世代を超えて語り継ぎたい戦争文学

  • 岩波書店
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レビュー : 2
  • Amazon.co.jp ・本 (236ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784000236843

作品紹介・あらすじ

艦内でいじめにより自殺した少年、人間性を破壊する「軍隊」という組織、息子の遺体をずぼんのベルトでしか確認できない原爆直後の広島の状況、人生を自らの選択で選べなくなること、愛する人に手を伸ばすことができない瞬間-。戦争を知らない世代へ、戦争を知る人びとはいったい何を伝えようとしたのか。二人の案内人が導く戦争文学への旅。

感想・レビュー・書評

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  • 図書館で見かけて、チラッと中をみたら、最初が五味川純平の『人間の條件』だった。目次をみると、原民喜や鶴彬の章もあり、借りてきた。

    私が読んだ『人間の條件』は、たしか文春文庫の6巻本だった。大学生のとき、6冊くくってあるのを古本屋で買った。数年前に岩波現代文庫から3巻本になって出たそうである。刊行当時(1956~58年)は、「空前の」と言っていい大ベストセラーだったという。そういうことは、当時を知るご年輩の方の話でもなければ、なかなかわからない。

    佐高信は、一度だけ五味川を取材に行って、「戦争は経済だからな」と言われたという。それを聞いただけで、もう帰ってもいいと思ったという。

    城山三郎が『官僚たちの夏』の主人公にしている佐橋滋の話。佐橋は、最後まで非武装中立論を枉げなかったそうだ。
    ▼佐高 「攻められたらどうするんだ」と言われると、「じゃ、軍隊があれば大丈夫なのか」と佐橋さんは切り返していました。(p.21)

    軍隊があったからこそひどいめに遭ったことがいっぱいあると、満州で敗戦をむかえた澤地は語る。軍隊は頼りにならないということを満州で身をもって体験した澤地は、同様の経験をもつ人の「殺すよりは殺されたほうがいい。その覚悟をしていれば何もこわいものはない」ということばに心から同意するという。

    五味川は、戦後、勝てるはずのない無謀な戦争をやったと言って批判するけれど、では数字の上で勝てる戦争だったらやってもよかったのか、そういう視点が落ちている、と言っていたそうだ。勝てないから戦争をやらないんじゃなくて、勝てても戦争はやっちゃいけないし、食べられないからよその国へ侵略すると考えがちだけれども、侵略していかなくても、富をきちんと分配すれば、十分食べていける、避けようとすれば避けられた戦争だった、しかし、この視点が戦争中も今もない、という見方をもっていたという。

    鶴彬には「手と足をもいだ丸太にしてかへし」という川柳がある。いつだったか、川柳界の小林多喜二、というような紹介をしている新聞記事を読んだことがある。石川出身の人である。たとえばこんな作品がある。

    枯れ芝よ! 団結をして春を待つ

    ふるさとは病ひと一しょに帰るとこ

    母国掠め盗った国の歴史を復習する大声

    治安維持法違反でひっぱられ、拘留中に29歳で亡くなっている。その鶴彬を知り、作品を収集することに献身したのが一叩人(いっこうじん)という人である。私家版ののち、たいまつ社から『鶴彬全集』を出している。

    高杉一郎はフィリパ・ピアスの『トムは真夜中の庭で』の訳者でもあるという。また、アグネス・スメドレーの『中国の歌ごえ』の訳者でもある。シベリア抑留を経験し、その俘虜記である『極光のかげに』を書き、また『わたしのスターリン体験』なども書いている。エスペランティストであったというところにも興味をひかれる。

    原民喜の「夏の花」は、当初は「原子爆弾」と題されていたそうだが、占領下でこのままでは出せないという状況であったために、差し障りのない題に変え、一部を削除修正の上で発表されたものだという。敗戦の年のうちに書き上げられた小説だったが、発表までに二年かかっている。

    占領下では、原爆の被害のことは発表できなかった。助からないかもしれないと思っていた自分が生き残っていることに気づいたとき、原民喜は「このことを書きのこさねばならない」と心に呟いた。その思いに支えられて、生きて書き、原爆症による体調不良と作品を書けなくなったことと徒労感が相まって死んだのではないかと澤地は言う。原民喜は、自ら線路に横たわって死んだのである。

    大岡昇平の名前は、こないだ「サッコとバンゼッティ」のことでレファを頼んでいたら、「サッコとヴァンゼッティ」という作品があるのだと、それが入った全集が届いて最近みたところ。この人の作品はほとんど読んだことがなかったが、「サッコとヴァンゼッティ」もそうだし、この澤地・佐高対談を読んでいて、なにか読んでみたいなと思った。

    大岡昇平が『噂の真相』を熟読していたとか、城山三郎もやはり『噂の真相』を読んでいて、それは「私は大岡さんに勧められたものは読むんです」ということだとか、澤地も「創刊号から終刊号まで」読んでいるとか、この一つの雑誌の話だけでも強く印象にのこる。

    また、澤地が『婦人公論』の編集者だった頃、小松川事件の李珍宇のことを書いてもらいたいと大岡に依頼したとき、「ジュリアン・ソレルが最底辺の集落の、陋屋みたいなところに生まれ育ったと考えてみてください。彼にはそう感じさせるものがあります」と話し、それを聞いて大岡は李珍宇の面会にも行き、「李少年を殺してはならない」というタイトルの長文も書いたという。

    李珍宇のことは、『女たちの死刑廃止「論」』でも出てきた。この事件で娘を殺されたご両親の「外に出られることになれば、小さな工場ですが、よろこんで、うちに迎えましょう」という言葉が強く印象に残っている。

    澤地が大岡と対談したときに、奥様も一緒の席でお話を伺っていいですかと、三人で話をした。その時に奥さんが話されたことを聞きながら、大岡は「知らなかったなぁ」と呻き、「戦争のことを書いてきたと思っていたけれども、戦争のバックグラウンドを描かなければ、戦争を書いたことにはならない」としみじみ言ったそうである。ここを読んで、大岡が力を入れて書いていたという『成城だより』を読んでみたいなーと思った。

    佐高が、赤木智弘の「丸山眞男をひっぱたきたい 31歳フリーター。希望は、戦争。」という文章について話したとき、澤地はこう答えている。
    ▼澤地 自分は死なないのね。戦争の埒外にいるわけですね。(p.135)

    そして、若い人に大岡昇平に近づいてもらうために、「たとえば自分の人生の歳と大岡昇平が通った歳を重ねあわせてもらったらどうかな」と述べる。大岡は、切実な問題として、軍隊に行かなくて済むような方策をいろいろ講じていた。それでも戦争の末期に教育召集され、それが臨時召集に切り替えられて、最前線へ送られる。

    軍隊というものは、自分の選択の余地がまったくなくなる。兵隊にとられたら、行って、たぶん死ぬ以外にない。澤地と佐高がこう語っている。
    ▼澤地 …みんな、自分の人生は自分が主人公だと思っているでしょう。当然だと私も思う。けれども、自分の人生が自分のものでなくなるのが軍隊という組織だと思う。とくに戦争下。
     佐高 今、簡単に「戦争になったら逃げればいい」とかアホなことを言う人がいるけれども、その状況の中で最大限の徴兵忌避的なことをやっても、できないのですね。
     澤地 この国には亡命の自由はないでしょう。どこへ逃げるんですか。周りは膿だし、社会の空気の中に、徴兵拒否をした人を匿おう、意志を尊重しようという精神は薄い。ベ平連あたりから、やっと新しい市民の運動や意識が生まれた。(p.140)

    大岡の全作品から戦争の証言になる文章を集めたものという『証言その時々』も読んでみたいと思うし、『レイテ戦記』もぜひ読みたいと思う。

    幸田文。ここまでのラインナップでは、あれ、と思う。佐高が、銃後と戦後という二つの「後」の話がなかった、そこですねと言い、澤地はこう語る。
    ▼澤地 一家の中の男が戦地へ行って死んだとか帰ってきたとかいう、その「後」のことね。戦場での体験などが戦争文学の大きなテーマだけれども、それは戦争の全体ではない。留守宅でどういう生活があったか、それから八月十五日を境にして一応戦争は終わったけれども、実はそれでは終わらなかったというのが戦争なのです。戦争は経済を破壊して、ひどい疲弊社会を残す。実際飢え死にした人もいるし、死ななくとも飢餓すれすれの生活があった。そういう暮らしを描いた作品を読む中から、戦争の後遺症のひどさ、無能さを若い人たちに実感的にわかってほしいという気持ちがあるのです。(p.171)

    『父・こんなこと』は読んだことがあるけれど、澤地と佐高の話を読んでいると、まるで違う本を読んでいたかのように思えてくる。

    この章では、大岡の章でもちらと名前の出てきた小林勇がまた出てくる。横浜事件で獄中にあった小林勇に、露伴が手紙を書いている。もう自分には書く力がないからと、娘の文に書かせたものだという。

    ▼…たゝ゛、今の時に当りては足下が厄に堪へ、天を信じて道に拠り、自ら屈し、みづから傷むことなきをねがふのみ。

    この手紙を送られた小林勇の『蝸牛庵訪問記』も読んでみたいもののひとつ。

    そして、城山三郎。東京裁判で死刑に処せられたA級戦犯のうち、ただ一人の文官であった広田弘毅を描いた『落日燃ゆ』は、私もだいぶ前に読んだ。また読んでみようと思って父から借りてきて本棚においてある。父は、この本では広田のことをいいように書いているが、ちょっと違うはずだという。それも気になっていたし、澤地と佐高が「『落日燃ゆ』というのは、読み方によっては痛烈な天皇制批判ですね」とか「紋切り型の天皇制批判でない、しかし強烈な天皇制批判があるんです」と語っているのを読んでも、やはりまた読んでみようと思う。

    井上準之助、浜口雄幸の緊縮財政の目的は、金解禁を含めて、軍事予算を抑えることにあった、それを抜きにしてあの政策を批判すると二人の真意を見誤る、と『男子の本懐』について内橋克人が話しているというのを読んで、これも読んでみたいと思った。

    「サッコとバンゼッティ」のレファで、「サツコ、バンゼッチ処刑さる」という記事が載っていると、昭和のはじめの新聞縮刷の抄録である『朝日新聞に見る日本の歩み 昭和元年-5年』を借りてきて、じっくり眺めているところ。ちょうど浜口雄幸が首相になった頃に重なっている。新聞には、組閣時の「十大政綱」が載っている。軍縮促進と財政の整理緊縮が目を引く。その後の国会での予算審議の話や予算案も出てくる。そういう解説を知ってから、この古い紙面を見ると、当時の予算の動きが少しは分かる気もする。

    最後の章は「取り上げたかった作家たちの章」。この章で紹介されているなかでは、とくに、吉村昭の『戦艦武蔵ノート』と、高木俊朗の『特攻基地知覧』を読んでみたいと思った。

  • 雑誌『世界』(岩波書店)に一昨年連載されていたお二人の対談を注目して読んでいましたが、ようやく12回を終えて本になりました。

    私は、五味川純平の『人間の条件』を取り上げて書いたときに、この対談に言及しましたが、そういえば、敗戦時15歳だった1930年生まれの澤地久枝と、7か月だった1945年生まれの佐高信との対談を、まだ精子でもましてや卵子でもなかった1982年生まれの私が読むというのも、奇妙な風景だといえば言えなくもないですね。

    それと、いま考えてみると、村山由佳の『星々の舟』が直木賞を受賞した時に、どうしてあんなに嫌悪感を剝き出しにしたのか不思議です。今まで気楽な恋愛小説を書いていた人が、この作品に限っていきなり戦争体験や戦争観の書き込みをするなんて、きっと賞狙いの小賢しい手口なんだわ、などと卑しい感想を抱いたのでした。

    違う違う、逆でしょう。この無防備な愚鈍な感受性の蔓延る能天気なお気楽小説がまかり通る作今に、村山由佳は自分の読者に対しても読書イメージを裏切る行為をした勇気ある賞賛されるべきことだったのです。

    ・・・・・

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著者プロフィール

1930年、東京都生まれ。敗戦で旧満州より引き揚げる。中央公論社勤務を経てノンフィクション作家に。主な著書に『妻たちの二・二六事件』(中公文庫)、『火はわが胸中にあり─忘れられた近衛兵兵士の叛乱 竹橋事件』(文春文庫/岩波現代文庫)、『滄海よ眠れ─ミッドウェー海戦の生と死』(文春文庫)、『世代を超えて語り継ぎたい戦争文学』(佐高信との共著、岩波書店)、『人は愛するに足り、真心は信ずるに足る─アフガンとの約束』(中村哲との共著、岩波書店)『原発への非服従─私たちが決意したこと』(鶴見俊輔、奥平康弘、大江健三郎との共著、岩波ブックレット)、『ほうしゃせん きらきら きらいだよ──「さようなら原発1000万人署名運動」より』(鎌田慧との共編著、七つ森書館)ほか多数。憲法「九条の会」「さようなら原発1000万人署名市民の会」呼びかけ人。

「2013年 『愛の永遠を信じたく候 啄木の妻節子』 で使われていた紹介文から引用しています。」

澤地久枝の作品

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