ヨーロッパと西アジアの変容 11~15世紀 (岩波講座 世界歴史 第9巻)

  • 岩波書店 (2022年9月1日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (292ページ) / ISBN・EAN: 9784000114196

作品紹介・あらすじ

一一世紀以降、ユーラシア大陸西部では、統治や宗教のあり方の変容、都市社会の発展、官僚制の整備などにより、いかなる種類・形態の「国家」が立ち上がったのか。また境域イベリア半島やアナトリアをはじめとする各地域の内部では、どのような過程で文化混交が進んだのか。トランスカルチュラルに流動する中世社会の実像を描く。

感想・レビュー・書評

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  • ◆(1)黒田祐我 レコンキスタの実像:イスラム勢力の領域を征服したキリスト教勢力が、モスクを教会に転用したか、壊して教会を建て直したかで読み解くレコンキスタ時の両者の関係。イスラムの「寛容」もキリスト教徒の「不寛容」(イスラムの様式の建築の残存状況参照)も従来像からは修正が必要。キリスト教/イスラム教、寛容/不寛容、同化/排除という二項対立を前提にすると歴史の実態見誤る。「暴力と共生、排除と包囲の両面をつねに持ち合わせていたのが、これまで単純に「レコンキスタ」と総称されてきた中世イベリア半島の征服・入植活動の真の実態」p.196◆(2)佐々木博光 中世のユダヤ人:13世紀に緊張高まり、14c末から16c初頭にかけ神聖ローマ帝国諸都市の多くがユダヤ人追放…共生の終焉。その中で反ユダヤ的な説教とユダヤ人への反感を煽る受難劇の果たした役割に注目。◆(3)小澤実 異文化の交差点としての北欧:・「ヴィンランド・サガ」によるヴァイキングのアメリカ渡航は長年疑問視されてきたが、考古学、自然科学の進展で、カナダのニューファンドランド島のランス・オ・メドウズで発見されたヴァイキングの入植遺跡が、1021年に遡ることがわかっている(p.174)。グリーンランド、985年入植、15c放棄。猛禽、シロクマ、セイウチ(の牙-象牙の代用として)が経済リソースとして提供された。王への献上品として。という2つのエピソードが目にとまる。◆(4)五十嵐大介 西アジアの軍人奴隷政権:マムルーク朝は、従来一代貴族性と擬似家族関係を基調とするイスラーム的軍人奴隷制度の特徴が最も国家と政治の諸分野に浸透した王朝とみなされてきた。しかし!(1)カラーウーン家の王朝的支配は100年以上(2)血縁・姻戚関係も併存、時に補完・補強しあう。またマムルーク朝支配を、支配層の民族(トルコ、チェルケス)、支配する家の推移(サーリフ家、カラーウーン家、バルクーク家、カーイトバーイ家)、実力主義か世襲制か(「トルコの法」時代…君主を殺害した人物が君主の座を得る 1250-1310,カラーウーン世襲王朝の時代1310-82,王朝主義と実力主義の時代の混合期1382-1412,「ムルク・アキーム」時代1412-1517…有力マムルークが血縁によらず実力でスルターン位につくのが不文律として確立)で見方が変わってくる、と。◆巻頭の展望からは、「アクコユンルのウズン・ハサンの法が、オスマン朝、サファヴィー朝に受け継がれた」「オスマン朝のみが勝ち残ったことに関しては、「結局のところ(ビザンツ帝国に一番近かった)地政学的状況が決めたという説明しか見当たらない」というエメジェンの結論を、現時点では受け入れざるを得ない(p.74)」という2点が目に止まった。

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著者プロフィール

京都大学人文科学研究所 教授
中国法制史

「2008年 『東アジアの死刑』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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