性教育裁判―七生養護学校事件が残したもの (岩波ブックレット)

著者 : 児玉勇二
  • 岩波書店 (2009年9月8日発売)
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  • Amazon.co.jp ・本 (63ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784000094658

作品紹介

「過激」、「極めて不適切な教材」として、障害のある子どもたちの性教育に加えられた政治家の攻撃。学校を守らなかった東京都教育委員会。メディアによるバッシング。全国的にも注目された裁判(東京地裁2005年5月提訴〜2009年3月判決)で、何が裁かれたのか。「教育の自由」をめぐる必読書。

性教育裁判―七生養護学校事件が残したもの (岩波ブックレット)の感想・レビュー・書評

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  • 過度な性教育を行ったとしてバッシングをうけた七生養護学校を覚えている人も多いでしょうね。
    あの事件の裁判について書いた本。この一冊で、その事件の概観はわかるかと思います。
    ただ、ひとつ注意を要するのであれば、それは養護学校側の視点で書かれているということでしょうな。
    そういった意味では、だいぶ偏っています。

    ところで「バリアフリー」の概念が叫ばれるようになってからというもの、
    障害者と健常者との間の「平等」を謳うことって増えたと思います。
    「障害者を差別するな」「障害者を避けるな」というところから始まる意識だと思うんですけど、
    そこんところが実は難しい。
    ありきたりなことを言うと「差別」と「区別」は違うわけですな。
    当然、障害者を「差別」してはいけないけれど「区別」はするべきなわけで。
    「七生養護学校事件」についても、
    そこんところでの混乱があったんじゃないかなーとちょっと考えた。

    確かに、僕も七生養護学校が行っていた性教育は「行き過ぎている」と感じてしまったのです。
    ただし、それは普通学級で行った場合の話ね。
    特別支援学校で行うのであれば、そういうのもアリなのかもしれない。
    特別支援学校事情をよく知らないので、それは断言できないけど、
    でもそこで働くプロがそう言うんなら、そうなんでしょう。
    ただただ「七生養護学校の性教育は過激だ!」と言ってのけてしまったのは、
    そういった事情を理解していないか、特別学級と普通学級とを「区別」していないかっていう背景なのかもしれない。

    本書には七生養護学校に通っていた生徒の保護者のことばとして
    「さすが養護学校だと思っていました」というのが載っている。
    やっぱり普通学級とは違う場なのであって、
    それを「性教育」というくくりで一緒くたに扱うのは問題があるのかも。

    性教育という一分野を通してですが、実践教育、学校教育の考えとして大切なことが書かれています。
    教育系の仕事に就かれる方はご一読してみるといいんじゃないかな。
    ただ、やっぱり偏りは目立つ。フェアな本ではないですね。


    【目次】
    はじめに
    1 七生養護学校で何が起こったのか
    2 裁判で語られたこと
    3 裁判の意義
    4 七生養護学校の事件が問うたもの
    おわりに

  • 相も変らぬ都教委の姿勢と、裁判という手続きによる軌道の修正・救済に時間がかかるものだと思った。

  • 曖昧な言葉では理解できない子どもたちのために作られた教育キットやカリキュラムを「過激な性教育」として奪われた七生養護学校の戦いのまとめ。
    教員たちの「子どものため」が正しくあふれていて、だからこそ議員たちの無理解が突き刺さる。教育とはその子たちが生きていくために必要な力を身につけさせることだというのに。

    調べもせずにイメージだけで、それもここの子ども達どころか教育についてすら無知なのに過激だなんだと否定できる神経が信じがたい。
    こんな下らないことのために、この期間に生徒だった子ども達は身を守る術を体系的に教えてもらえなかったということに怒りを覚える。
    聾学校で手話(その子たちの言葉)を排除して口話教育(自分たち=マジョリティの言葉)を強要していた時代からなにも進歩していない。

    性器の名前を教えるのが過激だとかってのも理解できない。
    これは養護学校でも普通校でも同じだけど、学校で教えないでどこで正しい知識を教えるんだろう。
    18歳になったら自動的に頭に知識がダウンロードされるとでも思っているんだろうか。
    義務教育は最低限のラインを確保するためのものなんだから、自分で学べない子が知識を得られるように設計すべきものなのに。

    都は全体的に頭がおかしいけど司法は辛うじて正気を保っていて良かったね。って感想くらいしかでないな。

  • 2003年、東京の七生養護学校での性教育が突如議会の槍玉にあがり、マスメディアもセンセーショナルに扱い、新聞には「過激」「極めて不適切な教材」などの見出しが躍り、裁判が始まった-。性教育裁判を題材に、教育の自由について探る一冊。
    「性教育は、生教育」という言葉とともに、こどもたちが選択したり権利を行使したりできるように性教育はどうあるべきか、そこにはどんな自由が求められるのか。事件の弁護士である著者の指摘は、性教育に限らず汎用性の高いものになっている。

  • PCのプログラムをちょっとかじった経験から言うと、
    プログラムやその設計は、ロースペックの機種を基準に作るものなのです。
    ハイスペックを基準にすると、型番落ちの機種はいくらでもあるので
    プログラムが動作しないリスクはものすごく高いけど、、
    ロースペック基準であれば、ハイスペックの機種ではより安定した動作が望めるからです。
    人間とPCを同列にするのはあまりにも失礼だけど、
    この、障害のある子どもたちの為に作られた教育プログラムは、
    健常といわれる子どもにも等しく必要です。
    だいたい、このプログラムが不適正と言うなら、どうすればハンディのある子どもたちに伝わると言うのだろう。
    教材も先生方も散り散りになってしまったけど、
    視点を変えれば、有利な判決が出た今、いろいろなところで芽吹かせるチャンスでもあるんじゃないかと思うのだけど、どうかなぁ……

  •  「教え方」を議論する目的は、どういう取り組みが「子どもたちにとってよい」のかということを競い合うことにある。しかし、どうも「教組つぶし」とかそういうファクターが常につきまとう。
     本書で取り上げる都内の養護学校における知的障害者への性教育を巡るこの一連の事件は、「産経新聞vs教組」という長年続く対立に知的障害者の性教育が巻き込まれた例である。教委も含め、攻撃する側からすれば、教員側を「異常」とラベリングさえすればよく、知的障害者の将来のことなぞどうでもよいのだろうと思える。
     結局、養護学校で実施されていた教育手段がどう効果的だったかとか、どう改善すべきかといった冷静な議論とはかけ離れてしまったことで、知的障害者への性教育の質を向上させる機会をも逸してしまった。

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