漫画映画(アニメーション)の志―『やぶにらみの暴君』と『王と鳥』

著者 : 高畑勲
  • 岩波書店 (2007年5月30日発売)
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  • Amazon.co.jp ・本 (286ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784000220378

漫画映画(アニメーション)の志―『やぶにらみの暴君』と『王と鳥』の感想・レビュー・書評

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  • 「王と鳥」はDVDで、「やぶにらみの暴君」は某動画サイトで鑑賞することが出来る。
    恵まれた時代であるが、集中して大きなスクリーンで観たいもんです。二本立てとか…!
    ひとまず、観られる媒体で観るのである。偉大な先人に感謝。

  • 高畑勲、宮崎駿ら日本の漫画映画の創生期を担った人たちが、自分たちの原点とまで言い切るのが、監督ポール・グリモー、脚本ジャック・プレヴェールのコンビが作り上げたフランス製長編漫画映画『やぶにらみの暴君』。そして、30年後、二人はそれを、『王と鳥』という作品に作り直して発表する。日本では公開当時、非常に高い評価を受けた前作を、何故作り直さなければならなかったのか。そして、それに要した30年という歳月は何を物語るのか、という謎を多くの文献、資料をもとに高畑勲が読み解く。

    『やぶにらみの暴君』は、公開当時、クレジットタイトルに続いて、この映画は、監督ポール・グリモー、脚本ジャック・プレヴェールによって作成されたが、彼らの承認しない改変をこうむっている、つまり作者が認めていない版であることを示す文章がついたまま公開された。映画制作に対する意見の食い違いから会社の共同経営者でプロデューサーでもあるアンドレ・サリュと対立した二人が、レ・ジュモー社を去った後、サリュは残ったスタッフとイギリスに渡り映画を完成させる。あわてた二人は裁判を起こすが、映画は、クレジットの下に先の文章をつけ加えることで上映を認められる。そしてそれが、ヴェネティア映画祭で審査員特別大賞を取ってしまう。

    グリモーは、長期に渉る裁判を戦い抜き、最後に勝訴する。その結果、それまでの権利の期限が切れた後に作品のネガプリントを取り戻す。そして、プレヴェールやその他のスタッフと作品が改編される前のオリジナルのアイデアを生かした形に戻そうと編集をしはじめるのだったが…。オリジナルヴァージョンに戻すために必要な原画動画、セル、背景画、編集でカットされたショット等の構成素材は行方不明になっていた。つまり、『やぶにらみの暴君』を、納得行く形に回復させることは到底不可能であることが明らかになる。

    しかし、グリモーはあきらめなかった。回復させる試みが無理と分かると、かつてのスタッフを呼び集め、同じ作品を新しく作り直す。ただ、本人にとっては大事な作品も、周りにとっては過去の作品でしかない。資金集めに時間がかかり、最終的には一本の映画に30年もかかってしまうことになったのだ。

    ところで、二つの作品は、いったいどれほどちがうのだろうか。実は、高畑をはじめ、多くの人が『王と鳥』を見てショックを受けている。芸術的には、『やぶにらみの暴君』の方がすぐれていると感じられたからだ。特に新しく加えられたカットの絵の拙さが目につくと高畑は感じた。何故作り直す必要があったのだろう、という疑問がそこに生じた。

    しかし、2006年、スタジオ・ジブリは『王と鳥』を日本で公開する。その事実は、高畑の『王と鳥』に対する評価が変わったことを意味している。実は、裁判沙汰も影響してか、『やぶにらみの暴君』は、日本でこそ評価されたものの興行的には本国フランスではあまり評価されなかった。アメリカに至っては公開すらされていない。グリモーは、70年代に入って、『王と鳥』を発表することで、50年代の映画のテーマが、そのまま70年代にも、そして今日に至っても古びない普遍的なものであったことを証明したと、高畑は考えたのだ。

    しかも、詳細に見比べてみれば、『やぶにらみの暴君』では、未消化で観客に伝わりづらかった作品の持つメッセージが、『王と鳥』では、語り口を変えることで、より直截に観客に届くことも分かってくる。特に今、日本をはじめとして、現代の漫画映画作者は、9.11以後の世界に与えるメッセージの力を持ち得ているかという点を考えたとき、グリモー、プレヴェールの『王と鳥』の今日性に驚かざるを得ない。『漫画映画の志』という題名は、ひとりの映画作者として、高畑がグリモーから受け継ごうとしているものを意味している。

    世界を席巻しつつあるような日本の漫画映画であるが、高畑は一つの問題点を提起する。日本の漫画映画は、たしかに「泣け」たり、「勇気をもらえた」気になったりできるが、それは「自分の感受力を対象に向かって全開した結果ではなく、巧みな作者によって仕組まれたレールの上に乗って受け身で得たもの」ではないのか、それでは「癒し」には役立つが、「現実の世の中で、状況を判断しながら強く賢く生きていく上でのイメージトレーニングにはほとんど役立たない」と。

    映画は娯楽なのだから、「堅いことは言いっこなし」という考え方もあるだろう。ただ、評者はこういう高畑の生真面目さを好感を持って受けとめた。そこで、あらためて『王と鳥』を見てみたいと思う。さらには、残ったフィルムをグリモーが回収し、封印されてしまった『やぶにらみの暴君』も、公開されることを希望する。この本を読んで、ますます見たくなった。

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