- Amazon.co.jp ・本 (341ページ)
- / ISBN・EAN: 9784000225571
作品紹介・あらすじ
座談会「近代の超克」は何を語ろうとして何を語ってしまったのか-民間学・マルクス主義から小林秀雄まで、戦間期の思想史像を一新する。
感想・レビュー・書評
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原題:Overcome by Modernity: History, Culture, and Community in Interwar Japan (Princeton University Press, 2000)
著者:Harry D. Harootunian
訳者:梅森直之
【書誌情報(上巻)】
ジャンル 書籍 > 単行本 > 歴史
刊行日 2007/04/20
ISBN 9784000225571
Cコード 0021
体裁 四六・上製・カバー・376頁
在庫 品切れ
第一次大戦後,資本主義の急激な高度化・都市化の進展によって引き起こされた社会変容は,日本の知識人に激しい衝撃を与え,20年代以降,文化的本来性をめぐる言説を大量に生み出した.西欧でも同時期に出現したこのあまりにも近代的な現象=「近代の超克」を新しい光のもとに捉え,日本の近代思想史像を一変した,衝撃の書
■訳者解説より
“ハルトゥーニアンが「日本」に対して示す無関心は,けっして「日本思想」の意義や価値を矮小化するものでなく,事態は,むしろその逆である.彼が拒絶するのは,「日本人論」や「日本文化」論や「日本社会」論の構築を終着点とするような思想史研究のあり方であり,「日本思想」そのものではない.むしろ本書は,「日本思想」を,近代や資本主義という普遍的な主題と直結させることにより,そこに新しい意味と可能性を付与するものである.ハルトゥーニアンは,次のように考えるのである.「日本」や「日本人」そのものが面白いわけではない.しかしこの国で,これまで人々が示してきた近代や資本主義に対する理解や反応には,きわめて重要で,かつ意義深いものがある.そしてその経験は,今日,世界共通の財産として,あらためて真剣な検討に付される価値がある.” (梅森直之「『近代による超克』の切断」より)
〈https://www.iwanami.co.jp/book/b261367.html〉
〈https://www.iwanami.co.jp/book/b261368.html〉
【目次 上巻】
日本語版への序文
政治的美学――近代のアポリア
序 すべては歴史の名の下に
第一章 モダンライフという幻想
第二章 近代を超克する
多様な出来事の継起の終わりとしての事件
アメリカニズム
表象の問題と歴史の地位
第三章 現在を知覚する
「モダンライフ」という約束
「機械というプリズム」を通して
「群集の人」――大衆文化のアクチュアリティ
日常生活の哲学化
歴史編成と民衆娯楽
町,隠れ家,主体性
【目次 下巻】
第四章 文化的記憶の持続
日常性という恐慌
文化的存在論――日常性の避けられない原初性
偶然の必要性
文化の二重性格――日常生活の重層性
国民性格の文化化
人間関係を家化する
第五章 共同 - 体
共同 - 体の記憶術
民衆を形象化する
芸術,アウラ,繰り返し
第六章 歴史的現実
実存,経験,現在
「生活文化」
「技術の力」
民族主義とファシズムという亡霊
注
解説 『近代による超克』の切断[梅森直之]
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