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Amazon.co.jp ・本 (144ページ) / ISBN・EAN: 9784000230421
みんなの感想まとめ
テーマは、3.11の出来事を通じて日本社会の原発政策や核の問題を深く考察することにあります。特に、福島の住民が直面した現実や、メディアの対応についての批判が印象的で、著者は被爆国としての複雑な心理を掘...
感想・レビュー・書評
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前半は3.11に関わる、雑誌掲載記事の寄せ集めなので、重複も多くて今ひとつ入り込めなかったが、福島の住民が政府の指示により30キロ圏内に留まり続けるさなか、メディア関係者が一斉に避難していたことを非難するくだりには、激しく同意した。後半多くのページが費やされているのが、アトムとゴジラ、祈念と国策で、世界唯一の核兵器被害国でありながら、原発推進を行い、非核三原則を維持する傍ら、原子力技術を進化させて核兵器保有の可能性を保持する国策への論考である。被爆国でありながら、簡単にアメリカの喧伝する原子力平和利用という政策に巻き込まれたのは、被爆者であるからこそ、核の平和利用を祈念せずにはいられない彼らの複雑な心理に言及していて興味深かった。
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3.11という日付と、加藤典洋という著者名に敏感に反応しての即買い。
福島出身であり、未だに喉に魚の小骨が刺さったような違和感を持っているにもかかわらず、原発と原子力についてはよく知らなかったし、調べようともしなかった。
しかし、本書を読みながら、やはり知らなければいけないという気持ちに駆られた。
福島県に生まれながら、何も知らないままでは、これから生まれてくる世代に何も伝えられないし、何か伝えられるとしても、それは表層的で情緒的なものでしかないだろう。
そんな風に触発されたのでした。
アトムとゴジラの想像上の対面という件が印象深かった。
文化表象、特にポップカルチャー、サブカルチャーに隠れている思想性と批評性は自分なりに様々な作品について掘り下げてみたくなった。
できるかどうかは別として。 -
2012.4記。
3.11関連の書籍も速報・記録から「振り返り」に少しずつシフトしているように感じるが、そんな中現代思想ジャンルのこの人の著作を読んでみた。
副題はかなり穏当さに欠けるが、実際に読めばセンセーショナリズムとは無縁であり、こめられた意図は冒頭のほうで説明される。
圧巻なのは「祈念と国策」と題された書き下ろし論集。「アトムとゴジラ 祈念と怨念」と題する章で戦後を象徴する二つのアイコンに対話をさせる、という設定およびその内容には、賛否以前に色々考えさせられた。 -
twitterで本人が告知していたので知った。
【要約】
・「死に神に突き飛ばされる」とは、自分がその鎌の餌食になるのではなく、「お前に用はない、邪魔だからどけ」と言って突き飛ばされるというニュアンスだった。そして、死に神が向かうのは、もっと若く、幼い世代。
・日本において原発の平和利用の前提であった「自前の技術開発」、「核燃料サイクルの放棄」。前者はアメリカの思惑があり、後者は「核抑止力」という観点から、いずれも達成できなかった。ここに「秘密主義」「隠蔽体質」が必然的に組み込まれることになった。 -
3.11後の、特に日本の原発問題、エネルギー問題についての考察をまとめた本
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本書を読むと、「原子力の平和利用」など、素人目にはもはや幻想であったとしか思えない。ただの言い換え、言葉のすり替えにすら見える。
原子力推進の裏には、経済問題がひとつなのは既知だろうが、もうひとつ、技術抑止と名づけられた、形を変えた核保有、核の軍事利用という国策が隠されているという驚愕の事実。
原子力も核開発も政治も経済も、あいにく無知な一庶民としての感覚しか持ち合わせていないが、どう贔屓目に見ても今の状態はおかしい、それくらいのことは、この私にだってわかる。
この国はどうなる。どうする。
日本の原子力について、村上春樹の発言をいくつか取り上げており、その解釈がなかなか興味深い。
村上氏のエッセイは読んだことがないのだけど、読んでみようかな。 -
3.11の原発問題をベースに、日本の原子力政策や既存メディアの機能不全等、不都合な真実が書かれています。
特に平和利用を目的とした原発の核燃料サイクルが、技術抑止力としての軍事利用であったという内容は衝撃でした。 -
2012/7月
3.11をどう捉えるかジャーナリストの考えに触れてみたくて。
前半社会価値観の変革の部分は興味深く読みました -
核燃料サイクルの中で、核兵器に利用するプルトニウムを生み出しているからには、「原発の平和利用は、軍事使用にいつでも転用されうる」という観点からも日本の原発の保持についての是非を考えなければいけないと思いました。
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大飯原発の再稼働の必要性を野田総理が表明した。
原発を維持すべきか、廃止すべきかについて、マスメディアでは、安全性の確保などという現実的な側面からの報道がなされるばかりで、将来のエネルギービジョンや本質に迫るものが見えてこない。
著者の加藤典洋は、村上春樹の作品分析についてはその右に出る者がないほどの深くて鋭い洞察を行っているが、この原発をめぐる問題についても、様々な文献や情報を読み込み、その根底に何が隠されているのかを抉りだしている。
第二次大戦での敗戦国であるドイツやイタリアがいち早く「脱原発」を表明したのに、日本ではなぜ「脱原発」の選択について掘り下げた議論がなされないのかが、気になっていた。プルトニウム製造に関わる軍事的側面の事情があるのではないかとはうすうす感じていたが、この本を読んでその疑問が氷解した。
原発を維持したいという意図には、「核燃料リサイクル」によりプルトニウム製造に関する技術を維持して「核技術抑止」力を持ち続けたいという軍事的戦略が隠されているというのだ。「核を持とうと思えばいつでも製造できるという技術を持つこと」が、抑止力たりうるという指摘だ。
原発については、絶対的な安全性が確保されていないこと、廃棄物処理の方法が確立されていないことに加え、「核燃料リサイクル」の製造を手放さない限り、そこには「技術抑止」という軍事的国策が隠されていることも忘れてはならない。
著者は、『敗戦後論』で、戦死した人々の無念の思いをどう引き受けるかを自らに課して論を展開していたが、ここでも、やはり被爆者の無念の思いと祈りを中心に据えて考察を進めていて、文芸評論家としての面目躍如たるものがある。 -
編集長にお勧めしてもらった本。「祈念と国策 Ⅳアトムとゴジラ」が非常に面白かった。
「私たちは、『原爆を経験した』のに、なぜ『原子力の平和利用』などにかくも『簡単に巻き込まれた』のか。・・・私たちは『二度まで核の被害を受けた、』それなのに、正義は実現されなかった。だからこそ、『核の平和利用』に希望を見出さなければならなかった、それ以外に、『核兵器』の悪夢を払いのける方法がなかったからだ・・・なぜ、『原爆を経験した』のに『原子力の平和利用に簡単に巻き込まれた』のかと言えば、『原爆を経験した』からこそ、にもかかわらずそのことに誰も非を鳴らさなかったことから、被爆者たちの一部の人々は、『原子力の平和利用』に夢を託すほかになかったのである。それと同じ仕方で、『アトム』の問いに、答えることができる。・・・『アトム』という文化アイコンは、戦後の日本に、『原爆を経験した』にもかかわらず現れたのではなく、『原爆を経験した』からこそ、にもかかわらずその『悪』が非難されない現実があればこそ、現れ、必要とされ、最大の文化象徴にまで育ったのである。」 p.114-115 -
震災後に関する似たような内容のエッセイの集合体。文系・理系と言っていること自体が何だかなと感じる。ある種の人々は、未だにそういう感覚なんだろうと思う。
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