ドン・キホーテ (後篇3) (ワイド版岩波文庫 334)

  • 岩波書店 (2011年2月16日発売)
4.25
  • (2)
  • (1)
  • (1)
  • (0)
  • (0)
本棚登録 : 15
感想 : 3
サイトに貼り付ける

本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています

Amazon.co.jp ・本 (448ページ) / ISBN・EAN: 9784000073349

みんなの感想まとめ

人間の狂気や希望、そして絶望が織り交ぜられた物語が展開され、心の美しさや徳の重要性が深く問いかけられます。登場人物たちの繊細な心情と、彼らが直面する現実の厳しさが、読者に深い感動を与えます。特に、サン...

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 「いいかね、おいらの大事な旦那様、この世で人間のしでかす一番でかい狂気沙汰は、別にたいした理由もなければ誰に殺されるってわけでもねえのに、ただ悲しいとか侘しいとかいって死に急ぐことですよ。」

    悪戯とドッキリがなかびくにつれて、とても辛くなってきてしまった。希望の光のなかにいたあとに訪れる暗がりが、どんなに漆黒の絶望にかんじることだろうと。けれどセルバンテスはサンチョにそんな絶望をあたえなかった。幸せとはなにかを問うて、その道標を照らしてくれた。そしてふと気がついた。少しづつ、心が洗われていっているような心地がすることを。
    贋作の続篇へのディスもおもしろい。とりわけアルティシドーラの地獄の入口でみた、という作り話がとてもすきだった。悪魔たちのテニス。憎き贋作の続篇の内容すらも、じしんの物語としてしまう、最高の仕返し。
    なんて凄まじい小説なのだろう。極上のエンターテインメントでありやわらかい説教であり、優しさと美しさで彩られ、ちょっぴり偏屈で機知に富んだ唯一無二の書物、なのじゃないだろうか。
    あと、ロバのでてくる映画にははずれはないけれど、これもまた、愛すべきロバ作品でもある、なんてかってに幸せ。
    しばらくドン・キホーテ ロスにおちいりそうだけれど、もうすこしおばあちゃんになったら、またかならず会いにゆきます。




    「心の美しさは、知性、慎ましさ、礼儀作法、寛大さ、上品な立居振舞いなどに顕著に現れるものであり、こうした美点はすべて醜男にもありうるし、あってもいっこうにかまわぬ。」

    「これが世のすべての悪徳領主たちの成れの果てさ。つまり、この罰あたりが、死ぬほど腹をへらし、血の気を失い、僕のにらむところ、どうやら一文無しで、奈落の底から引きずり出されたように、領地から出てくるってわけさ。」

    「お前の良心にやましいところさえなければ、人にはなんとでも言わせておけばよい。」

    「お供をしているわれわれも、あんたが言うような愚か者ではない。徳というものは、どこにあっても称えられてしかるべきなんだから。」

    「とにかく書いたりうたったりしさえすれば、それがいかに愚劣な作品であっても、世間で詩人として認められるんですよ。」

  • ような一節がある。
    「…ドン・キホーテの優れた思慮と狂気の混交を目のあたりにして、驚嘆を新たにした」182p<59章> こうした言葉もその一例であるが、後篇では、ドン・キホーテの知性、教養人である描写が濃くなっている。ドン・キホーテ自身が滔々と語る内容は論旨明快であり、神学やギリシアローマ文学の教養なども織り込まれ、一級の教養人の感を抱かせるのであった。

    「後編」は「贋作ドン・キホーテ」をより意識した展開が目立つ。否 意識というよりも「贋作」を前提にして、贋作の要素を大胆に引用してくる。

    ある旅籠屋では隣室の旅人達が「贋作」を朗読し始め、ドン・キホーテがそれを聞いて憤慨(172p)。贋作の愛読者たるその貴人に対話を求める<59章>。この場面でドン・キホーテは、「贋作」でのドン・キホーテ主従はサラゴサに向かったと聞き、旅の目的地をサラゴサからバルセロナに変更してしまう。
    かような具合で「贋作」を前提にしてゆく展開が相次ぎ、その大胆で自由な書きぶりに驚愕する。
    さらには、こんな驚きの展開も。ある旅籠屋でドン・キホーテはある紳士に出あう。そして「あなたは(あの贋作である)…続篇に登場する、あのドン・アルバロ・タルフェ殿に違いないと思いますが、いかがですかな?」と訊く。贋作中に登場するタルフェなる人物を"元祖の後編"に登場させてしまっているのだ。<72章>

    前巻から登場している公爵夫妻が引き続きドン・キホーテ主従の道行に絡んでくる。今回は武装集団が街道でドン・キホーテ主従を取り囲み、半ば拉致する形で公爵夫妻の居城に連行、またもや大仕掛けなドッキリの舞台にドン・キホーテを放り込む。公爵夫妻は狂人としてのドン・キホーテをからかいもてあそぶことにすっかり夢中になっているのだ。<68-70章>
    他にも、ドン・キホーテがバルセロナ市街の大通りを歓待され騎行する場面がある。この時など、ドン・キホーテは背中に「 私の名はドン・キホーテ… 」なる「 紙 」を貼り付けられる悪戯をされる。かようにドン・キホーテをからかう不届きものの所業が目につき、読んでいてあまりいい気持ちがしないのであった。

    さて、本巻ではバルセロナ沖でガレー船に乗り込む場面がある。奴隷の漕ぎ手が船を進める軍船なのだが、文学作品でそのディテールを読むのは初めて。作者セルバンテス自身が実際に捕虜としてガレー船に乗っていた経験があるらしく、そのためこのガレー船のくだり、なかなかの臨場感がある。

    「ドン・キホーテ」は斯様に、歴史上のディテールが豊富に散りばめられている。単にふんわりした空想的な文学でなく、世界史的な生々しい事情も織り込まれているのだ。例えば「レコンキスタ」の後もスペイン各地に「モーロ人」が残留して居り、表面上は回教徒からカトリックに改宗していたが、後に国王により完全追放の政策が取られたという。その辺の事情に翻弄された者も描かれていて興味深い。
    他にも、ドン・キホーテが、ある「印刷所」を見学するくだりも興味深い<62章>。17世紀初頭の出版社・印刷所の雰囲気や出版事情を紹介した文学作品など、他にあっただろうか。しかもこの場面でも、ドン・キホーテは「贋作ドン・キホーテ」批判をしていて、尚更面白い。

    終章間際、ドン・キホーテは急に寝込んでしまい程なく息を引きとる。死を目前にしてドン・キホーテは、意外にも自身の騎士道物語への傾倒を顧み、それを否定する。ドン・キホーテ・デ・ラマンチャの名を捨て、アロンソ・キハーノの名に戻る。正気に戻ってしまうのだ。寂寥の感を抱いた。
    理想を追い求める人生は他者から見れば、夢や狂気のように思われることもあろう。人生かくの如しではあるまいか…としみじみ思うのであった。

  • ドン・キホーテもこれで終り!良い話だったなー!最後の巻は、暗さだったり怒りみたいなネガティブな感情もチラッと見える感じも良かったし、やっぱりメタフィクションの描写も楽しい!たしかにこれは名作!

全3件中 1 - 3件を表示

この本が好きな人におすすめの本

著者プロフィール

Miguel de Cervantes Saavedra(1547 – 1616)

「2012年 『新訳 ドン・キホーテ【後編】』 で使われていた紹介文から引用しています。」

セルバンテスの作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×