉づかいをする老博士やお嬢様や中国人に会ったことがなくても(それどころか、そんな老博士、お嬢様、中国人が実在しなくても)、そう感じられるのはなぜか。そんなこと考えたこともなかったが、言われてみれば不思議な話だ。
-
#71奈良県立図書情報館ビブリオバトル「無」で紹介された本です。
2016.10.15
https://m.facebook.com/events/329197550768782/?acontext=%7B%22action_history%22:%22null%22%7D&ref_source=newsfeed&ref_mechanism=feed_attachment -
仕事の参考書。
なるほどと思うことと、そうなのかと思うことといろいろ。 -
≪博士語≫は≪老人語≫…、なるほど…
-
江戸時代から役割言葉があることに驚く。
女性が使う言葉(遊女)男性が使う言葉(武士)が、明治時代になり学校に様々な地域から集まる学生により、独自の言語が発達した感覚。
外国人(ここでは中国人)の言葉の簡略化と、外国人への侮蔑心。 -
-
言文一致したころにはもうすでに役割語が登場していたというのには驚き。敬語にも共通するけれど微妙な言い回しの違いが意味をもつ日本語ならではのものなのかも。役割語は、それが必要で有効だったからこそ、生まれ、発達し、ここまで生き延びてきたのだと思う。
-
ステレオタイプ=情報にあふれた生活を効率よく暮らしていくための認知の仕組み
└チョイ役には、約束事の記号的なセリフを言ってすぐ消えてほしい
(裏を返せば、こういうセリフの多い作品は人間性を描写しないB級作品)
ステレオタイプに関する知識が一定の感情と結び付くと『偏見』
その偏見が特定の行動と結び付いて、偏見を持たれた人間にとって不当な結果を招くとき、その行動を『差別』という。
ステレオタイプが強固だと、それに合わない対象を見ても「サブタイプ化」して処理しようとする。
上司語・老人語を使わされる人物は脇役?
a主人公に知恵と教訓を授ける助言者
b悪知恵で主人公を陥れる悪の化身
c老耄ゆえの勘違いや失敗を繰り返し主人公を混乱させたり和ませる調整役
標準語=ヒーロー語
関西弁=トリックスター
└巨大な自我をそぎ落とし主人公と読み手に現実を直視させる。我々があまりにも真剣になりすぎた時、我々の人格の一部であるトリックスターが躍り出て必要な視点を取り戻してくれるであろう。
アルヨ言葉=一種のピジン(pidgin)
└貿易港・居留地・プランテーションなどに集まったことなった言語の話者がコミュニケーションの必要からつくりだした混成語
キャラ語尾=現実には存在しないピジンを人工的に作り出したもの -
じゃよ、あるよ、なくってよ、など、日常では聞かないが劇中には出てくる役割語についての解説。
非常に古い文献まで遡り、何故その役割語が転用されることになったのか、文化成り立ちも含めた考察がされており非常に面白い。 -
この本は、以下のセリフは誰が言ったものかをあてる、こんなテストで始まります。
1 そうよ、あたしが知ってるわ
2 そうじゃ、わしが知っておる
3 そや、わてが知ってるでえ
4 そうじゃ、拙者が存じておる
5 そうですわよ、わたくしが存じておりますわ
6 そうあるよ、私が知ってるあるよ
7 そうだよ、ぼくが知ってるのさ
8 んだ、おら知ってるだ
選択肢
・お武家さま
・(ニセ)中国人
・老博士
・女の子
・田舎者
・男の子
・お嬢様
・関西人
日本語を母語として生活していれば難しくありませんが、著者が言う通り、考えてみるとこれは不思議なことです。
実際にこんな風に話している人はほぼいない、それなのに、子供も含め、こうした言葉づかいをみんな当然のものとして了解しているからです。
著者は、ある特定の言葉づかいを聞くと特定の人物像を思い浮かべることができる、特定の人物像を提示されると、その人物がいかにも使用しそうな言葉づかいを思い浮かべることができる、こうした、現実ではない仮想=ヴァーチャルな言葉づかいを役割語と定義し、「ステレオタイプ」「標準語」をキーワードに、その背景にあるものを読み説いていきます。
現実にはない博士語、老人語がそれらしく感じられるのはなぜか、鉄腕アトムのお茶の水博士、ポケモンのオーキド博士は「~じゃ」という博士語で話すのに、鉄人28号の敷島博士、Dr.スランプの則巻千兵衛はなぜそうでないのか、「風と共に去りぬ」では、主人公の言葉と黒人侍女の言葉はどのように訳し分けられているか等、興味深い話題が満載です。
そういえば、歌に当たり前に出てくる「きみ」って、本当は言わないよなとか、「悲しい色やね」って、どんな効果を狙って舞台を大阪にして、関西の言葉で書いたんだろうとか、いろいろ考えたくなる本です。 -
2015年11月29日に開催されたビブリオバトルinいこまで発表された本です。テーマは「ミステリー」。チャンプ本!
-
ちょっと眠くなる本だけど、日本語の勉強をしてる人、日本語表現について考えてる人はおすすめ。
役割語に関して詳しく書かれており、自分が普段しゃべっている言葉や、TV等で耳にしている言葉について考えるようになった。なんで博士は「~じゃ」としゃべるのか?本当の博士はそんなしゃべりかたするのか?
考え出すと止まらなくなってきます。 -
「博士っぽい言葉」や「アルヨことば」を、「役割語」として捉えるのは面白いと思った。それから、役割語をペルソナとして利用するというのには、とくに納得がいった。たしかに…あたくしにも、お嬢様になりたいと思って、わざとお嬢様ことばを使うことがありましてよ。
-
お茶の水博士を代表とする「博士語」のように、現実世界で喋る人がいないのに日本語を母語とすれば容易に人物像を描ける「役割語」を提案する本。
小説において、読者が方言話者であっても、自然に感情移入できるのは標準語を話す登場人物であるという指摘が興味深い。方言を話す登場人物はステレオタイプが対応付けられてしまう。なるほど。 -
船橋図書館
この本が好きな人におすすめの本
著者プロフィール
金水敏の作品
本棚登録 :
感想 :
