公共圏に挑戦する宗教――ポスト世俗化時代における共棲のために

制作 : エドゥアルド・メンディエッタ  ジョナサン・ファンアントヴェルペン  箱田 徹  金城 美幸 
  • 岩波書店 (2014年11月27日発売)
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  • Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784000229388

作品紹介

近代化とともに宗教は力を失っていくだろうという大方の予想に反し、宗教人口は世界中で増大し、社会に大きな影響力を持つようになっている。ポスト世俗化社会といわれる今日、多様な宗教的背景を持った人々とどのように共存し、ともに社会を形作っていけばよいのか。その模索は、宗教的要素を削ぎ落として構想された近代的公共圏とデモクラシーを再検討することでもある。現代を代表する四人の知性による、白熱の議論。

公共圏に挑戦する宗教――ポスト世俗化時代における共棲のためにの感想・レビュー・書評

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  • 公共の空間において宗教はどのような地位にあるべきかの議論。4人の講演をもとにしていることもあって、司会者による導入、4人それぞれの論考、彼らによる議論という形式を取っている。そのため、それぞれの著作で学んだら難解であろう議論がある程度分かり易くなっているのが、この本の長所である。
    最初のハーバーマス、テイラーの論考、二人の議論が面白い。ハーバーマスは「皆が理解できる」という点を重視して、宗教のような一部の人にしか理解し得ないものを取り除いた共通の言葉による議論を重視する。(世俗主義=ライシズム)一方、テイラーはライシズムの歴史的経緯(特にフランスでは強大な教会権力に対抗するために公共の空間から宗教を排除した)から、マイノリティにまでライシズムを徹底すべきでないことを主張する。
    確かに、多様性の中でアイデンテティを守る必要性、それをライシズム排することにつながりかねないという主張も理解できる。しかし、共通の言葉(西洋人権思想など)で語られる公共の空間があるからこそ、人々は差異を受け入れることができるのである。テイラーのようにライシズムを他の思想とともに相対化させることには、やはり納得できない。

  • アーレントは政治的メシア主義をあからさまに軽蔑していた。ユダヤ人という集団への帰属意識は非ユダヤ人となんらかの関係を築くことと対になっているのではないか、また他社製の問題に取り組むことがユダヤ自生に帰属することの根本なのではないか。

  •  専門外の私には、そして、現在の日本語の文脈では、率直に言ってあまりリアリティが感じられない議論だな、というのが初読の感想。しかし、とくに後者については、まさにそれこそが問題なのかもしれない。また、欧米のリベラルな議論において、イスラエルの国家暴力を批判する言表がいかに面倒で、大きな負荷が伴うことなのか、少し実感できたように思う。

     知った名であるせいか、どうしてもハーバーマスとバトラーに注目してしまうが、この二人がまるで異なる方向性から議論を組み立てていることぐらいは理解ができた。あくまで一般理論を構想するハーバーマスは、「公共圏」の構成・上書き・発展にとって宗教的伝統は決して阻害要因にはならないが、宗教的な発話をそのままダイレクトに「公共圏」に持ち出すことは規則違反である、と主張する。一方、「公共圏」をかたちづくる前提それ自体への視線を忘れないバトラーは、アーレントのユダヤ人論を引き合いに出しながら、あくまで傷つきやすい身体を出発点に、「地上で共棲する相手を選ぶ資格は誰にもない」という点から、根源的な倫理性を立ち上げようとしている。
     だから、この二人は同じように「公共領域の条件」を考えているのだけれど、「ルールを作る側」に立つのか、それとも「ルールを生きる側に立つのか」という決定的な差異があるように私には思える。

     バトラーの議論は、彼女の一連の戦争論の延長線上にあるものだろう。この本の中でも、一人違うところから発話している感じがにじみ出ている。
     シンプルかつ明快に議論をすすめるハーバーマスの「頭の良さ」は確かに受けるのだろうけれど、いくらなんでもお利口さんに過ぎる議論ではないか? とも思う。

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