ここではない場所―イマージュの回廊へ

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著者 : 今福龍太
  • 岩波書店 (2001年11月28日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (213ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784000228190

作品紹介

分析的言語のロジックからことばが解き放たれ、それ自身の声と抑揚を身につけたとき、批評のことばはどのようなやり方で現実に介入し、いかなる精密さによって現実を揺るがすのか-。本書はそうした新しい批評の方法へむけての、静かな宣言である。

ここではない場所―イマージュの回廊への感想・レビュー・書評

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  • 刺激的だった。

    以下引用

    (東松輝明)
    しかしこの日常の風景は、敗戦=米軍による占領という、これまで日本が経験したことのない歴史的アクシデントの表象でもあった。したがって私には、日常の風景が日本の戦後史と重なり、非日常の風景として二重写しに見えた

    ここには、時というモノと対峙して、時というものに深い探りを入れようとする写真家の視線があります。

    しかし私は東松の沖縄の写真のなかに、まったく異なったトーンを感じます。たしかに写真家と時代の風景とのあいだには切り離し得ない相互作用があると認めましょう。そして写真家はときに時代とのあいだにある種の共犯関係をつくりださざるをえない存在でもあるという事実も受け入れましょう、そうだとしても、なお、東松英明のこの時期のモノクロ写真には、通常のドキュメンタリー写真が伝える具体的・歴史的「時代」への帰属や介入を超えた、ある種の抽象度が備わっているように見えます。それは、映像の本質的な指向性としての、時間をめぐる形而上学あらわれであるといってもいいかもしれません。特定の時代性・地域性に縛られない、すなわち日本という国家制度や公の歴史に回収されない、普遍的な時間と空間を結んで横たわる「群島」としての日本の光景が、ここにはたしかに写し取られている

    写真製造は、それ自身「時間」との特別な関係を有してゐます。それは「現在」を瞬間的に切り取ったものですが、私たちが写真映像を、そのような「現在」形の時世で経験することは決してありません。

    過去の一瞬の証拠として。にもかかわらず、その一回性の運命を刻印された光学的痕跡が、わたしたちの時間意識をゆるがせ、回転させ、ついには不思議な記憶と夢の奔流にいざなってゆく

    詩人はかつてこう書いたこともある。私たちが日々くだす小さな決断は、いつも間違っている。なぜならそれは、私が判断しているからだ。けれども、大きな決断はけっして過たない。なぜならそれは自分が決めてはいないから。自分ではない誰かが詩人をそそのかし、うながし、押し出し、障害をついやす旅に彼を誘いだした。つまり運命に翻弄される偶然は、しかし決然とした意識が信ずる強い力を生み出すこともできるということだ。人間がなしうる、この大いなる決断の力こそ、自己を他者と結び合わせ、悲劇の宿命として捨て去られていたものを必然も歴史の産物へと目覚めさせるための、ほとんど唯一の武器である

    東松照明 時の島々

    大いなる決断がいつなされ、それがいかなる人々と世界を巻き込んでおこなわれているのか。そうした過程に目覚め、宿命のような時の支配のなかに、屹立する単独の歴史を自らの手でたんじょうさせてゆくこと。

    耳を澄ますとは、周囲の物音や気配を自らのかたわらに引き寄せることによって自分の心の形をつかみだす、もっとも原初的な詩的探究の行為にほかならない

    聴覚的な領域から視覚的な存在へと移行したか二みえたことばが、ふたたび音へと差し出される瞬間

    音として自立、完結していた聴覚的な言語存在の様態が、、文字と図像的なかたちを媒介にして視覚的存在へと移行する

    音を聴くのは耳だが、ここで声を発する咽喉という身体期間のことを忘れるわけにはいかない。音の体験はつねに、詩の言葉を発生させるが、詩という行為はそれで完了するわけではない。むしろ、生まれたことばに位置を与え、空間的存在となる為に、それを紙や銅板に書き付け、さらにはそれを声に出して再び音響的世界に投げ入れる「朗読」の行為を通じて、音とことばと詩の円環は閉じられて一回りする

    非、常、に、美しい、名の河の、う、、
    ディ、キ゚、ド、ド、ロ、ロ。
    心は(おそらく)、巨きな、螺旋に、いや、
    そこから、下って、来た、、、、河は、
    嬉しそうに、、、、もういい、わたしは、、、
    ホテルの螺旋階段を、いそいで、上がって行った


    咽喉はこのとき、螺旋階段のように音と律動に向けてスピンを繰り返しながら、身体の内奥と天空とを結んで屹立する通路となる。

    咽喉を通じた空気の律動、すなわち存在そのものの呼吸によってあらわされる生命原理のこと

    わたしは、茫然と、湧き出て来る

    チ・チェン
    イッ、ツァ

    声をみていた、そして歩き出していた
    ジャガーやサーペントが、その体をひらいて、
    そこに天地が下りてきている。
    雨、雨も、外在化して、
    雨露が大きな雨露が一滴、
    次なる一滴と、連続して外在化していて、
    宇宙の壁を作っている。いや、宇宙の壁が、ここに下りてきている


    耳を澄ます詩人は、道行く人である。風に誘われ、旅に出で立ち、土地と土地の名とに出会い、その音を耳にきざみつけ、やがて土地から離れた後も。その土地を音として永遠に所有し続ける

    もう、何処にも、いき、つけなくていい

    土地にあくがれ、その名の響きに耳を澄ませ、音を物として感受し、影のように音につき添い、歩みをつづける。

    孤高の移動者

    彼は旅を開始し、旅を継続させ、あるいは終わった旅を音として、ことばとして再生する。

    台風が発生して、上がってくるときにそれを迎えにいきたい。迎えにいきたいというような子供っぽい気持ちがすることがありまして、そういうかすかに聞こえて来る音にいざなわれて、時おり、、、、

  • 「ここではない場所への想像力」、「エコロジーのミューズを求めて」のみ読了。

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