- Amazon.co.jp ・本 (71ページ)
- / ISBN・EAN: 9784000094269
作品紹介・あらすじ
学校選択に見られる自由化と効率的な学校運営・予算配分など、現在進められている教育改革の数々は、格差を固定・拡大させるのではないか。それへの対抗軸はあるのか。教育社会学者と政治学者の熱い対話。
感想・レビュー・書評
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504円購入2010-11-18
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後半の対談は今の政治状況と異なるので注意が必要だが、小泉改革―消費者主権的な自由主義・市場主義―が社会そして教育に与えた(悪)影響について、著者らのもどかしい思いも含めてわかりやすく示されている。前半でもっとも印象深い指摘は、冒頭の、「格差」の英訳に一番相応しいのは、「differential」でなく「inequality、不平等」だろう、という話。なるほどなと思った。また20頁あたりのPISAの分析、すなわち上位の成績は変わらないが、ボトム25%の学力低下が著しいという指摘も参考になった。
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戦後、日本は教育に力を注いだ。当時、ヨーロッパでさえ中学校までの義務教育が行われていない国もあったが、日本はそれを実施した。それが基盤となって、奇跡の高度経済成長を成し遂げることになる。
この間、教育の地域格差は昭和30年代からあり、それを是正するのが文部省の課題であった。
しかし、いまの教育格差は当時のものとは性質が異なる。成熟社会では価値観が多様化し、価値観が相対化され、何を目指して教育するのかが難しい。教育の意味、教育の効果を考え、あれもこれもと手を広げては、ますます教育の目的がわからなくなってしまう。だから、教育は「押し付け」であることを前提に、「何ができないか」を考えて方針を決めるべきと、苅谷氏は主張する。
いまの時代の、教育の目的は何か。教育は何かの目的のために行うべきだろうか。それとも教育それ自体を目的として行うべきだろうか。 -
自己統治に関する議論あり。
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本書は教育社会学者の刈谷剛彦氏が現在の教育を社会学の観点からひもとき、後半部分で政治学者の山口二郎氏と今後の教育のあり方について議論を交わしたものが掲載されているものである。
前半の刈谷氏の現在の教育の解説はとても魅力的なものである。当然ながら刈谷氏の意見に反対の意見もあるだろうから、それらをも参照して吟味する必要はあるかもしれないが、いずれにしても一読する価値はあるように思われる。
後半の山口市との対談は、政治学の観点とからめた教育のあり方に関する議論である。ここでも一見する価値のある箇所は随所に見られるように思われる。
ちなみに、本書は基本的に反ネオリベラリズムの立場から書かれたものである。人の価値観は人それぞれなので、これに賛同する人も入れば反対の人もいるだろう。(脱線するが)しかしながら本書のように自分たちの立場を明確にして議論する事は重要のように思われる。逆に、自分の価値を正しいと過信し議論する事は望ましいものとはいえない。 -
エビデンスを基にしない教育改革論議は山ほどある。ほとんどが「昔の自分が受けた教育」をベースに教育改革をしようとしているために、おかしな改革になってしまう。今回も「ゆとり教育」の何が問題なのかを検証せずに、金も人もかけずに指導要領が改訂されてしまった。PISAの順位が落ちた原因を「ゆとり」という言葉の連想ゲームから犯人にしたてあげられたからだ。
今回の指導要領改定は最悪であろうというのが、本書の予想である。改定の為の根拠となるデータがないのはこれまでのとおりであるが、教員の年齢構成が最悪なのだ。中核となる教員が抜けていく中で、教育課程が変更され、教員がバッシングされ、給与は上がらない。これでは、国家百年の体系である教育はますます悪化するばかりである。
富裕層を固定化したい、新自由主義者にとっては、最良の改定なのかもしれない。 -
格差という言葉を不平等に置き換えて考えてみることや、教育というところを福祉と読み換えることを教えられた。
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今、われわれをとりまく状況は急激な変化を重ね、どんな発達国でも格差の問題が存在している、更広めになったということ分かりました。
格差というのは日本語では「不平等」と訳している。教育とこの不平等の問題は深く関わりますので、この本を通りに今の社会は平等でき
ない、教育改革問題についてどう考えて、学校を選ぶことが自由になった、今の学校は一番大切なことは何ですか?社会が現実と厳しさ
のことが分かりました。
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苅谷先生の主張
・戦後教育のよい面があった(おちこぼれを多く作らない均一な高い教育水準)のに、改革の名のもとに、いい面も破壊されてはいないか。
・できることをてんこもり、詰め込みするのではなく、できないこと、やらないこともちゃんと考えないといけない。