西アジア・南アジアの帝国 16~18世紀 (岩波講座 世界歴史 第13巻)

  • 岩波書店 (2023年1月31日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (288ページ) / ISBN・EAN: 9784000114233

作品紹介・あらすじ

16世紀から18世紀の西アジア・南アジア地域は、多様な人間集団、社会規範が有機的に結びついた独自の「近世」を歩んでいた。オスマン、サファヴィー、ムガルの三帝国の統治システムが多民族・多宗教からなる社会を守っていたのである。共生を特徴とするこの地域の歴史を、法秩序、王権の正統性、思想、ジェンダー表象、交易などの視点を交えて豊かに描き出す。

感想・レビュー・書評

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  • サファヴィー朝、オスマン帝国、ムガル帝国の3つの国家についての本。特にオスマンとサファヴィーの記述が多かった。
    どれも単一民族の国ではなく、様々な宗教の民衆を抱えた国であったが、その中で一般民衆がどのように他宗教の人と暮らしていたのか、異なる宗教の民を国家がどのように統治していたのかという点に重きが置かれた内容になっていたように思う

  • 個人的な興味関心からすると、オスマン帝国の系譜意識の話、自らの王朝をどこにつなげてどういった層にアピールしたかったのか、というのを知ることができたのが収穫。◆林論文での、「オスマン王家が明確に辿れる出自をもたないことは現代の目からは明らかだが、創造された系譜の上では、権威あるトルコ系オグズ族の血統が主張された」「トルコ部族系の血筋や神権的な聖性、あるいは「戦うスルタン」の主張は後景に退き、イスラム的なカリフの主張が前面に」「オスマン帝国の一七世紀を「立憲主義」とする主張もある」という視点は興味深く。また、あまり意識してなかったが、国力の一端を示すと思われる人口について「16世紀後半ムガル帝国はデカン征服以前で1億-1.45億人、オスマン帝国は2200万人、サファヴィー帝国は1000万人程度と見積もられている」というのは、もしオスマン帝国とムガル帝国が正面からぶつかりあったらもしかして…と思いを馳せてしまった。上野論文は、イスラム優位のもとでのある程度の自由を享受していたイメージのオスマン帝国治下のキリスト教徒が、自分たちもシャリーア法廷を利用することで、教会法では得られない権利を行使するケースがあったことを示してくれた。近藤論文は、多民族多宗教の帝国的側面をもつサファヴィー朝が、シーア派帝国として常に臣民をシーア派化することに力を注ぐという帝国としては特異な志向をもっていたことを示し。小笠原論文では、「15世紀以降のオスマン王家の年代記では、オスマン王家はオグズ族のカユ氏族に属するという説が主張された。(略)支配の正統性アピール(略)16世紀諸頭には定着」(エサウ説の放棄、ヤペテ説採用から「オスマン王家は系譜操作によって、オグズの王たる地位を獲得することに成功したが、王権を神与のものとすることには失敗したのである」「公正な統治を実現するならば、カリフはクライシュ族出身でなくとも構わない、オスマン帝国君主はカリフたりうる存在であるという主張が16世紀中葉に出現」といった視点が興味深かった。ただ主張は主張としてそれはどこまであまねく受け入れられたのだろうか、という思いも抱いた。

  • 登録番号:1026943、請求記号:208/I95/13

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著者プロフィール

豊橋創造大学教授

「2018年 『社会的パートナーシップ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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