世界史の臨界

著者 : 西谷修
  • 岩波書店 (2000年12月22日発売)
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  • Amazon.co.jp ・本 (310ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784000236188

作品紹介

何が終ったのか-グローバルな一元化に向かう世界の現在を、千年のスケールで批判的に解剖する。民族の軸によって「歴史の主体」たろうとすることでも、イデオロギー崩壊後の勝利の歌にくみするのでもない、生きられる「現在」=歴史のヴィジョンとは。

世界史の臨界の感想・レビュー・書評

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  • 本著はキリスト教暦における本来「特殊的」経験であるはずの「ミレニアム」が全世界で共通した「普遍的」経験として認識され祝われるという現象を起歩として、この世界的経験が成立する根拠・過程を歴史的、宗教的、思想的、文明的視野から解き明かす。そして「世界史の臨界」を眼前にの「イスラム」、「クレオール」、「辺境」などのキーワードから「別の」世界性構築の可能性を探る。

    フランシス・フクヤマの「歴史の終り」というテーゼが取りあげられる。これはソ連の崩壊、中国の資本主義化などを眼前にした資本主義の自由、民主という価値観の普遍性の「勝利」が謳ったものである。

    しかし、労働者や女性、様々な社会的マイノリティーの権利伸張、社会福祉、植民地の権利独立を促したのは、他でもない社会主義勢力による「対案」の圧力のためであり、実際植民地の独立に強い抵抗を示したのは「人権」や「民主主義」を掲げる西洋諸国であった。そしてこの西洋諸国の抑圧に抗するがゆえに、多くの国々は「壁」の向こう側へと属したのである。

    この転がり込んだ「正当性」を西洋資本主義という価値観の勝利という図式に短絡的に当てはめようとするものがヘーゲル主義者的「歴史の終り」テーゼであり、その強力なイデオロギー性であった。またなによりこれはホワイトハウスの声である。これが「世界新秩序」構築のために起こした数々の人道に対する犯罪は周知の通りだ。

    また本書の精髄は、「世界史という装置」に関する考察である。なぜヨーロッパのみが「世界史」の主体でありえたのかという問いへ繋がる。ヨーロッパとは元々ゲルマン系の征服者がローマ・カトリック教会の「普遍的」イデオロギーの担い手、そして偉大なギリシャ文化の継承者として振舞うことで自己を確立した。

    「正統性」を持たぬからこそ、他者を鏡としてアイデンティティを求めるのである辺境に位置した日本は本来が自らの「正統性」を持たなかった。しかしそれだからこそ自らの「アイデンティティ」を死に物狂いで構築し、「世界」における「主体」の確立を求めての狂奔へと向かったといえる。

    他にも、「ヨーロッパ」への同化不可能性を孕む「イスラム」、「ヨーロッパ」という安定した「アイデンティティ」を蝕む「クレオール性」、東北から世界、そして宇宙へと視線を向け続けた宮沢賢治や、宮古島を例として辺境から直接的に世界へと繋がる新たな可能性としての「辺境性」など刺激的な論考が含まれている。

  • 「世界史」とは「グローバリゼーションの歴史」に他ならない。

    国や宗教や民族や土地、文化にそれぞれ個別に存在した「歴史」を、「世界」という空間・時間軸の中に位置づけるという動きは、西洋文明という特定の文明による作用である、と著者は述べる。

    つまり、「世界」とは、西洋の「中華」思想である、と。
    確かに考えてみれば、世界史を学ぶにあたり、あまりに当たり前に「西暦」を使ってきていた。
    ユーフラテス川近辺で人が都市国家を造り始めた時やヘロドトスが「歴史」を書いた時を1年目としても良いはずなのに。

    言葉というメディアが怒濤の様に押し寄せてくるツイッターを見ていると、この本のことをふと思い出すことがある。
    何時を見るか、何処を見るか、誰を見るか、何を見るかという客体側の問題だけででなく、何故見るか、どう見るかという主体の側のことを意識せねばならない。

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