- Amazon.co.jp ・本 (222ページ)
- / ISBN・EAN: 9784000229692
作品紹介・あらすじ
われわれは生きて戻れるのか? ――原発が爆発・暴走するなか,地震・津波被害者の救助や避難誘導,さらには原発構内での給水活動や火災対応にもあたった福島県双葉消防本部一二五名の消防士たち.原発事故ゆえ他県消防の応援も得られず,不眠不休で続けられた地元消防の活動と葛藤を,消防士たちが初めて語った.一人ひとりへの丹念な取材にもとづく渾身の記録.
感想・レビュー・書評
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福島第一原発事故では東京電力の原発職員の方や、自衛隊やハイパーレスキューなど数多くの方の献身的な活動のおかげで、最悪の状況を脱することができました。その一連の事故の下、地元消防である双葉郡消防本部に属した130名余りの消防士の方の活動の記録です。
原発事故があった場合に消防が担うべき役割は避難誘導とされていましたが、空間線量が上昇している事実も知らされないまま任務に従事する状況となっていました。事故の状況が悪化するにつれ、消防の担う役割が、なし崩し的に原発構内での消防活動への協力へとエスカレートします。それでも錯綜する状況から、その活動によって被るリスクなどの正確な情報は伝えられないままでした。
1号機、3号機の水素爆発の後、構内活動への協力要請を受諾するかどうかの会議では「特攻隊と同じではないか」、「自分たちは捨て石になるしかないのか」とまで追い詰められていました。
一方、自身の家族への連絡、安否確認はほとんどできないまま、活動を強いられる状況となっていました。「消防士の使命は国民の生命、身体、財産を守ることだ。しかし、自分の家族も国民だ。どうして自分の家族を守り、”避難しよう”と導くことができないのか。家族の恐怖や苦労をしのび、声を上げて泣いた(本文抜粋)」
さらに過酷であったのは、空間線量の高い地域からの傷病者の搬送の際、受入側の地域で差別のような視線を向けられたことでした。自らの家族が避難先で、放射能汚染を持ち込んでいるのではないかと疑われ、スクリーニングの証明書を持参するように依頼されたり、「我々は汚物ですから」と証言した消防士もいました。
最も危険な最前線で活動せざるを得なかった人たちが差別的な視線にさらされた事実は、昨今のコロナウイルス感染の拡大の状況下で活動されている医療関係者の家族への”いじめ”があったという報道を思い起こさせます。非常時において一般の市民の気持ちの余裕がなくなりつつある今こそ、寛容な気持ちを持ち続けることの重要性を認識させられるノンフィクションでした。 -
何十年後、何百年後の貴重な記録になると思う。
地元消防士が命をかけてまでやるべきだったのか。まさしく特攻隊。
「俺に何かあれば、家族に「愛している」と伝えてくれ。」そう言わなければならない「仕事」とは何なんだろう、と考えさせられた。
人間がコントロールできないものは作るべきではない。まさしくそれにつきると思う。 -
休むことなく、一気に読み終えた。
福島原発事故では、この本に書かれているとおり、私も華々しく報じられた東京消防庁や自衛隊のことしか知らず、地元の双葉消防本部の消防士たちの孤軍奮闘、まさに孤塁を守ったことは初めて知った。
ほとんど書き手の私情を交えることなく、淡々と書き綴られた本書は、それだけに強く訴えかけるものがある。
あとがきで取材に応じてくれた消防士全員の名前が列記されている。
この人たちのオーラル・ヒストリーと言ってもいい。
前半では消防士たちが追い込まれた活動から、東電の混乱・無策の有様が改めてさらけ出される。
原発の危険性を熟知している東電の人間が、本社も現場もリスク・シナリオを全く用意しておらず、ひたすら「原発を守ること」だけを考えて対処していたことは明白になる。
後に妙に英雄視された現場所長も、消防士たちを含め、地域住民のことなどなにも考えていなかったことへの著者の怒りは、第6章「4号機火災」で、現場所長と東電本社とのやり取りをわざわざ転記しているところでわずかに垣間見える。
「記録に残らなければ、歴史から消えてしまう。」(141頁)
一人の消防士は「災害の真っ只中にあり非日常である双葉郡と、避難先に存在する日常との乖離を、肌で感じた。」(154頁)と書いているところは、個人的にも阪神・淡路大震災時に神戸の被災地を訪れたあと、大阪駅に戻ってネオン輝く街並みを見たときの違和感を思い出す。
テレビ朝日と福島放送が共同制作した「3・11を忘れない その時『テレビ』は逃げた』ー黙殺されたSOS」にも触れており(157頁)、この番組は私も見たが、そのときになお消防士たちが活動していたことには思いも及ばなかった。
被災地でも秩序正しいニッポン凄いを連呼し、美談ばかりを流していた一方で、盗難・放火事件があったことも記されている。(161頁)
震災後「絆」という言葉が流行したが「ないものを文字にするんだな…」(190頁)とつぶやいたり、芸能人たちが訪れてイベントをやった片付けを消防が手伝うこともあり、終わったあと「ふと、取り残されるようなさみしい気持ちになる。そうすると「祭り」なんて、なくてもいい、とすら思ってしまう」(192頁)というところは、なにも被害がなかった土地の人間の押しつけの傲慢さにようやく思いが及んでしまう。
あの大震災から9年経って、なお原発からは遠く離れた東京に住み、その電力をのうのうと使って暮らしている我が身は、なにをどうすればいいのだろうか? -
福島第一原発を管轄する双葉消防本部。震災当時活動に従事した125名のうち、今も現役の消防士66名に取材した地元消防本部の苦悩と葛藤。特に後半涙なしには読めませんでした。
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震災――地震と津波と原発事故――に襲われた双葉周辺。自らが住み、守ってきた土地の消防士たちの、記憶に止めておくことすら痛ましい悔しさや哀しさに満ちた日々が臨場感ともなって構築されています。必死さのなか、笑いもあり、とても親近感がわきます。
当時の、日常が壊滅したただ中に、まさに消防士当人になったように胸中は不安でいっぱいなまま、ひたすら目の前のことに対応し続けるしかない気持ちが大きく、一行、二行と読み進むなか、涙は出ません。最後の最後、8章の「孤塁を守る」、エピローグ、あとがきで、感謝と敬意でいっぱいになって号泣しました。 -
テレビ語られないことが多くあります。何かへの忖度なのでしょうか。
命をかけてFukushimaを、そして日本を守った多くの人達がいたことを伝えていかなければならないと思いました。その時、政府が、自治体が、電力会社がどう行動し、何がうまくいき、何が悪かったのか。なぜ、地元消防士にここまでのことをしてもらわなければならなかったか。なぜ、“個”の命をかけた働きに頼らなければならなかったか。
この本は、あえて淡々と事実のみを書いています。第三者の想像や思いを廃し、単なる美談にしていないところに著者の強い思いを感じました。記録として残してもらった、この本を多くの人が読み、記憶の中に残し忘れないようにしなければならないと思いました。
https://japanpen.or.jp/...
https://japanpen.or.jp/2021kb02/