エクソフォニー-母語の外へ出る旅-

著者 :
  • 岩波書店
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本棚登録 : 183
レビュー : 17
  • Amazon.co.jp ・本 (188ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784000222662

作品紹介・あらすじ

自分を包んでいる(縛っている)母語の響きからちょっと外に出てみると、どんな音楽が聞こえはじめるのか。母語の外に出ることにより、言語表現の可能性と不可能性という問題に果敢に迫る、境域の作家多和田葉子の革新的書き下ろしエッセイ集。

感想・レビュー・書評

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  • もっと早く読めば良かった。
    こんなに納得して、自分の感覚を的確に表現された本は初めてだ。読んでいて、「そうそうそう」とうなずかずにはいられなかった。
    複数の言語を話しているとやたらとダジャレが頭に浮かぶ。ダジャレ的な、翻訳でもなくネイティブの語感でもない言葉と言葉のズレ、あるいは音と意味のちぐはぐになった言葉らしきものを通じて世界を見始める。
    これは外国語で生活をしている経験がある人にははっきり分かる、でもそこまで外国語にどっぷり漬かっていないとなかなか分からない感覚だという気がする。
    外国語に興味がある人にはぜひ一度おすすめしたい本。

  • 2部がテレビドイツ語会話とは知らなかった。ドイツ語の単語についての感覚が鋭い。ドイツ語の勉強にもなる。

  • 多和田さんの見ている言語の世界をわかるようになりたい。

  • 日本語とドイツ語で創作や自己翻訳を行っている多和田葉子氏のエッセイ。
    ダカールからマルセイユまで、世界の様々な都市を巡りながら、著者の言語に対する
    鋭敏な感覚で「母語の外へ出る旅」の様子が描写されている。

    表題にも含まれる「エクソフォニー」というのは、「母語の外へ出た状態一般を指す」らしい。
    多和田が紹介したことにより、日本の文学研究でもこの語が使われ始めたとか。

    フツーな感覚から考えたら、日本語で書ける作家が、なぜわざわざドイツ語でも書くのか、疑問に思うだろう。
    当然、日本語のほうが自由に操れるはずだし、効率よく書けるはずだ。
    子どものころからドイツに暮していたならともかく、彼女がはじめてドイツで生活したのは大学を出てからだ。

    こうした疑問に対する多和田の答えは、エッセイの中に書かれている。

    「わたしはA語でもB語でも書く作家になりたいのではなく、むしろA語とB語の間に、詩的な峡谷を見つけて落ちて行きたいのかもしれない。」(p.32)

    なるほどねー、
    とすぐに納得できるような話じゃないけど、なんとなく分るよ。
    しかし、これじゃあ著者の自己満足に過ぎない、と思うひともいるだろう。
    だいいち、ほとんどの読者は日本語かドイツ語のどっちか一つしかできない。
    「詩的な峡谷」を、読者は著者同様に見つけることができるのか?

    まあ、百聞は一読に如かずということなので、実際に彼女の作品を読んでみるのが手っ取り早いだろう。
    で、読んだのは『旅をする裸の目』だが、これについてはまたいつか。

  • 多和田葉子さんの本を読むのは大きな悦びでした。何十年もドイツ語で生活し、ドイツ語で文学をも生む彼女の日本語への捉え方に、魅了されたり、共感したり。確かに、頭の中においての母語の単語のグループ化と、外国語のそれって全然違う。例えば彼女の頭の中では「Zelle(細胞)」と「Telefonzelle(電話ボックス)」は同じ場所に記憶されているけど、ドイツ語を母語としている人は大抵「細胞」は生物学の分野、「電話ボックス」は日常生活の分野に分類されている、など、こういうの、私の頭の中にも日本語学生の頭に中にも、面白いのがたくさんあると思う。
    そういった面白い違いを拾って取り入れた彼女の詩のような文章がすごく新鮮でした。
    あと、距離が離れているからこそ日本語に対して厳格(偏狭?)になってくる現象、あるある。私もネット上の文法間違いや顔文字過剰使用や意味不明文等に対して自分の忍耐力がどんどんなくなりつつあるのに気づきます。そういう疲れた時にもまた彼女の文章は静かに効きます。

  • 何度か、言葉が出なくなったことがある。
    失語症というほど深刻なものでもなく、普通にしゃべるのには問題がないので、自分以外は誰も気づかない。
    それでも、頭の奥でぐじゃぐじゃとわだかまる糸屑を解きほぐすための逡巡が必要になり、ようやく見つけた言葉ですら、本来探していたものではなくて、いつもとの齟齬に、ひとりちいさく混乱する。
    書き言葉にその傾向は顕著だ。
    そんなことを、思い出す。

    ドイツ語を学ぶ人は勿論、外国語を愛する人にはぜひ一度、読んでみてほしい。頷けるところ、頷けないところ、それぞれあるはずだ。
    シンフォニックなエクソフォニーがもっともっと聴ける日を心待ちにしている。

  • 外国語を研究していたり、翻訳を手掛けていたり・・・といった作家の文章が好き。
    多和田さんがドイツ語で作品を書くことに対する英語圏の人とフランス人の反応の違いが興味深い。

  • エクソフォニーとは母語の外に出た状態一般を指すとのこと。植民地や亡命しなければいけなかった背景のある作家と同じく、母語の外に出て選び取った言語で書く作家がいて、作品がオモシロければ、表現する言語を変えていったこと自体は不幸ではない。母語ではない言語で書くことの出来る人の母語を語るときはオモシロいです。第二部実践編で日本語学ぶドイツの学生のやりとりなど。ドイツ語の表現「あそこは十時を過ぎると死んだズボンだ」レストランや飲み屋がみんな店じまいをして人通りもなくなり、退屈だったりる状況を表す「死んだズボン」なぜ、スボンなのでしょうね

  • エクソフォニーエクソフォニー<br /><br />「夢」には、ふたつの意味がある。眠って見る「夢」と、将来の「夢」。普段意識しないが、ふたつの意味は似ているようで全く別物だ。<br />だが英語の「dream」もちょうどこのふたつの意味をあわせ持っている。<br />この奇跡に気づいて、中学生の私は興奮したものだった。<br /><br /><br />「エクソフォニー」は母語の外に出た状態を指す。多和田葉子は日本人でありながら、ドイツ・フライブルクに住み、ドイツ語で小説の執筆活動をおこなう、エクソフォンな作家である。<br />他の言語をあやつることで起こる、母国語の変化。<br />そして、外国人だからこそできる言葉の遣いかた。<br />エクソフォニーでしか発見しえないことは無限にある、ということを本書は教えてくれる。

  • 【配架場所】 図書館所蔵なし

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著者プロフィール

多和田葉子(たわだ ようこ)
1960年、東京都生まれの小説家、詩人。早稲田大学第一文学部ロシア文学科卒業後、西ドイツ・ハンブルクの書籍取次会社に入社。ハンブルク大学大学院修士課程修了。長年ドイツに暮らし日本語・ドイツ語で執筆する。著作は各国で翻訳されており、世界的に評価が高い。
’91年「かかとを失くして」で第’34回群像新人文学賞。’93年「犬婿入り」で芥川賞受賞。’96年、ドイツ語での文学活動に対しシャミッソー文学賞を授与される。’11年、『雪の練習生』で野間文芸賞、’13年、『雲をつかむ話』で読売文学賞と、芸術選奨文部科学大臣賞を受賞。
世界的な賞も数々獲得している。2016年ドイツの文学賞「クライスト賞」を日本人として初めて受賞。そして2018年『献灯使』がアメリカで最も権威のある文学賞「全米図書賞」翻訳文学部門を受賞している。

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