- Amazon.co.jp ・本 (188ページ)
- / ISBN・EAN: 9784000222662
作品紹介・あらすじ
自分を包んでいる(縛っている)母語の響きからちょっと外に出てみると、どんな音楽が聞こえはじめるのか。母語の外に出ることにより、言語表現の可能性と不可能性という問題に果敢に迫る、境域の作家多和田葉子の革新的書き下ろしエッセイ集。
感想・レビュー・書評
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日本語とドイツ語で創作や自己翻訳を行っている多和田葉子氏のエッセイ。
ダカールからマルセイユまで、世界の様々な都市を巡りながら、著者の言語に対する
鋭敏な感覚で「母語の外へ出る旅」の様子が描写されている。
表題にも含まれる「エクソフォニー」というのは、「母語の外へ出た状態一般を指す」らしい。
多和田が紹介したことにより、日本の文学研究でもこの語が使われ始めたとか。
フツーな感覚から考えたら、日本語で書ける作家が、なぜわざわざドイツ語でも書くのか、疑問に思うだろう。
当然、日本語のほうが自由に操れるはずだし、効率よく書けるはずだ。
子どものころからドイツに暮していたならともかく、彼女がはじめてドイツで生活したのは大学を出てからだ。
こうした疑問に対する多和田の答えは、エッセイの中に書かれている。
「わたしはA語でもB語でも書く作家になりたいのではなく、むしろA語とB語の間に、詩的な峡谷を見つけて落ちて行きたいのかもしれない。」(p.32)
なるほどねー、
とすぐに納得できるような話じゃないけど、なんとなく分るよ。
しかし、これじゃあ著者の自己満足に過ぎない、と思うひともいるだろう。
だいいち、ほとんどの読者は日本語かドイツ語のどっちか一つしかできない。
「詩的な峡谷」を、読者は著者同様に見つけることができるのか?
まあ、百聞は一読に如かずということなので、実際に彼女の作品を読んでみるのが手っ取り早いだろう。
で、読んだのは『旅をする裸の目』だが、これについてはまたいつか。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
もっと早く読めば良かった。
こんなに納得して、自分の感覚を的確に表現された本は初めてだ。読んでいて、「そうそうそう」とうなずかずにはいられなかった。
複数の言語を話しているとやたらとダジャレが頭に浮かぶ。ダジャレ的な、翻訳でもなくネイティブの語感でもない言葉と言葉のズレ、あるいは音と意味のちぐはぐになった言葉らしきものを通じて世界を見始める。
これは外国語で生活をしている経験がある人にははっきり分かる、でもそこまで外国語にどっぷり漬かっていないとなかなか分からない感覚だという気がする。
外国語に興味がある人にはぜひ一度おすすめしたい本。 -
ことばをとても大切に扱っている筆者の感性が素晴らしい。
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2021年1月期の展示本です。
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第二部実践編は割愛。
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2部がテレビドイツ語会話とは知らなかった。ドイツ語の単語についての感覚が鋭い。ドイツ語の勉強にもなる。
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多和田さんの見ている言語の世界をわかるようになりたい。
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何度か、言葉が出なくなったことがある。
失語症というほど深刻なものでもなく、普通にしゃべるのには問題がないので、自分以外は誰も気づかない。
それでも、頭の奥でぐじゃぐじゃとわだかまる糸屑を解きほぐすための逡巡が必要になり、ようやく見つけた言葉ですら、本来探していたものではなくて、いつもとの齟齬に、ひとりちいさく混乱する。
書き言葉にその傾向は顕著だ。
そんなことを、思い出す。
ドイツ語を学ぶ人は勿論、外国語を愛する人にはぜひ一度、読んでみてほしい。頷けるところ、頷けないところ、それぞれあるはずだ。
シンフォニックなエクソフォニーがもっともっと聴ける日を心待ちにしている。 -
外国語を研究していたり、翻訳を手掛けていたり・・・といった作家の文章が好き。
多和田さんがドイツ語で作品を書くことに対する英語圏の人とフランス人の反応の違いが興味深い。