コーラン 上 (ワイド版岩波文庫 239)

  • 岩波書店 (2004年4月16日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (312ページ) / ISBN・EAN: 9784000072397

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  • 一,開扉
    汝をこそ我らはあがめまつる、汝にこそ救いを求めまつる。
    願わくば我らを導いて正しき道を辿らしめ給え、
    汝の御怒りを蒙る人々や、踏みまよう人々の道ではなく、
    汝の嘉し給う人々の道を歩ましめ給え。

    二,牝牛
    彼らに向って「地上で悪いことばかりするな」と言えば、彼らは「なにわしらは世の中を善くしようとしているだけだ」などと言う。何んの、何んの、彼らこそ世の中を堕落さす者どもだ。だが自分ではそれに気付いていない。

    信仰なき者どもの目には、この世は絢爛として映ずるので、彼らは信仰深い人たちを嘲笑する。だが敬神の心厚き者こそ、よみがえりのその日には彼らの上に立つ。

    三,イムラーン一家
    信仰なき者どもが国中を大きな顔して動きまわっているのを見て思い違いしてはいけない。あれはほんの束の間の楽しみのみ。いずれ落ち行く先はジャハンナム、それはまたいともおぞましい寝床となろう。

    忍耐強くあれ。互いに忍耐を競い合え。己が護りを固うせよ。アッラーを畏れかしこめ。さすれば汝らやがて栄達の道に行くであろう。

    四,女
    お前はさっさと彼らから離れて、警告してやるがよい。胸にぐさりと突き刺さるような言葉を言ってやるがよい。

    一体どうしたことぞ、この人々のなにを聞いても殆んど理解できないとは。
    我らはお前を使徒として人々に遣わした。証言はアッラーだけでこと足りる。
    もしアッラー以外のものから出ているのだったら、いろいろ矛盾が見つかるはずではないか。

    立ちながらでも、坐りながらでも、また横になっている時でも常にアッラーを念ずるようにせよ。安全な場合はいつでも礼拝を守るようにせよ。

    決して裏切り者たちの弁護人になってはならぬぞ。
    また、われとわが身を裏切る者どものために弁論したりするのもいけない。アッラーは罪深い裏切り根性の人を好み給わぬ。彼らは人間の目はごまかせるが、アッラーの目はごまかすわけには行かない。

    お前にしてもアッラーのお恵みとお情けがなかったなら、彼らの一部の者にあやうく迷わされてしまうところだった。だが結局彼らは自分自身を迷わすだけのこと、お前に害など絶対にさせるものか。
    彼らもいろいろとお互いだけで話し合ったりしておるようだが、大部分は何の役にも立ちはしない。

    シャイターンは人にいろいろと約束し、その欲情を煽り立てるけれど、彼の約束することはどれもみな誑りばかり。人々の行きつく先はジャハンナム、逃げようにもすべはない。

    信仰を拒否し、その上アッラーの道に入ろうとするのを邪魔だてするような者は、まことに、取り返しのつかないほど迷いの道に深入りした人々。
    どうせ連れて行かれる先はジャハンナム。そこに永久に住みつくことになろう。

    五,食卓
    いいかげんな嘘言にばかり耳を傾け、違法の利稼ばかり食っておる彼ら。それでももし彼らがお前のところにやって来たら、裁いてやれ。だがそ知らぬ顔してやってもかまわない。

    いかに彼らが戦争に火をつけようとしても、その度ごとにアッラーが消し止めておしまいになる。
    神様から啓示されたことを人々に伝達せよ。
    みなから害されないようにアッラーがお前をしっかり守っていて下さる。信なき者どもをアッラーが導き給う筈がない。

    六,家畜
    魂を喪失してしまった人々であってみれば、どのみち信じはしなかろう。
    『お前だけは邪宗徒の一人になるなよ』

    彼らの中にもお前の言葉を聴きにやって来る者もある。だがその心には我らが蓋をして理解できないようにしておいたし、耳は鈍くしておいたから、目のあたり神兆を見ても信仰しようとはしない。
    現世の生命、ほんの遊びごと。ただ束の間のたわむれにすぎぬ。終の住処の方が、神を懼れる人々にとっては、どれほど有難いことか。汝ら、これくらいのことがわからないのか。

    お前より以前にも沢山の使徒が嘘つき呼ばわりされた。だが、いくら嘘つき呼ばわりされても、散々いためつけられても、みなよく辛抱し通して、ついに我らの救助を得た。
    我らの示す神兆の数々を嘘よばわりするような者は、みな暗闇の中にいる盲と聾。アッラーは誰でも御心のままに迷わせ、また誰でも御心のままに正しい道に導き給う。

    「わしは目に見えぬ世界のことは何も知らん。また、わしは自分が天使だなどと言ってはいない。わしはただ啓示の導きのままに歩いて行くのみ」

    「わしはお前たちのいいかげんな思惑に乗せられはせぬ。万が一、そのようなことがあれば、わしは道に迷った人間。正しい道を歩む人間ではない」

    我らはどの予言者にも同じように敵をつくっておいた。

    七,胸壁
    お前は寛大を旨とし、善行を勧め、わけ知らずな者どもから身を引いておれ。
    シャイターンの惑わしに襲われたと感じたらすぐ胸に念じさえすれば、たちどころに目が開ける。

    八,戦利品
    アッラーと使徒の呼び掛けに応ぜよ。汝らを生命の道に呼び寄せようとしておられるのだぞ。

    汝ら、自分の家を出ると、さも人に見てくれがましく、ふんぞりかえって歩き廻り、アッラーの道を阻害するあの人々のまねしてはならぬぞ。

    九,改悛
    信仰に入り、家郷を棄て、己が財産と生命を擲って奮闘してきた人々の方が、アッラーの目から御覧になれば確かに段が上である。そういう人々こそ最後の勝利者。

    「我々にふりかかって来るものは、すべてアッラーが特に定め給うたものばかり。彼こそ我々の守護者。されば信者たるものはみなアッラーにこそ一切をお委せ申すべきだ」

    喜捨の用途は、まず貧者に困窮者、それを徴集して廻る人、心を協調させた人、奴隷の見受け、負債で困っている人、それにアッラーの道、旅人、これだけに限る。

    汝らは、昔の人が下らぬお喋りに時を浪費したのと同じように下らぬお喋りに時をすごす。しかし、彼らのしたことは現世でもまた来世でも全部空しかった。

    彼らの財産や子供を羨ましがることはない。アッラーは、ああいうものを使って彼らを現世で散々悩ました上、彼らが信仰もないままでいるうちに魂が出て行ってしまうようにしようと考えていらっしゃるだけなのだから。

    改悛する人々、崇める人々、ほめ讃える人々、断食し精進する人々、跪く人々、善を勧め悪を抑える人々、アッラーの戒めをよく守る人々…すべて信仰深い人々には、お前から喜びの音信を伝えてやるがよい。

    汝らの身近にいる無信仰者たちに戦いを挑みかけよ。彼らにおそろしく手ごわい相手だと思い知らせてやるがよい。アッラーは常に敬神の念敦き者とともにいますことを忘れるでないぞ。

    「アッラーさえあれぼもうそれで充分。そのほかには神はない。彼こそ唯一の頼り。彼こそは偉大なる王座の主」

    十,ユーヌス
    我らとの出遇いを望むことなく、ただ現世の生活で満足し、その中にいい気持ちでひたり込んでいる人々、そしてまた我らの与える徴に無関心な人々、そういう人々の落ち付く先は劫火。

    お前はただ自分に啓示される通りにしておればよい。忍耐せよ。そのうちアッラーが裁いて下さろう。

  • 初読。最新の世界宗教にして最古のカルト宗教。原典にあたればもう少し寛容なのかと思えば、恐怖で縛り、敵への攻撃をけしかけ、思考停止を迫る、エッセンスはまさに洗脳のそれ。この先、トーンが変わっていくらしいのだがはてはて。

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著者プロフィール

1914年、東京都生まれ。1949年、慶應義塾大学文学部で講義「言語学概論」を開始、他にもギリシャ語、ギリシャ哲学、ロシア文学などの授業を担当した。『アラビア思想史』『神秘哲学』や『コーラン』の翻訳、英文処女著作Language and Magic などを発表。
 1959年から海外に拠点を移しマギル大学やイラン王立哲学アカデミーで研究に従事、エラノス会議などで精力的に講演活動も行った。この時期は英文で研究書の執筆に専念し、God and Man in the Koran, The Concept of Belief in Islamic Theology, Sufism and Taoism などを刊行。
 1979年、日本に帰国してからは、日本語による著作や論文の執筆に勤しみ、『イスラーム文化』『意識と本質』などの代表作を発表した。93年、死去。『井筒俊彦全集』(全12巻、別巻1、2013年-2016年)。

「2019年 『スーフィズムと老荘思想 下』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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