忘れられた日本人 (ワイド版岩波文庫 160)

著者 :
  • 岩波書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (334ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784000071604

感想・レビュー・書評

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  •  司馬遼太郎さんのエッセイからこの作家に行きつきました。民俗学というものを初めて読みました。面白かったです。こんなのがあと何十冊もあるのかと思うと、うれしいです。 
     子供のころ、もっと祖父母の話を聞いておけばよかった、と思いました。

  • 有名な書だけあり、面白く読める。現在の民俗学愛好家が好きな視点の原点だろう

  •      -2007.09.22記

    民俗学の泰斗宮本常一は、日本常民文化研究所にあって戦中から戦後の高度成長期まで全国各地をフィールドワーク、貴重かつ膨大な記録を残した。本書はその代表的な古典的名著。俳優の坂本長利が一人芝居で演じてよく知られた「土佐源氏」も収録されている。
    「対島にて」や「女の世間」、それに「世間師」など、すでに消え果ててしまったこの国の下層の民の暮らしぶりを生き生きと伝えて興味尽きないものがある。放浪の旅に明け暮れた山頭火の日記を読んでいると、旅先で世間師たちと泊まり合わせたことなどがよく出てくるのだが、それに思わぬ肉付けをしてくれてイメージ豊かになったのも収穫の一。
    各地をめぐり歩いて1200軒余りもの民家に宿泊したとされる宮本常一は1981-S56年に鬼籍の人となるが、その活動の拠点たる日本常民文化研究所は網野善彦らの強い薦めで、翌年の82-S57年、神奈川大学の付属機関として継承されている。その網野善彦が本書の解説のなかで、宮本の自伝的文章の「民俗学への道」や「民俗学の旅」を引きつつ、宮本民俗学の特質と射程のひろがりを説いている。

    以下は、宮本常一の死の3年前-78年に書かれた自伝的エッセイからの一節。
    「私は長い間歩きつづけてきた。そして多くの人にあい、多くのものを見てきた。-略- その長い道程の中で考えつづけた一つは、いったい進歩というのは何であろうか。発展とは何であろうかということであった。すべてが進歩しているのであろうか。-略-
    進歩に対する迷信が、退歩しつつあるものをも進歩と誤解し、時にはそれが人間だけではなく生きとし生けるものを絶滅にさえ向かわしめつつあるのではないかと思うことがある。-略-  進歩のかげに退歩しつつあるものを見定めてゆくことこそ、われわれに課されている、もっとも重要な課題ではないかと思う。」

         -2016.01.09記
    宮本常一の「土佐源氏」が初めて世に出たのは
    1959-S34-年の秋に刊行された「日本残酷物語」シリ-ズの第1巻「貧しき人々のむれ」に所収され
    その表題も「土佐檮原の乞食」というものであった。
    書注によれば、この聞き書は出版から20年以上も前のこと、とあるから
    著者とこの語り手たる盲人の乞食との出会いは1940-S15-年以前になる
    ならば、当時80過ぎだったという彼の生まれは1860年以前、江戸幕府の安政期あたりか
    「泰平の眠りを覚ます上喜撰=蒸気船 たつた四杯で夜も眠れず」と狂歌に謡われた
    アメリカのペリー提督が浦賀に来航し、世情騒然としたなかで
    日米和親条約が結ばれたのが1854-安政元-年
    以後、雪崩を打って幕末の動乱から明治維新へと時代が移りゆくが
    彼の幼少年期は、そんな動乱の世の鄙の地にあったということだ
    降って、山本安英らの「ぶどうの会」解散後、劇団「変身」に拠った役者の坂本長利が
    一人芝居「土佐源氏」を初演したのは1967-S42-年で
    以後1172回の上演を数え、現在も続けられているが
    初演の折、聞き書き「土佐檮原の乞食」から「土佐源氏」へと表題を変貌させたのは
    著者宮本常一によるものであったか、あるいは坂本長利の発案であったか
    この点については私の与り知るところではない。

  • 対馬旅行の調査資料。

  • 昔の生活。テレビもスマホもネットも不要。そんなのが無くても十分楽しくきっと充実している生活の切り取り。なんてことない無名の人の生活。でもどんどん読み進めたい。もしかしたら自分の深い所に断片が残っているのか。そんなことを考えさせられた。

  • 内田樹推薦。

  • 「土佐源氏」の本編は簡潔だが、リアリティがあり、ほのぼのとした明治時代の愛媛の情景が思い浮かぶ。「対馬にて」は道を歩きながら歌を歌うのは、自分のありかを示すためだったとの生活の知恵を語る老人。「女の世間」は田植えの際にエロ話を語る40前後の女たちの健康な姿。「梶田富五郎翁」は昭和25年に80歳を過ぎていた対馬のある村の開拓者の語り。そして「私の祖父」は筆者自身の祖父・宮本市五郎との小動物に関する思い出の紹介など、古老たちの語りを通して日本の失われた近過去の麗しさを楽しめた。

  • 日本という国が好きになる本。政治的な意味では無く。宗教的な戒律に縛られなかった日本は、清濁併せ持つ、非常にバランスのとれた、自由で豊かな国だったんだなあと思います。その豊かさのごく一部でも現代の日本に取り戻せないものかと、夢想しました。

  • 私の祖父 を読んで、通学中の電車で泣きました。

  • 名もなき人のナマの言葉の記録。宮本常一の代表作。
    途中、奇兵隊の話題が出てきてびっくらこいたー!立石&楢崎の騒動を、土地柄からくる百姓の気風で見るという目線が、
    ふだん政治史ばかり追っている私には新鮮なのでした。

    つづけて島崎藤村の『夜明け前』を読もうかなと思った。

  • 高速道路でびゅんびゅん飛ばす脇をふと見やると
    うっそうと茂る森。山。
    たとえばこんなところでぽいっと降ろされたら
    迷子になるどころか
    生きて帰れる気がしない。

    宮本常一の『忘れられた日本人』
    日本全国を歩いて人々の生活を、その身を通して体験し、伝える地道な民俗学者。

    対馬、伊奈での調査を終え、佐護へ行く宮本さんに
    用事をすませた男たちが、馬に乗せて送ってやるという声を辞退して、じゃあ荷物だけとお願いしひとり山道を歩く。
    道を歩くが、二股の細い方が本道だったりして、馬蹄のあとを探りさぐり、しかも木が覆いかぶさっていて見通しが悪い。
    どこかでおおいと呼ぶ声で、ようやく男たちに合流したが、
    よぉこんな道、簡単には進めんやろうなどと聞くと
    声をたてるのだ
    と言う。
    歌を歌うのだ
    同じ山の中にいるものなら、その声をきくとあれは誰だと分かる
    相手も歌い
    こちらも声をかけておく
    それだけで相手がどの方向へ何をしに行きつつあるかくらいは分かる
    行方不明になっても誰かが歌声をきいていれば
    どの山中でどうなったかくらいは想像つく
    と言う。

    そんな
    そんな心もとない方法で!
    と思うがそれがはるかな大地で生きる方法なんやろうかな
    いまよりずーっとずっと敏感な感覚で、この身ひとつで獣道をかき分けて来た山の景色をながめていると
    忘れていた感覚がよみがえるような気がする。

    その歌は追分のようで、
    宮本さん曰くは、松前追分や江差追分のように抑揚ある洗練されたものではなく
    もっと素朴な、馬方節のような追分であるらしい。

    遊びもないから、とおくのほうまでよばいに行く
    台所なんかに若い者が寝ているので納戸で寝てる親を起こさないよう、敷居に小便かけると、きしまない。
    帯を巻いて転がし、その上を歩くと板の間も音がしない。
    娘と男を髪とにおいで見分けて、今とちごうてずろおすなどもしておらんから、、、
    なんてその先はおっと。

    メシモライというて、5つ、6つくらいのみなしごで、漁船に乗せられて仕事もせんで遊んでればよかった

    なんちゅうことを聞けば聞くほど、まるで異国の語りぐさ。
    そんな時代を知っている人も、もうどんどんいなくなる。
    こういう生活を、高速道路でぴゅんぴゅんワープして、まったく忘れてしまったんやなあと思う。

  • 古き良き時代の、農民たちの倹しいながらも生き生きと暮らすさまが、著者が日本を歩きまわって実際に老人たちから聞いてきた話を通して、見事につづられている。
    物質的に恵まれていることが必ずしも幸せなのではないと痛感させられる良書。

    解説で、著者の自叙伝「民俗学の旅」から引用されている文章に、著者が取り組んできたことの全てが語られていると思った。解説を書いた網野善彦氏も「これはまさしくわれわれ、現代の人間につきつけられた課題そのものといってよい」と書いている。

    その文章とはこちら。
    「私は長い間歩き続けてきた。そして多くの人にあい、多くのものを見てきた。(中略)その長い道程の中で考えつづけた一つは、いったい進歩というのは何であろうか。発展とは何であろうかということであった。すべてが進歩しているのであろうか。(中略)進歩に対する迷信が、退歩しつつあるものをも進歩と誤解し、時にはそれが人間だけではなく生きとし生けるものを絶滅にさえ向かわしめつつあるのではないかと思うことがある。(中略)進歩のかげに退歩しつつあるものを見定めてゆくことこそ、われわれに課されている、もっとも重要な課題ではないかと思う」

  • 民俗学者による、日本にひっそりと残るいにしえの姿を記した書。特に「土佐源氏」などは、凡百の小説を蹴散らす迫力とリアリティに満ちている。ちなみに、彼が日本中を取材して撮影した写真もすばらしい。私も彼に肖ってオリンパス・ペン(デジカメのほうだけど)を持ち歩いています。
    (2010:柳田洋夫先生 推薦)

  • とても面白い。
    哀しき熱帯のように、深い海の底に1人で座って本を読んでいるような
    なんとも心穏やかな気分になる。
    この宮元常一さんという人は、交通の便も悪い頃に方々を歩き、本当にたくさんの話を聞いて、学問をした人ですね。

  • 村の、浜の、山の老人に訊ねる生活誌。本の初版は1960年。収録されている談話は戦中のものが多いみたい。
    それを当たり前のものとして生きている人の感覚に没入しそうにして読みました。ま、その人たちが昼日中からうちで本読んでるわけはないんだけども。

    「自然の美に親しみつつ、自分の土地を耕しつつ、国民の大切の食料を作ってやる、こんな面白く愉快な仕事か他に何があるか、年が年中降っても照っても野良仕事と云うけれども、百姓ほど余裕の多い仕事が他に何があるか、一旦苗代に種を播いたら植付までの約二ヶ月は温泉行、御本山参り、さては親戚訪問出来得るのは百姓ではないか、植付を終わって朝草を刈り牛を飼ったら昼寝をゆっくり出来得るのは百姓ではないか、秋収穫を終え、籾を櫃に納め置き炉辺にほたを燃やしつつ藁細工に草履の二三足も作って其の日を送り、また仏寺に参詣して作り自慢を戦わしつつ、ほとんど三ヶ月の呑気暮らしのできるのは百姓でなければ真似の出来ないことではないか」

    私の知らない世界。本当にかけらもわからない世界なんです。

  • 読みやすい聞き書きと解説少し。

     年寄りが社会で果たしていた役割/角が立たないようにしながらも、互いの意見を取り入れてまとめていく寄り合いの機能/食べていくのが精一杯、という生活

    人々が手に入れたものと、失ったもの。

    おじいさんのお父さんが子どもだったころの話。こんなに違う。あたりまえはあたりまえではないということ。

  • 江戸時代末期から昭和の初めまで、じいちゃんたちの話。

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著者プロフィール

1907年(明治40)~1981年(昭和56)。山口県周防大島に生まれる。柳田國男の「旅と伝説」を手にしたことがきっかけとなり、柳田國男、澁澤敬三という生涯の師に出会い、民俗学者への道を歩み始める。1939年(昭和14)、澁澤の主宰するアチック・ミューゼアムの所員となり、五七歳で武蔵野美術大学に奉職するまで、在野の民俗学者として日本の津々浦々を歩き、離島や地方の農山漁村の生活を記録に残すと共に村々の生活向上に尽力した。1953年(昭和28)、全国離島振興協議会結成とともに無給事務局長に就任して以降、1981年1月に73歳で没するまで、全国の離島振興運動の指導者として運動の先頭に立ちつづけた。また、1966年(昭和41)に日本観光文化研究所を設立、後進の育成にも努めた。「忘れられた日本人」(岩波文庫)、「宮本常一著作集」(未來社)、「宮本常一離島論集」(みずのわ出版)他、多数の著作を遺した。宮本の遺品、著作・蔵書、写真類は遺族から山口県東和町(現周防大島町)に寄贈され、宮本常一記念館(周防大島文化交流センター)が所蔵している。

「2022年 『ふるさとを憶う 宮本常一ふるさと選書』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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