- 岩波書店 (2017年9月30日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (216ページ) / ISBN・EAN: 9784000220965
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みんなの感想まとめ
個々人の行動が社会を変える力を持つというテーマが深く掘り下げられています。著者は、アナキズムを単なる無政府主義としてではなく、支配のない自律的な社会を目指すスタンスとして捉えています。日常生活の中での...
感想・レビュー・書評
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全六章で本文は約190ページ。まえがきで筆者自身が他の著書とは異なるスタンスで取り組んだことを明かしているとおり、論述というよりエッセイに近い形式の著作だ。章立てのほかに29の短い断章に区切られており、同じくアナキズムをテーマとしたデヴィッド・グレーバーの『アナーキスト人類学のための断章』と類似した、アイデアの断片として参照されることを期待したコンセプトといえそうだ。短い断章による構成が目立つが、内容的にはそこまで細切れというわけではなく、基本的には章ごとのまとまりで綴られている。
1章
大きな社会的な変革が、礼節にかなった公的な手続きのなかから生まれることは少ない。多くの場合、匿名で多数の不服従の行為や義務の回避によって為される。それは革命的前衛ではなく、幾千もの脱走、怠け仕事、失踪といった行為のほうが、これまでより多くの体制を、少しずつ屈服させてきた。著者による"不服従のススメ"といった趣きの章となっている。冒頭の信号無視の例がわかりやすい。
2章
国家やグローバル企業が環境だけでなく、いかに人間を均質化しようとするか、そしてそのことが人間の尊厳を傷つけていると説く。人にとって住みやすい町とは、ユートピア的な計画者が好むような直線的な規則正しさではなく、ごちゃ混ぜの多目的な場所こそが活気に満ちている。
「国家はアナキストにとって不倶戴天の敵なのである」
3章
前章に引き続いて国家による均質化を前提に、学校教育をはじめとした権力による制度が人間の精神にどのような影響を及ぼすかについて述べる。「幼児扱いすることが年を取った幼児を生み出すことは想像に難くない」は、先に掲げた『アナーキスト人類学のための断章』にも同様の記述があったことが印象的だ。
4章
資本家と労働階級という対立の外にある、プチ・ブルジョアジーの称揚に割かれる。著者が描くプチ・ブルジョアジーは具体的には、小店主や小作農のような零細事業者で、現在なら個人に近い小企業や個人事業主のような立場が近いだろう。利益に限れば雇われのほうが高い収入を得られるにもかかわらず、プチ・ブルジョアジーたちは「小さなコミュニティにおいて十全な文化的市民権を得ることへの深い欲望」を優先する。
5章
業績主義(数値化)の致命的な欠陥を指摘する。ひとつは、そもそも指標自体が役に立たないケース。もうひとつは、測定方法が考案された時点では妥当だったとしても、しだいに測定方法の存在そのものによって振り回されるようになること。「測定方法が行動を植民地化する」。質を量的に計量しようとする欲望に警鐘を鳴らす。この点については、やはり前述のデヴィッド・グレーバーが『ブルシット・ジョブ』でも論じている。
6章
歴史的な出来事は首尾一貫した物語として捉えられるが、現実は往々にして偶発的である。単純化や簡略化の傾向は公的な権力の好むところであり、「人間の自由のための偉大なる解放が獲得されたのは秩序だった制度的な手続きによる結果ではなく、無秩序で、予想できず、自然発生的な行動が社会秩序を下から断裂させていった結果である」。不服従を説く第1章に立ち返ったうえで、「未来は決定されていない、閉ざされてはいない」というメッセージにも受け取れる。
全体を自分なりに要約すると以下のようになる。
国家やグローバル企業といった権力は常に人々を均質化しようと企み、業績主義・数値化・単純化もその特徴的な表れとしてみることができる。公的権力による非人間化・奴隷化に抵抗するためには目に見える反対運動よりも、匿名の個々人による不服従の積み重ねが効果をもつ。このような場合、雇われではなく収入よりも自己の存在を優先するようなプチ・ブルジョアジーが隠れた影響力を発揮する。
何より、決して英雄的ではない不服従の表明の積み重ねこそが、社会を住みやすく変えていくという教えが心強く、深く共感できるものだった。平たくいえば「イヤなことは拒否する」ことの積み重ねが、結果的に社会に資することにもなると言える。ならびに、最近興味をもって何冊か読んだアナキズム関連の著書のなかでは実践的でもあり、求めていたところの一部を得られた感がある。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
組織化されていない、制度化されていない、個々人の振る舞いが、社会を変える働きにつながるというようなことが紹介されていました。
日々の小さな抵抗にも、意味はあるのだ、というような、希望?
政治体レベルだけではなくて、個人レベルでも、物事を単純化したりして何とか生きているんだけど、
秩序を保つこと、物事を整理して理解すること、そして実際の複雑性を無視しないこととのバランスって永遠に答えがなさそう。 -
やぁ難しい本だった。でも結果として二度読みした際には、かなりぐいぐい線を引いてしまうところが多く、精読してよかったなと。最近ビジネス書や小説など、比較的読みやすい本ばかり読んでいたからか、こうした研究者の方が書かれた、かつアナキズムという難しい概念だったこともあり、一回目はほんと心折れそうになったりしてました。「アナキズムとは特別な政治運動でも革命でもなく、日々の暮らしの中から社会を変えていく実践である」とカバー裏に書いてあって、読後だからなんとかその概念が腹落ちしましたが、読む前はなんだかよくわからないけれど引き込まれそうな印象、といったところですね。
原著のタイトル(大見出しのみ)は『Two Cheers for Anarchism』であって、僕はブレイディみかこさんの影響を受けて、これらアナキズムの勉強を興味本位で読み進めているのですが、『Two Cheers』というところがいかにもアナーキーで好きな印象。僕はラグビーをやっていので、試合後に「Three Cheers for …」と相手を讃える営みはよく経験しているのでその感覚がよくわかるのですが、そこで『Two Cheers』と言ってくるところ、あとがきにもあったけれど、「万歳三唱とまでは言わないけれど、『Two Cheers』ぐらいなアナキズムを実践していったら、世界はもう少しましになっていくんじゃねぇの?」というニュアンスがとっても好きでした。
訳者あとがきから抜粋しておきます。
P181 スコットが万歳を二唱するのは「プロセス重視」のアナキズムであり、「実践としてのアナキズムとでもいえるようなものを提示する」ことが本書の目的であると明言もしています。
原著タイトルが意味するのは、アナキズムに手放しで万歳三唱することはできないけれど、それでも二唱はしたいという著者の思い入れと強い信念です。
あとがきを抜粋していたら、やはりここのところを抑えてから読みなおしたほうが理解が進んだので、こちらも抜粋しておきます。
P184 より良い未来のために期待するのは、階層秩序や国家支配に対抗するボトムアップによるゆるやかな協力関係(に支えられた柔らかな共同性)の形成とその維持存続です。そこでは、個人の自由と自主・自律、そして協力と連帯、相互扶助などの原理と道徳がきわめて重要な働きをしています。
スコットにとってアナキズムとは、上からの管理と支配、近代化プロジェクトの強要に対抗したり、これを上手く回避したりする、市井の人々の日常的な行動や不服従、面従腹背、そして相互性と強調・協力などのさりげない実践の総称なのです。
なんとなく上からの押し付けとか均質化に対して、ゆるやかに抵抗し、自主・自律を守って人間らしく生きる、感覚的ですがサステナブルで自分とあっている概念だなぁと受けて止めております。
さて、改めまして頭から引用です。(自分への咀嚼も含めているので今回も長いです)
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P20 通常、議会政治の特徴は重要な変革を促進することよりも、現状を固定化することにある。
この評価がおおむね正しいならば、違法行為と秩序崩壊が民主的変化に寄与するという逆説に、私たちは正面から向き合わなくてはならない。(中略)
失業手当制度、大規模公共事業、社会保障支援、農業調整法といった重大な政策変更がようやく実現したのは、世界恐慌という緊急事態があったからに他ならない。ただし、その政治的圧力を生み出したのは、経済的な緊急事態における所得や失業の統計データではなく、財界と政界のエリートをひどく恐れさせた激しいストライキ、略奪、賃料の支払い拒否、ほとんど力ずくによる救援物資配給所の包囲、そして暴動といった行動の頻発だった。(中略)
この動乱はそもそも政党、労働組合、組織的な社会運動などによって展開されたわけではなく、また何ら理路整然と集約された政策課題ももたなかった。むしろ、まったく組織化されておらず、無秩序であるという点で、確立された既存の秩序に対する脅威に満ちていた。(中略)
大恐慌によって解き放たれた社会勢力が、様々な改革の急速な進展を可能にしたのだった。社会勢力のうねりは、政治エリートや資産家だけでなく、とりわけ重要なことに労働組合や左翼政党でさえ統制できなかったようだ。エリートは、無理やり改革に着手させられたのである。
P22 自由民主主義諸国は、その諸制度を通じて、より不遇な市民にとって決定的に重要な経済的・社会保障的利益をしっかり保護することに歴史的にずっと失敗してきた。おそらく、これは自由民主主義諸国の最も深刻な失敗である。むしろ制度的枠組みの外側における大きな混乱こそが、民主的な発展と刷新をもたらすようだ。この事実は、制度化を通じて平和裏に変革を実現するという民主主義の約束と著しく矛盾する。民主主義の理論は、危機と制度的破綻こそが重要な社会・政治的変革を促進するにあたって中心的な役割を果たし、政治システムの正当性回復に寄与したことを、まったく理解していない。
P25 拡大する暴動とデモを抑え込もうとしたジョン・ケネディとロバート・ケネディの奮闘によって、長年にわたって棚上げされてきた法案が突如として議会をすばやく通過した。南部の暴力のためにアメリカが人種差別国家だと見なされかねないという、まことしやかな冷戦期のプロパガンダ合戦の文脈によって、彼らの決意は強固になった。大規模な混乱と暴力は、平和的な組織化とロビー活動が10年にわたって達成できなかったことを、すばやく成し遂げた。
P85
しかしながら公立学校制度の深刻な悲劇は、多かれ少なかれひとつの製品を生み出す工場になっていることにある。この傾向は、ここ数十年間で、標準化、測定、テスト、指導責任がより重視されるようになり、ますます加速する傾向にある。その結果生まれてくる学生、教師、校長、全学区の目標は、すべての努力を、制度設計者が定めた基準を満たす標準化された学生を作り出すことに向けることになった。
これが生み出す製造物とは何だろうか。それは狭く想定された、テストによって測ることができると考えられるある種の分析力である。(中略)
教育的な視野狭窄によって「分析力エリート」と推定される人びとに与えられる疑わしい特権と機会は、社会が被る損失や浪費に値するものなのだろうか。
P126
学校は、「単一の生産物」を作る工場へと変わってしまう危機にあった。その生産物は、狭い知識と受験技術を測るために作られた標準テストに合格できる生徒たちに他ならない。ここで学校という近代の制度は、初期の縫製工場とほぼ同時期に発明されたことを今一度思い起こしておくべきだ。どちらもが、生徒や労働者をひとつ屋根の下に集めて閉じ込めた。どちらもが管理と評価を簡単にできるよう、時間厳守の規律と業務の細分化を生み出した。どちらもが、信頼できる標準化された生産物を生み出すことを目的にしている。
P156
私たちは、民主的で多元的な社会で、教育の機会均等がいかに配分されるべきかについて、公共的に対話する契機を奪われている。私たちは、たとえば学校では大学進学適性試験ばかりを偏重する視野狭窄なカリキュラムのもとに押し込まれて、いかなる資質をエリートに求めるかについて討論する機会を奪われてしまっている。
P155
アメリカは、査定と数量化を積極的に擁護する点では並はずれているようだ。アメリカほど、教育、戦争、公共政策、企業役員の報酬などにおいて、監査を熱狂的に活用してきた国は他にない。武骨な個人主義の国民という自己像とは対照的に、アメリカ人は世界で最も標準化され、監視されている人間である。
P160
ひとたび村人の個々人がそうした振る舞いをしたということは、すなわち一定の期間は難民を助けることに加担することを意味した。言い換えれば、彼ら自身が実質的に行った連帯の振る舞い―実際にとった一連の行動―から結論を引き出し、それを当然に果たすべき倫理的なことと捉えたのである。 彼らは、ある主義を言い立てて、それに基づいて行動したわけではなかった。逆に、まず行動して、その行動の論理を後から引き出したのだった。抽象的な主義は実際の行動の子であって、その親では決してなかった。
P164
私たちには、自身の行為や生活を説明するための首尾一貫した物語を創作しようとする自然な衝動があり、それがまったく偶発的であったかもしれない行為に対しても遡行的に秩序を押し付けようとする。(中略)
すでに行動してしまった後には、自分のしたことを説明する物語を見つけ出さねばならない。しかしながら、このことは、なぜ彼がそうしたのかを説明することにはならない。むしろ、他のやり方では説明できないような行為について、遡行的に納得させてくれる―満足のゆく物語を創作する―のである。
同じことが、歴史を形づくった重大な、しかし偶発的な出来事についても当てはまる。(中略)
フランス革命は単一の出来事ではなく、一連の過程であった。それは、啓蒙思想家たちが書き散らかした理念に基づくというよりも、天候、凶作、そしてパリとベルサイユの地理学と人口学によって偶発的に生じたものであった。バスチーユ監獄を襲って囚人たちを解放し武器を奪取した者たちは、後に「フランス革命」として知られる出来事に参加しているとか、それが王政と貴族政治を打倒することになるなどとは知りうるはずもなかった(ましてやそれを意図していたわけでもなかった)。
P166 とことん偶発的であったことは往々にして消し去られ、出来事の参加者の意識は平準化されてしまう。あまりにしばしば、事態のしかるべき展開に関する超人的な知識を押し付けられ、異なった理解や動機のごちゃごちゃ[したリアリティ]は沈黙を強いられる。
P168
革命を街路から博物館や学校の教科書の中へと閉じ込めることに強い関心をもった。革命の過程は歴史的必然の産物として「自然化」され、「プロレタリアートの独裁」を合法化した。(中略)
革命と社会運動は、一般的には、様々な役者たちを多数寄せ集めて作り上げられている。渦中の行動者たちは、怒りや憤りの入り混じったひどくばらばらな目的をもち、自身の身近な世界を超えた状況についてはほとんど知識をもたず、偶然の巡り合わせ(ちょっとした雨降り、ある噂話、一発の銃声)に左右され、―しかし、様々な出来事が奏でる不協和音のベクトル総和が、後に革命と見なされるものの舞台を作るかもしれないのだ。それらは、レーニンの脚本が言うように、決定された目的のために「部隊」を差し向ける首尾一貫した組織の活動などによるものでない。
P172
歴史の圧縮、すっきりした物語への私たちの欲望、そしてエリートや組織が管理と目標の具体像を投射する必要があるのは、すべて共謀して歴史の因果関係についての偽りのイメージを伝えようとする企みに他ならない。それらは、以下の事実に対して私たちを盲目にしてしまう。 ほとんどの革命は革命結社の働きによるのではなく、自然発生的で即興的な行為(マルキストの語彙では「冒険主義」)の凝結であること、組織化された社会運動はバラバラの異議申し立てやデモの産物であってその起因ではないこと、人間の自由のための偉大なる解放が獲得されたのは秩序だった制度的な手続きによる結果ではなく、無秩序で、予想できず、自然発生的な行動が社会秩序を下から断裂させていった結果であることを。
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以上
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昨年亡くなった政治学者・人類学者のジェームズ・C・スコットの著書
アナキズムは無政府主義として知られるが、その極端なイメージとは裏腹のサブタイトル「世界に抗う土着の秩序の作り方」に地に足のついた印象を受けた
生きる上で、数々の選択をする上で新たな指針を示してくれるものと思い購入
ここでのアナキズムとは、支配なき状態で個々人が自律性を発揮できるより良い社会を作ろうとするスタンスのことを指すようだ
歴史上、社会は暴動により大きく動かされてきたが、同時に個々の自律した(意思ある)判断や行動を通して行う静かなる権威への対抗もまた、じりじりと社会を動かし得るのだ
自分のように日々社会に対する不満を持ちながらフラストレーションを蓄積している人は、本書のメッセージを力強いエールとして受け取ることと思う
これは個人的な感想だが「都会に住み、大企業に就職する」という選択が勝者の条件として一般化されつつある中、あえて右に倣わず自律を優先した自分の選択にも自信を持つことができた -
面白かった!
特に最初の章の、いざというときのために日頃からちょっとしたルール違反(信号無視)をしておこうと行動する内容がお気に入り。その後にアナキストの先輩に諌められたところまで含めて面白い。 -
布団の中から蜂起せよ、からのこちら。
車の来ない交差点で、赤信号であっても自分で安全かどうかを判断して渡るように、「理に適わなぬ」些細な法律を破ること、それが著者の言う「アナキスト柔軟体操」。
世の中の、これって変じゃない?って思うことにいったん態度を保留して、即反応せずに、自分の頭で考えてから行動することがアナキストの態度なんじゃないかと思った. -
ますますごく少数の人間が、圧倒的な権力と富を独占する世の中になっていく歴史の奔流に、抗うすべはあるのか?
歴史を振り返れば、革命という名の世直し運動は、それが倒そうとする権力よりも圧倒的に大きな暴力抜きには生じ得なかった。
支配、強制、暴力ぬきに、自由を守る戦い方というのは、ありえるのか?
ありえる、というのがアナキストだ。
この本の著者は、篤実で平明な語り口で、実践的な処方箋を断章の形で提示してくれている。
私の目からウロコが落ちたのは、プチ・ブルジョアジーの役割への注目である。
バリントン・ムーアは次のように言っているという。
「急進主義の主要な社会基盤は農民と都市下層職人である。これらの事実から、人間の自由の源泉は、マルクスが見たように権力をまさに握ろうとしている諸階級の大望の中だけでなく、おそらくそれ以上に、進歩という波によってまさに押し流されかけている階級の断末魔の声のうちにこそあるという、結論を引き出せるかもしれない。」
闇深い現代という時代を生き抜くための、希望の書。 -
自分が、国家権力、慣習、会社のルールなど、様々なことに無意識に囚われ、思考や行動を誘発されていることがよくわかった。
また、歴史や人の行動を説明する際に、後付けで物語を作ってしまうこともそのとおりだと改めて思った。ひとり一人の複雑な心理や思考、行動の集合体で社会が変わり続けている。意味付けは十分に注意しなければならないとも思った。
自分の頭で -
松村圭一郎著「くらしのアナキズム」のベース。従属ではなく主体。
“小規模自作農と小店主が幅をきかせている社会は、今までに考案された他のいかなる経済システムよりも、平等性と生産手段の大衆所有制にいちばん近づいているのだ。” -
「世界に抗う土着の秩序の作り方」という訳書のサブタイトルが良い。市井の人たちがどうやってお上の管理と支配をすり抜けたり回避したりしてきたか、フラットで穏やかな目線で記述されている。
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N区図書館
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大変良かった
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アカデミー賞のさる受賞者のコメントにちなんで、submissive(受動的)な日本国籍者にこそぜひ読んでほしいと思った。自分も視野の狭いその、島国の住人の一人として、意を強くした。
例えば赤信号。明らかに自動車が通っていない車道を歩いて横切ろうとしているとき、自分はしばしば、赤信号を〇〇することにしている。一方、周りの人たちのほぼ9割は律儀にルールを守っている。
かたや、もしも横断歩道に子供の姿が見えた時、信号を〇〇することをためらい、ルールを守ることにしている。なぜなら、子供にそれを当たり前のことと思い込んで欲しくないから。身に危険が及ぶ、かもしれないから。
この、自分の中の矛盾って何なのだろう、偽善では片付かない何かがあると思っていたが、本書を読んで氷解。この横断歩道問題って、ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」にも直結する。
あるイデオロギー(あまり政治的なことは書きたくないので「忖度」していただきたい)に対する批判がそれに対するカウンターであることに、自分は何となくもどかしさを感じ続けてきた。あからさまで理路整然とした「反対」は、相手が愚かであればあるほど、暖簾に腕押しであると。かえって権力に利用されると。
本書にある、ミクロレベルでのアナキズムに慣れること。自分なりの原理を貫くこと。それこそが、革命ではなくある革新の糸口を準備する。
最近では、ANAホテルの英断しかり。 -
311.04||Sc
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いわゆる無政府主義者としてのアナキストではないけれど、アナキストのメガネを通して世を見ることをその実践として綴った六章。
リヴァイアサンからは逃げられない。飼い慣らすことが課題である。
社会主義なき自由は特権と不正義であり、自由なき社会主義は奴隷制と残忍さである、という言葉を引用しつつ、人のありうる姿を考える。 -
ネオリベラリズム全盛の今日、今更革命的前衛に率いられたプロレタリアートの役割に期待するわけにもかず、かといって穏健な市民運動もパワー不足、とすれば残るはアナキズムか・・・ そのせいか、最近アナキズムの立場からの新刊も増えているようです。効率性を優先させることで人間が疎外されていくなか、失われていく土着的なものの役割に改めて注目する必要があるのでしょうか。
工場や学校だけではなく、介護施設すら権力装置として機能していること、論文の引用数などで科学業績を量的に評価しようとする試みへの反論、歴史的な評価の多くが偶発性を無視していることなど、興味深く読ませていただきました。
まだ読んでいないけど是非読んでみたい「ゾミア」の著者の作品です。 -
東2法経図・開架 309.7A/Sc9j//K
著者プロフィール
清水展の作品
