自由を耐え忍ぶ

制作 : Tessa Morris‐Suzuki  辛島 理人 
  • 岩波書店 (2004年10月15日発売)
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  • Amazon.co.jp ・本 (219ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784000234030

作品紹介

9・11事件後、アフガニスタン戦争は「不朽の自由作戦」と名づけられ発動された。アフガンで、イラクで、自由を付与するとの美名の下に、数多の民間人が殺され、傷ついた。彼ら彼女らにとっての「自由」とは頭上から降り注ぐ爆弾のように、耐え忍ぶものなのだろうか?軍産複合体が肥大化し、市場が国家と融合した。人々の生活のあらゆる局面に産業化・市場化が浸透し、自由までもが規律化された。戦争や強制収容所が民営化されていく。知的財産は企業によって囲い込まれ、平等に享受しうる情報や自由が収奪される。グローバリゼーションに関わる最新の文献を踏まえ、9・11事件後に世界各地で進行する事態をおさえながら、新たな社会運動へ向けて批判的想像力を羽ばたかせ、市場の社会的深化に抵抗するオールタナティブを探る。

自由を耐え忍ぶの感想・レビュー・書評

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  • 原題:Enduring freedom
    著者:Tessa Morris-Suzuki(テッサ・モーリス=スズキ)
    訳者:辛島理人(からしま まさと)
    装丁:後藤葉子
    カバー写真:『空爆のさなかに出会った少女』2003年3月/バグダッド 撮影・豊田直己

    ■体裁 四六判・上製・カバー・228頁
    ■定価 本体 3,300円 + 税
    ■出版 2004年10月15日
    ■ISBN 4-00-023403-X C0031
     自由を与えるとの美名の下で,大国の政治が人々の生活を監視し,巨大資本が文化の多様性を封殺し,人々の資産を囲い込んでいる.テロの恐怖が,正義や法の裏づけのない国家の暴力を助長し,非寛容的な原理主義を蔓延させている.不自由な自由を耐え,劣化した民主主義を再生させるオルタナティブを提示する.
    https://www.iwanami.co.jp/smp/book/b261915.html


    【目次】
    目次 [vーviii]

    第一章 劣化する民主主義 001
    自由/廃墟をもとめて/民主主義/グローバリゼーションと市場の社会的深化/身体保安産業/市場の社会――三つの意味/オルタナティブへむけて

    第二章 暴走する市場 027
    権利証書/成長するに任せよ/未来を担保する/消費のポリティクス/衛星国家

    第三章 自由とパノプティコン(一望監視) 051
    ベンサムのユートピア/自由の規律/二重運動の広がり/二重運動の逆転/ネオベンサム的世界/パノプティコンの市場化/自由と無力感

    第四章 知の囲い込み 077
    知的財産所有権革命/情報社会における所有権/SNPの所有権/シャーマンの養成プログラム/TRIPSを強要する/知をひらく

    第五章 風変わりな資産 103
    投票所と出入国管理所/人間の移動と市場/国境管理の政治学/安全への投資/公と私の再編成/ワイルドゾーンと対峙する

    第六章 戦争の民営化 129
    課税免除の民間兵士たち/冷戦の遺物/武器から耕作器へ、そして再び武器へ/軍産複合体の再編/特殊効果/軍と企業の同体化/ならずもの国家、テロリスト、民間軍事企業/ワイルドゾーンの拡大

    第七章 自由の再生 155
    一一〇〇万人の声/オルタナティブの探求/原理主義を越えて/境界を越えること/市場からの自由

    第八章 民主主義の再考 177
    政治と市場/境界の拡大/フリーソフトウェアとコピーレフト/健康の民主化 エイズ治療をめぐるキャンペーン/国家を監視する 企業を監視する/デモクラシーへの多層なアプローチ/未来予測不可能性の時代

    あとがき [201ー213] 
    参考文献 [1ー6]



    【抜き書き】
    [66頁]
    “ベンサムの再検証は、今日の「不自由な自由」という矛盾の理解を助ける手掛かりとなる。
     これまで以上に、すべての人間の行動は苦痛の回避と快楽の追求に基づく「効用」の合理的最大化、というベンサムの考えから導かれた基本理論によって今日の経済的決定は行われている。”


    [67~69頁]
     “しかしベンサムの自由主義においては、国家が担う決定的な役割が存在する。それは治安の領域だった。「政府の役目」の核は、ベンサムによれば、一行にまとめられる。「報償と懲罰によって社会の幸福を増進する」。一連の政治論文の中で、ベンサムは「効用」という初期の概念を、年を追うごとに「安全保障」の部分を強調することにより補完した。〔……〕「安全保障と自由は産業が必要とするすべて」とベンサムは主張した。逸脱者を訓育するための「不可視だが遍在する」国家により監視された、安全な社会を確保するための「透明な」隔離施設群である「パノプティコン丘の村」というユートピア計画に、彼による安全への激しい希求は証明されるだろう。
     このような流れで考えると、ベンサムのパノプティコン構想は、ビッグブラザーという全知の視線によってあらゆる市民が監視されるジョージ・オーウェルの『1984年』や、 ・・67 ガラスの都市によって人々の生活のあらゆる局面が国家のまなざしにさらされるエヴゲーニイ・ザミャーチンの小説『われら』の世界と異なることを強調せねばならないだろう。オーウェルやザミャーチンが描いたものは、中央集権的国家が全体主義のイデオロギーを人々に押しつけ、討論や批判がそこでは不可能な社会だった。一方、ベンサムなの描いた自由主義では、様々な見解による討論は許容され、むしろ(制限はあるもの)奨励され制度化されるべきものだった。
     つまり、ベンサムのパノプティコン構想は社会全体への思想統制を意図していたわけではなく、むしろ「ならずもの」や「ゴロツキ」といった、自由が持つ規範からこぼれ落ちた人々による脅威から、自由市場や自由な討論空間を守ることを想定していた(パノプティコンは「ゴロツキを砕いて真っ当な者にする製粉所」というベンサムの有名な言葉がある)。この意味において、自由な効用の最大化の強調とパノプティコンの機能の強調は分かちがたく結びついていた。すなわち、効用の競争的最大化を図る社会での人間の権利は、不可避的にならずものの存在によって減価されてしまうからである。〔……〕一方で制度への幻滅は敗者ちの疎外をもたらす。時に暴力による制度への抵抗も発生するだろう。他方、競争の法則を取り込んだ者たちは、その制度を論理的に極端なところまで拡大する。その結果、社会の安寧はおびやかされ、競争による効用最 ・・68 大化は人間に幸福をもたらすとする想定の欠陥をあばき出す恐れが生じた。”


    [88頁]
     “バイオテクノロジー領域への私企業の参入により、遺伝物質の所有権にかかわる新しくて、大きな問題が派生した。1990年代に、(バイオテクノロジー産業の強い圧力で)アメリカ特許庁は、SNP〔 訳注・「一塩基多型」の略語で、個人間における一遺伝暗号の違いを意味する〕の特許権を企業に認めた。SNP はDNA の連鎖の一部で、例えば病気の診断や治療に用いられる。1990年10月、「世界最大のDNAデータ工場」と自己宣伝するセレラ社は、人間の遺伝子について6500を超える予備特許を申請した。”


    202頁。
     “人質に対して「自己責任」論が最高潮に達していた時、私はオーストラリアのあるラジオから局から電話を受け、コメントを求められた。人質に対する今回の異常な反応は、「罪の文化」ではなく「恥の文化」を持つ日本社会の特異性の発露であり、それを強調するのが、番組制作の意図だという。私はその依頼を受けることができなかった。今回の出来事が持つ意味は、「恥の文化」などという陳腐なステレオタイプで説明がつくものではない。しかし、(ありがちな話だが)マスメディアは手短で単純な説明を求める。”


    206頁。
     “おそらく全体主義的個人主義は、その言葉が示すほどには矛盾を孕むイデオロギーではあるまい。極端な自己責任のイデオロギーと共同体的憎悪の高まりの間には直接的な連関がある、とジグムント・バウマンは指摘した。”

  • 「自由」とはなにか。イラク戦争下のイラクにイラクにおける自由に迫った内容。自由とナショナリズムとの関連が面白かった。

  • 現代世界で「市場の社会的深化」が進んでいる。これはすなわち、企業の投資対象が人間の精神や肉体の健康管理、教育や国家安全保障といった生活諸領域にまで広がり、これらが商品化されていく現象である。その特徴が、国家と市場が新しく複合的な方法で絡み合い、民主主義的な議論や実践の対象を減らし、責任所在の曖昧化をもたらす「民営化」や入管に代表される「ワイルドゾーン」と呼びうる暴力の領域である。このような市場の拡大を支えているのが政府と私企業の緊密な連携による、「異常性」排除のための今日的パノプティコン的技術であり、すなわち自由の代償のための終わりのなき監視だ。このような市場の社会的深化がもたらした民主主義の縮小を逆転させるためには、政党、選挙、議会などを超えて民主政治の射程を拡大する必要があり、そして、企業と国家のどちらに責任主体があるのかを基本放棄に明記すること、国際法や国際機関の枠組みの再編成や人々の生に影響をおよぼす放棄や制度について学ぶ機会を与えるような教育が必要である。
     ここまでが課題図書の要約である。今の世界で民主的であることが危うくなっている現状とその原因について、本書から読み取ることができた。ところで、民主的であるとはどういうことなのだろうか?今回は政治面に拘らないで、すこし一般面からもアプローチしてみたいと思う。
     あることが民主的であるためには、まずそのこと自体、民衆に理解されていなければならない。たとえば、あるルールを最初から決める過程においてそのゲームに関わるすべての人がルール決定に参加し、納得するルールづくりをしなければならない。(ただし、いったんルールが成立すればその後ゲームに関わっていく者はそのルールを承諾したこととするが、これは「そのルールが民衆に理解されている」ことと矛盾しない。)なぜならば、もしそうでなければ少数による恣意的ルール決定、政治体制でいえば寡頭制、あるいは独裁制になってしまうからだ。言い換えれば、民主的であることには自由・オープンで一種の全員参加ともいえるような前提がある。
     ところが、今の世界はどうだろうか?課題図書からも読み取れるように、たとえば経済学のように、学問の分節化や一部の人間による専門化が進んだり、市場の社会的深化によって情報と責任のグレーゾーンをもたらす「民営化」が進んだりすることで、民衆にわかっていなければならないあることが一部の人間にしか知られていない、あるいは理解できていないといった断絶化が進んでいる。外部からはまったくといっていいほど理解不能な運営の仕方をしていくなかで、自然と民主主義的な議論もできなくなってしまった。さらには、市場の社会的深化の過程で監視制度も進み、互いが監視しあう不自由な社会構造が出来上がりつつある。
     さて、これらの市場の社会的深化がもたらす一番の問題点である、「民営化」のもたらすグレーゾーンの増大と監視制度、言い換えれば民主的であることを制限し、減少させていく制度に対して、もはや打つ手がなくなったのだろうか?本書を読む限り、そうでないことがわかる。第8章で著者は、民主的であることをとりもどすよう努力しているさまざまな団体を取り上げている。すなわち、市場の社会的深化が進む現代世界において民主的であることを取り戻すためには、監視に対する監視を民衆みずからおこなったり、責任やシステムの曖昧化を進める「民営化」にたいして透明性をもとめたりすることである。それはまた、先週のレポートにも書いたが、ひとりの人間として自律性を取り戻すためにも、自分がステイクホルダーであることを自覚し、参加することを要求し続けなければならないことであるだろう。

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