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Amazon.co.jp ・本 (320ページ) / ISBN・EAN: 9784000220064
感想・レビュー・書評
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『アウシュビッツと知識人』という本の中で、作者のエンツォ・トラヴェルソは、あらゆる地獄の描写と同様、風景には必ず火がえがかれている。時折、こうした絵では、例えばボスの「最後の審判」、死が文字通りアウシュビッツのものとは違う形、即ち”ホロコースト”、神の要求した人間の生贄の形をとっており、罰するという神の意志は絶えず、情け容赦なく、罪人の連なった群れを飲み込んでいる怪獣によって表されている、と記している。そしてボスは黙示録を想像することはできたが、アウシュビッツ収容所のIGファルベンの工場の様相を描くことはできなかったと述べている 。ガス室の地獄は科学的、技術的、近代的な地獄である。この地獄はその現生化、もはや「地獄の恐怖」を知らない世界の出現をもたらしたのである。技術の発展による科学と工業の進歩は新たな地獄を作り出すことに貢献したのである。そして、それらの地獄を生み出した科学技術の発展に貢献してきたのは企業であり、そこで働く一人ひとりの技術者や従業員である。彼らにも罪があるのだろうか。科学や技術、工業は本来、中立的なものであり、政治的なものではない。それが政治的な活用をされるときに、科学や技術は地獄への入り口となる。しかし、それだからといって、それら科学技術の発展に寄与した技術者、科学者らを責めることは正しいのだろうか。確かに、科学者や技術者にもそのような倫理観が求められるのだろうが、それは21世紀の現在だから言える理想論であろう。ナチスドイツ時代にナチスから仕事を請け負っていたドイツや周辺国の企業やそこで働く技術者、従業員はたとえ倫理観を持ち合わせていたとしても、そのことを堂々とナチスに対して反対意見を述べることなどできなかったであろう。そして技術者や従業員ら個人がそのような反対活動をできなかったこと、後世の人間が非難すべきではない。我々が同じ立場にいても、本当に反対活動をすることができたのか、自問すべきである。
アウシュビッツの司令官だったルドルフ・ヘスもビルケナウのガス室を設置する命令を全くの通常業務として受け取っており、以下のように述べている 。「私は考える必要はなかった。命令を実行せねばならなかった。私の視野は、ユダヤ人絶滅の必要性について個人的な判断が下せるほど広くなかった」アウシュビッツは人種生物学と工業社会が有する技術と破壊力が融合した結果だった。
また同著で作者は、アウシュビッツは近代工業社会が行き着く不可避の出口ではなかったとしても、テーラー式科学的管理方式)の死の生産制度と完全に両立できることが明らかになったと述べている 。科学の中立性はアウシュビッツで崩壊したのだろうか。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
アウシュヴィッツ、その名が刻印するものを考える。その提喩について。カフカからアレントまで、アウシュヴィッツを問い、そして近代的なるものをも問う。そんな本書。
ボランティアK
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