知的障害と裁き――ドキュメント 千葉東金事件

著者 :
  • 岩波書店
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本棚登録 : 48
レビュー : 9
  • Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784000238793

作品紹介・あらすじ

2008年9月、東金市の住宅街で女児の遺体が発見される。逮捕された青年には、軽度の知的障害があった。取り調べ、起訴、精神鑑定、公判前整理手続、一審から最高裁に至る一連の司法手続きで、いかなる事態が起こり、何が争われたか。無罪主張の撤回と主任弁護士の辞任をもたらした弁護団との「コミュニケーション」の困難。裁かれることにおける被告Kの当事者としての意思決定、その「自由」と「責任」に起因する根本的な矛盾とジレンマ…。いま、刑事司法と障害者福祉が向き合わねばならない新たな難問が浮き彫りにされる。

感想・レビュー・書評

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  • まずはざっくりした感想から。
    本書、法律や制度、障害についての予備知識がある程度ないと
    興味だけで読みこなすのは少々難しいのではないか、と感じました。
    私は多少の知識があるつもりだったのですが、あちこち語句を調べたり
    法律を確認したりしながらの読書になりました。まぁ結局全然知識が足りてなかっただけかもしれません。

    これを読むと裁判というものは、真実は何なのかということが大事なのではなく(もちろん本当はそれが一番大事なのだとは思いますが)何を認め、何を認めないのかが大事なのだなと思わされます。

    一般人と法律家の感覚とでは裁判というものの内容についてこんなにもはっきりと認識の違いというか、感覚の乖離があるものかと驚きます。
    著者は一般人寄りの感覚であり障害者福祉の専門知識が豊富な方とお見受け。
    障害者福祉についての知識の深度によってもこれを読んでの感覚の相違や見解の相違は様々に分かれるのでしょう。

    再三書かれている被告人の「他者への迎合的な傾向を強く持っている」「発言の有利不利に対する認識が十分でなく、聞かれるまま得意げに話をしてしまう」「抽象度の高い言葉を理解しているわけではないままに多用する」というような障害傾向は、発達障害のある人の一部には良く見られる傾向だと個人的に思いますが、これをそういう態様を知らない一般の方に言葉だけでどういう態様なのか理解してもらうのは、至難の業だろうなと読んでいて強く感じると同時に、表現の限界のようなものを感じました。

    本書の最後の方で弁護士の方が、今後の発達障害を持つ人に対する接見方法として、障害に対応できる専門的スキルを弁護士が身につける、またはそのようなスキルを持つ専門家と一緒に接見するといった方法が必要なのではないかというようなことを述べておられます。
    これは本当にその通りだと思いますし、制度(あるいは法律)として整備が急務だと思いますが、現実にそのような体制になるのには時間がかかるし難しいだろうと感じます。取調べの可視化ということも言われて久しい気がしますが、まだまだ全くでしょう。

    今後このような事件の起きることがないことを願うしか今はありませんね。

  • コミュニケーションの障害というのは、途方もないことだ、
    それを試行錯誤して闘ってる弁護団の人たち、司法という立場、
    福祉かアイデンティティ尊重か、
    いろいろうなりました。ううー。

    知的障害が重度か軽度か、発達障害が重度か軽度かではないね、
    「コミュニケーション能力」があるかないか、できるかできないか、
    理解されにくい上に誤解もされやすい、たまらない。

    もし、自分に、身近な人に、こういう事件が起きてしまったらと考えると、
    もうただただやりきれないというか、
    明らかに罪なのだけど、
    責任能力、説明能力、訴訟能力、考えてしまうと、やりきれない。

    こんな事件が起きないように願うだけ。

  •  2008年、千葉県東金市住宅街の路上で、5歳の女の子の全裸死体が発見され、近所に住む21歳の、知的障がいのある男Kが逮捕される。彼はやがて犯行を自供するが、彼を犯人とするには、指紋の不一致、犯行の物理的な実行可能性、被疑者の特性に関わっての供述の曖昧さ等、いくつも不自然な点があった。
     以上のようなことから、弁護人は、Kは事件と無関係と判断し、冤罪を主張する記者会見を開く。長く精神医療や障がい者と関わり、「自閉症裁判」等を著している著者は、弁護人の主張に沿って記事を発表し始める。
     ところが、3か月後弁護人は明確な理由を公表せず突如辞任、後任の弁護人は無実を撤回し、訴訟能力や責任能力の欠如を軸に弁護を構成する。この予想外の展開に、著者は「一人、完全にはしごを外された形に」なってしまい、元弁護人に真意を問うが、取材に応じてもらえない。結局Kは、検察の懲役20年の求刑に対し、懲役15年が言い渡される。
     本書で著者は、Kが有罪か無罪かを検証しているのではない。本書は、犯人に仕立て上げられた知的障がい者という想定で事件を追っていた最中、事件が思わぬ展開を見せ、そのため戸惑い、苦しみながらも、そこから見えてきた「知的障害者と裁き」の問題についての、著者の考察の記録である。 
     知的障がい者は、計算能力、言語能力等の発達が平均よりも遅い。これらは測定可能で、数値で表せる能力である。しかし、例えば自尊心のように、容易には数値化できない「心」に関する面はどうだろう。考えてみると、自尊心や恋愛感情が、計算能力等と同じ速度で、つまり「ゆっくり」発達するとは限らない。しかし私たちは、少なくとも私は、こうした感情については深く考えていなかったし、当然発達が平均より遅いだろうと自動的に想定していた。
     無実を訴えた最初の弁護人は、事件の社会的意義を考え、Kの障がいについて社会に理解を求める立場で論を構成し、Kが公判で「私は知的障がい者です。難しいことはわかりません」と話す練習までいっしょにしていた。しかしKは結局この言葉は言わなかった。忘れてしまったのかもしれない。或いは、この言葉を述べることを、Kのプライドが許さなかったかもしれない。それはわからないのだ。知的障がいを持つKには、自分の行動の動機を整然と述べることは期待できないからだ。
     公判でKはしばしば、「わかりますか」と問われる。例えば「黙秘」については、「わかりません」とはっきり答えている。しかしKは「少しわかります」という答えを多用している。その後のKの証言を読むと、わかっていないことがわかることが多い。「少しわかります」、この答えから私たちは何を考えなければいけないのか。そもそも「わかりますか」と頻繁に問われるとき、Kの心で何が起こっているのか。本書はこうした重要なことについての、問題提起の書である。多くの人に読んでほしい。
     「司法が凶器に変わるとき」(三宅勝久)との併読をおすすめする。同じ事件のルポだが、こちらはタイトルからわかるように、Kは事件と無関係とする視点から書かれている。公判でのKの証言がそのまま載っているので、大変参考になる。

  • どうにも事件が事件だからか読み進めることができない。

  • 知的障害者が少女を殺害した事件を扱ったもの。知的障害者の取り調べや弁護団の法定戦術などが主なトピックで、精神鑑定については軽く触れられているのみ。しかも弁護団が途中で交代して方針が180度変わったため、記載内容もやや混乱している。

    ・知的障害の人たちは取り調べ段階で意味も分からずに肯定したり、やたらと迎合的になることも多く、証言内容はあまり信頼できない

    ・責任能力について、弁護団は当初、無罪を主張していたのでこれを争わなかったが、弁護団が交代して一点、心神耗弱・喪失を主張するようになった。鑑定人として高岡健が選ばれ、クレッチマーの短絡反応が持ちだされた。すなわち、原始反応として爆発反応と短絡反応があり、前者が運動暴発や記憶の欠損を伴うのに対し、短絡反応はより複雑な行動をとることがあり、体験刺激に対して断片的な人格を介して反応行動に至る。
    少女に「バカ」と言われただけで殺害に及んだという行為は入力に対して出力が過大であり、断片的な人格のみを介している(弁識能力が障害されていた)ことを示しているという鑑定結果であったらしい。
    これだと激情型の犯罪はすべて責任能力の障害ということになるのだが、、、
    裁判では鑑定は採用されていない。

  • 知的障害のある当事者の裁判だけでなく、関わりそのものからどう考えたらよいのかを指摘している点は参考になった。嘘をついたり迎合的な発言は障害そのものによってもたらされたのではなく、いきる上で仕方なく得てきたスキルなのだと。それを理解した上で彼らを理解するよう努めていかないといけない。

  • 千葉東金事件のドキュメント。
    冤罪か否かということでなく、
    このような経緯だったのだと、
    その節々での違和感やら何かを心に止めておくこと。

  • いかに当時の報道が表面的かを感じた。もちろんこの著作も一人のライターが書いたとしての前提だが。今後もフォローしたい。

  • 例えば、腐れ当局が知的障害者を思うがままに供述させて無罪の弱者を檻の中に入れようとしているのに弁護士はその片棒を担いでいるっていう一方向の力しか働いていない陰謀論なら話は早い。あるいは権力と戦う正義の弁護士が登場して無罪を勝ち取るなんてのもあるかな。
    でも現実は…っていう話。被疑者は自分が知的障害のあるということを理解しつつも受け止めきれずに持て余し、その母も息子の障害に、というか自分の子どもそれ自体の扱い方も分からない。そして被疑者が慕っていた父の具合の悪くなって、高校卒業後就職した布団会社の仕事もやめてしまい、その後の事を考える余裕も家族で無くす。ここまではよくある不幸な家族の話だと思う。
    その後事件が発生する。
    逮捕され、被害者遺族は知的障害というエクスキューズに聞く耳を持たず、当然のように死刑を望む。
    司法制度や知的障害へのアプローチそれぞれ限られた中で弁護士などその道のプロが仕事する。そういう所が読みどころかな。そういう意味で大人の読み物。

    本題とはそれるけれど。偶然起こった不幸な出来事です、判断保留。ではどうしようもない。だから起こった事件を論理で納得しようとする態度が受け入れられ制度になった。けれどもその道は真実を無限に作り出す。そもそもが蓋然なのだからしょうがないよなあ、なんて当たり前のことを思い出した。

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著者プロフィール

批評誌『飢餓陣営』主宰。『自閉症裁判』ほか、福祉関連分野の著作多数。

「2014年 『「生きづらさ」を支える本』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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