大逆事件――死と生の群像

著者 :
  • 岩波書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (360ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784000237895

作品紹介・あらすじ

日本が植民地帝国と化していく大きなうねりの中で天皇制国家が生み出した最大の思想弾圧事件「大逆事件」。巻き込まれた人びとの死と生、遺族の苦しみ、タブーをめぐって変容する社会意識、そして権力に抗う市民の姿。100年もの時を経て綴られる群像劇が近代日本史の暗部を照らし出す。

感想・レビュー・書評

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  • 死刑や無期となった26人の遺族・関係者を訪ね歩き、大逆事件100年の全貌を語り尽くさんとした、元新聞記者ならではの労作。

    本書を読み進むのは大変な労力であった。
    一つ一つの語られる細部の、それらが名もなき無辜の人々の語りなればこそ、それら事実の重さが迫りきて、到底冷静にはなりきれぬ。否応もなく込み上げる憤慨と悲痛にたびたび中断を余儀なくさせられた。

    1910(明治43)年といえば、韓国併合(8月)の年であるが、
    事件の発端は信州明科爆裂弾事件ーこの年の5月、爆弾製造の疑いで長野県の宮下太吉ら4名が逮捕されたが、この取り調べの中で「明治天皇暗殺計画」なるものが浮上する。それがどれほど現実性を帯びたものであったなどということは当局にとってどうでもよかった。
    以降、この事件を口実に数百人に及ぶ社会主義者・無政府主義者に対して取り調べや家宅捜索が行なわれ、根絶やしにする弾圧を、政府が主導、大きくフレームアップされていく。
    検察は幸徳秋水や菅野須賀子ら26人を明治天皇暗殺計画容疑として起訴、大審院での非公開の公判は異例のスピードで進められ、翌11年1月18日には、死刑24名、有期刑2名の判決が下された。
    だが、なぜか死刑判決の翌19日には、12人が恩赦によって無期に減刑された。その理由はまったく明らかではないが、社会には天皇の恩だけが印象づけられた。「聖恩、逆徒に及ぶ」などと新聞は書き立てた。「逆徒」とされたがゆえに「恩赦」は、無実の人々への死刑判決の誤りをかき消してしまう効果をもったのである。
    かくて1月24日には幸徳秋水ら11名が、25日は菅野須賀子が処刑された。
    その後、無期刑中に獄死したのは5名、仮出獄できたのは7名に過ぎない。

    寡聞にして本書で知りえたもう一つの驚愕的な事実ー
    この事件の捜査を主導した当時大審院次席検事だった平沼騏一郎は、事件の後、検事総長へと栄進、22(大正11)年には大審院院長、さらに関東大震災後の第二次山本権兵衛内閣で司法大臣に就任し、司法界のトップに立つ。
    「大逆事件」で出世街道を歩んだだけでなく、政治の世界にも進出する。
    貴族院議員、枢密顧問官、枢密院議長(1936年)などを歴任、旁ら国家主義団体の「国本社」会長を務め、政界への国家主義的な影響力を行使しつづけた。
    そしてヒットラー・ドイツの侵略開始直前の39(昭和14)年1月、ついに近衛文麿の後を襲って内閣総理大臣に就任、政治の世界のトップにまで躍り出たのである。
    この平沼内閣は、想定外の独ソ不可侵条約調印によって7ヶ月という短命に終るが、なおも政界との関係は切れず、第二、第三次近衛内閣でも国務大臣などを務め、敗戦後の極東国際軍事裁判でA級戦犯として終身禁固刑の判決を受けることとなるのである。

  • 住井すゑの『橋のない川』で、「幸徳秋水、名は伝次郎」は印象深くおぼえている場面のひとつ。学校の朝礼で、おそれおおくもテンノーヘイカを爆裂弾で…と校長が話すのだった。大逆事件は、そんな風に伝えられたのかと思う。100年前、韓国併合の年でもある。

    ▼「大逆事件」は、客観的に存在した犯罪事実が裁かれたのではなく、国家にとって都合の悪い思想を「殺す」ためにつくられた「物語」によって、個人が有罪にされた事件である。(p.267)

    大逆事件といえば、幸徳秋水と管野すが。「かんのすが」は字は違えどヨミが同じ姓ということもあって(実家の本棚に絲屋寿雄の『管野すが』があったりもして)、この2人のことは多少なりとも知っていた。教科書や資料集で出てくるのもこの2人の名前くらいだったように思う。

    24人が死刑判決を受け、判決から一週間後に12人が殺された。半数の12人は"恩命"で無期減刑されたものの、それは判決を修正するものではない。12人のうちには獄死した人もあり、自死した人もあり、長く獄中におかれたばかりでなく、「逆賊」「国賊」として、その身内や縁者も社会から非難と排斥をうけた。

    大逆事件は幸徳秋水や管野すがだけではないことを、私は9月に見た「埋もれた声 大逆事件から100年」でやっと気づいた。12人が刑死したことは知っていたはずだが、幸徳や管野以外の人のことを私はまったくといっていいほど知らなかった。

    この本を本屋で見かけてから、読んでみたいと思っていた。著者は、『ドキュメント 憲法を獲得する人びと』を書いた人でもある。

    1997年頃から、大逆事件の遺族やその周辺を、著者は取材してきたという。その10年余りの「道ゆき」を雑誌『世界』で連載したものがまとめられたのがこの本。

    26人が「大逆罪」で公判に付され、大審院の裁判は非公開、証人を1人も採用せず、一ヶ月ほどの審理で、24人に死刑、2人に爆発物取締罰則違反で有期刑の判決が言い渡された。判決から一週間後、1/24に11人が、1/25に管野すがが、死刑を執行されている。「大逆罪」は一審で終審、刑罰は死刑のみ。刑法からこの罪が削除されたのは1947年の10月。

    無期に減刑された連座者のひとり・高知の坂本清馬と、刑死した兄・森近運平の妹である森近栄子によって、事件から50年経っての再審請求がなされた。それが東京高裁によって棄却されるまでの経緯を書いた数章、とくに「疑惑」を書いた13章は、「天皇の裁判官」ではなくなったはずの戦後の裁判官が、そして司法が、結局は明治国家の過誤を「過誤」だとは言わず、その確定判決を守ろうとする存在であったことを伝える。大審院判決の「戦後版」のようだったと著者は書いている。

    三菱重工爆破事件は削除されたはずの"大逆罪"みたいやという気持ちもあって、司法の、しかも全員一致で、少数意見を述べる裁判官もいなかったという大逆事件の再審棄却のもように、くらい気持ちにさせられる。

  •  『太平洋食堂』を読み終えてから、かつて手に取り損ねたこの本のことを思い出して。
     

  • ☆大逆事件の本人及び遺族に焦点を当てた作品
    大逆事件そのものの裁判記録とかは無いのだろうか?
    (関連)大逆事件の全体像、大逆事件と今村力三郎―訴訟記録・大逆事件、大逆事件〈1〉 (今村力三郎訴訟記録)、

  • 百年たってなお負い目を背負わされている遺族の姿は、じつに痛々しい。

  • 自身の歴史への無知を、これほど恥じたことはない。

    思想や信条の自由という日本国憲法で保障されている人権が、明治の日本でいかに軽視されていたのか。施政者の恣意によって、簡単に人の一生が左右されてしまう社会が、つい100年前の日本の姿(正確には太平洋戦争に負ける67年前まで存在していた)だったのだということを、あらためて知ることができた。

    田中伸尚「大逆事件 死と性の群像」は、そのことを事件で刑死した人々や、出獄後も苦しい生き方を余儀なくされた人、そして罪に問われた人々の遺族たちの姿を通して、国家が犯した過ちの姿を浮き上がらせた労作だ。





    著者の立ち位置は

    「大逆事件」は客観的に存在した犯罪事実が裁かれるのではなく、国家にとって都合の悪い思想を殺すためにつくられた「物語」によって個人が有罪にされた事件である(p267)

    という記述によくあらわれている。

    もちろん宮下による爆弾製造や爆弾を使った犯罪の計画はあったが、そこには被害者はなく、あくまでも構想・計画があっただけ。事件の連座者のほとんどは、社会主義思想を弱体化させようとした国家意思によって(著者は元老の山県有朋―首相の桂太郎―大審院次席検事の平沼騏一郎のラインによるフレームアップだとしている)罪をでっち上げられたのだということが、著者や先行する研究者らのこれまでの調査で明らかになってきている。

    大逆事件の連座者の一部は1960年に再審請求をしたが、これも東京高裁の不可解な対応で棄却され、最高裁も戦前の司法の犯した過ちを追認してしまった。

    この数年、法律的復権ではなく、社会的復権=名誉回復の動きが各地で起きているというが、中にはまだ、地元では話題になるのがタブーとなっている人もいるというから驚かされる。

    「大逆事件」で有罪となった人の多くが、冤罪だったとされている。そのことを知らなかった自分が恥ずかしくてたまらない。

    今また、人の思想信条を、旗や歌への忠誠心だけで計測し、断罪する風潮がはびこりつつある日本。100年前に奪った人たちの生と死にあらためて思いをはせることは、すこしでもその流れを押し戻す力になるのではないか。

    本書を読みながらそう考えた。

  • 資料ID:W0158339
    請求記号:210.68||Ta 84
    配架場所:本館1F電動書架A

    日本エッセイスト・クラブ賞

  • 明治初期の廃仏毀釈の嵐の中で、仏教集団は国家に従順する道を選んだのであるが、そんな集団が今日生き残っているのである。大逆事件の再審請求を棄却した司法がある。私たちは何を信じてまた頼りにして日々暮らしていけば良いのだろうか。

  • 「今週の本棚:田中優子・評 『大逆事件--死と生の群像』=田中伸尚著 岩波書店・2835円」、『毎日新聞』2010年10月31日付。
    http://thomas-aquinas.cocolog-nifty.com/blog/2010/11/20101031-405d.html

    大逆事件を最新の研究からトータルに捉え尚した一冊。概要をしるうえでは便利な一冊だと思う。

    事件の「その後」を主題とする一冊。「非戦・平和の徒」は「逆徒」と罵られ過酷な生活をおくる、出所後も尾行も監視もなくならない。司法局の捏造の積み重ねの検証とメディア統制の実態。国家という怪物の酷さ・非道を史料に基づき描写する。

  • でっち上げられた大逆事件で虐殺された幸徳秋水は、139年前の1871年11月5日に高知県四万十市で生まれた明治時代のジャーナリスト・思想家。


    ・・・・・書きかけ・・・・・

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著者プロフィール

1941年東京都生まれ。慶應義塾大学法学部卒業。朝日新聞記者を経て、現在ノンフィクションライター。著書に『ドキュメント・昭和天皇〈全8巻〉』(緑風出版)、『合祀はいやです。』『生と死の肖像』(以上、樹花舎)、『反忠神坂哲の72万字』(一葉社)、『ドキュメント憲法を獲得する人びと』(岩波書店・第8回平和・協同ジャーナリスト基金賞受賞)、『日の丸・君が代の戦後史』『靖国の戦後史』『憲法九条の戦後史』(以上、岩波新書)、『蟻食いを噛み殺したまま死んだ蟻──抵抗の思想と肖像』(佐高信との共著、七つ森書館)他多数。

「2009年 『これに増す悲しきことの何かあらん』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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