- Amazon.co.jp ・本 (70ページ)
- / ISBN・EAN: 9784000093125
感想・レビュー・書評
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習熟度別指導を、PISA学力調査を基に、トラッキング(能力別指導)の問題を取りあげ批判。
PISA学力上位国のオランダやスウェーデンを取りあげ、協同学習のよさを指摘。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
教師や一般人が持つ習熟度別指導の誤謬を指摘する。暗黙の前提として,一斉授業の形式,教授者は可もなく不可もない教師,児童生徒は教師の指示に従って行動できることを想定することによる誤りである。
基本的な考えは理解できる。これを具現化する方法を考えて実行してみることが大切。教師にとってキャリア生活何十年のうちの1年で冒険して不満足な結果になることが児童生徒の1年を台無しにしてしまうのかもしれない。そんな不安が保守的な授業になるのだろうか。しかし,完全に失敗なんてことが起きるだろうか?協同学習によって6:4成功なら,今よりも進歩と捉えるべきではなかろうか。私の仕事はそれをエンカレッジすることか。 -
(以下2004年に書いた感想)
習熟度別指導を声高らかに批判する文献はありません.この本くらいかな.
要するにタイトル通りのことを言っているのだけれど,その問題提起と提起する理由が的を射ており納得させられるものでした.
けれども,大きな問題も残ります.
本書では国別の学力データ(PISA調査結果)と,その国が採用する教育方針(習熟度別授業か一斉授業か)を比べて,一斉授業スタイルの国の方がPISAの成績が良いことを,習熟度別教育批判の核に据えているわけです.
しかしながら,ちょっと考えればわかるように,一斉授業制を敷いてきた日本でも私立学校ではモロに成績順でクラス分けしたりしているわけです.国という枠組みで論じきれるのか?疑問が残ります.
塾なんかもモロに習熟度別です(実際のところ知らないけれど).
日本には,「公立学校の一斉授業だけをうけて,私立学校に行かず,塾に行かず,家庭教師も頼まない」といった私のような人間は非常にレアなのだと思いました(ちなみにそのせいで私は基礎学力に致命的な欠陥を示すときが多々あります).
こうなってくると,習熟度別がいいのか一斉授業がいいのかという議論から「両方のいいところどり」をした折衷案がベストだという話になってくるわけです.
さらに「競争」よりも「協同」だ,みたいな話も加わって,これまた折衷案の話になるわけです.
最終的にこのような話は総じて
「教師が状況に応じてうまく対処しなければならないよね」
というつまらんところに落ちます.
ところがこういう議論は「どうすれば教師の能力を上げられるか」について,軽くふれるだけで終わります.
私としては,その先の「どうすれば教師が自分たちのスキルアップに時間を割くことができるのか」を議論すべきなのだと思います.
私はそんなことを書いている本を読んだことはありません. -
習熟度別指導が効果があるということを何の疑いもなく思っている人も多いのではないだろうか?この素朴な観念は画一的な一斉授業を前提としていること、いかに多くの知識や技能を習得するかという学びについてであれば有効であるということが述べられてあった。しかし、21世紀型の学びは前述の「いかに多くの知識や技能を習得するかという学び」ではなく「いかに豊かに深く経験するかという学び」が価値をもつ。その点から考えても、現在学校現場では「学力向上」をめざして「習熟度別」『少人数』指導に力を入れている教員たちの意識革命が望まれる。
著者は、「習熟度別指導」に代替しうるのは「協同学習」であると述べている。また、『学び』とは、新しい世界との出会いと対話であり、教師や仲間との対話と自分自身との対話を通して「背伸びとジャンプに挑戦する営み」とものべている。分かる子どもと分からない子どもとの間にあるギャップを教師と子どもが協同で埋めていくのが授業であるということである。「対話」という言葉がキーワードである。(永田) -
題のとおり。
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論外では・・・。
教育方法学の教授がこんなこと言ってはあきまへん。授業研究も方法学の内です。 -
PISAショック。早期から習熟度別指導を
取り入れているドイツ、スイス、オーストリアは惨憺たる結果だったのに比べ、協調学習をメインに取り入れたフィンランドが結果を残している。習熟度別指導は時代遅れの学習スタイルにも関わらず、日本はなぜ今更習熟度別指導へと逆走しているのだろうか。小、中で広がり続ける習熟度別指導。これらの問題点に迫る。
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分類=習熟度別指導。04年1月。