アイヌ神謡集 (ワイド版岩波文庫 317)

  • 岩波書店 (2009年12月16日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (192ページ) / ISBN・EAN: 9784000073172

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  • 過日、札幌を訪れる機会があった。北海道大学総合博物館の一角に、知里真志保のアイヌ語研究コーナーがあり、「知里」という名字に見覚えがあるような気がした。しばらく前にどこかで見かけていた知里幸恵の弟にあたる人だった。

    リストに入りっぱなしだった本書を読んでみることにした。

    アイヌの少女、知里幸恵が、アイヌに古くから伝わる神謡(カムイユーカラ)をアイヌ語で書き起こし、さらに日本語訳を付けたものである。幸恵の祖母はユーカラの語り手であり、一方で、幸恵は函館や旭川で日本語の読み書きを学び、両方を理解することが出来る立場にあった。
    アイヌ語は文字を持たないため、表記はローマ字でされている。左にアイヌ語、右に日本語とほぼ対訳形式になっている。
    (おそらく本書で最も有名な)「銀の滴降る降るまわりに 金の滴降る降るまわりに」というフレーズは、アイヌ語では

    Shirokanipe ranran pishkan
    konkanipe ranran pishkan

    となる。

    ここに出てくる神々は、ときに、動物の姿をしている。
    神々が自ら、自分の経験談を語り、最後に「~と○○の神がいいました」というスタイルが1つの定形であるようである。
    「と言って死にました」と遺言にあたるもののようなときもある。馬鹿な悪戯をして「つまらない死方、悪い死方」をしたが、子孫たちはどうぞ真似しないように、と戒めるものもある。気の毒なのだが、どことなくユーモラスである。

    鳥でも獣でも、普段は人間のような姿で暮らしており、人間のいるところに出てくるときには、動物の冑をまとうのだという。死んだときにはその魂は耳と耳の間にいるらしい。
    狩りをしたら獲物をきちんと祭り、神には捧げ物(御幣)をしなければならない。
    死生観や、神や人や動物を取り巻く世界観が興味深い。
    アイヌ語の音はローマ字から想像するしかないのだが、「謡」というだけに、リズム感のあるものなのだろうか。メロディもつくのだろうか。このあたりは機会があればCDなどを当たってみたい。

    巻末には幸恵を見出した金田一京助と、その京助に師事した弟の真志保の解説が付く。真志保はアイヌ語専攻の言語学者で、東京帝国大学で博士号を取得した後、北海道大学で教鞭をとり、後に名誉教授になっている。学問に関してはかなり峻厳だったようである。

    金田一京助の東京宅で、幸恵は本書の執筆に当たる。
    幼い頃から心臓病を患っていた彼女は、本書を書き終えた後、19歳で早世する。
    彼女は名前の通り、幸に恵まれたのだろうか。
    大きな仕事をなしおえて、その魂は、静かに歌を歌いながら、北の大空を旋回しているだろうか。


    *青空文庫にもあるが、並べて見ることが出来る点で、書籍版の方が読みやすいと思う。

    *『注解 アイヌ神謡集』には単語単位で細かく注があるようだ。機会があれば手に取ってみたい。

    *『日本の昔話4』、『5』にはアイヌの昔話がいくつか採られていた。こちらは萱野茂の再話を元にしている。

    *ワイド版を借りたのはたまたまです(^^;)。でも老眼予備軍にはこちらの方が読みやすいかもしれません(^^;)。

  • アイヌ文学を初めて紹介した本で、わずか19歳で亡くなったアイヌの少女・知里幸恵の唯一の著書である。1923年という今から百年前の出版でありながら、「その昔この広い北海道は、私たちの祖先の自由の天地でありました」で始まる序と、「銀の滴降る降るまわりに、金の滴降る降るまわりに」と歌いだす神謡(ユカラ)の数々は、今も私の心を打つ。

  • 【由来】


    【期待したもの】

    ※「それは何か」を意識する、つまり、とりあえずの速読用か、テーマに関連していて、何を掴みたいのか、などを明確にする習慣を身につける訓練。

    【要約】


    【ノート】


    【目次】

  • シマフクロウ神が自らをうたった謡「銀の滴降る降るまはりに」が有名。アイヌの伝承を知る貴重な資料である。

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著者プロフィール

1879(明治12)年
6月25日、幸恵の母ノカアンテ(ナミ)、北海道幌別村のカンナリ・ハエリリ(金成恵里雄)とモナシノウク(茂奈之)の娘として生まれる。ナミは姉のイメカナ(1875年生まれ。マツ)とともに早くから函館に出て、英国人宣教師ジョン・バチラーの創立した愛隣学校に修学。日本語・英語を習い、敬虔なクリスチャンであった。
1884(明治17)年
4月15日、幸恵の父の高吉、北海道登別村のチリパ・ハエプト(知里波ヱ登)と加之の息子として生まれる。
1902(明治35)年
4月、知里高吉と金成ナミ結婚する。
1903(明治36)年 0歳
6月8日、幸恵生まれる。
1904(明治37)年 1歳
幸恵の祖父ハエプト、熊狩りの仕掛矢(アマッポ)に誤あたり死亡。その時、父高吉は日露戦争に出征中であった。
1909(明治42)年 6歳
2月24日、弟真志保生まれる(旧制一高、東京帝大出身、アイヌ語を研究する言語学者となる。『分類アイヌ語辞典』など著作集六巻がある)。この秋、幸恵は旭川近文の聖公会伝道所にいる金成マツのもとに領けられる。伯母マツ(金田一京助『アイヌ叙事詩ユーカラ集』の伝承者)とナミやマツの母であり、金田一京助をして”私が逢ったアイヌの最後の最大の叙事詩人ユーカラクル〃

「1992年 『銀のしずく』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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