デザインのデザイン Special Edition

著者 :
  • 岩波書店
4.16
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本棚登録 : 284
感想 : 20
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  • Amazon.co.jp ・本 (469ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784000240253

作品紹介・あらすじ

「デザインのデザイン」から「DESIGNING DESIGN」へ。日本から世界へ、デザイン思想を問いかける一冊。国際出版を経て、テキスト倍増、図版満載で特別編集の日本語版。

感想・レビュー・書評

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  • 〈要約〉
    デザインはアートと違って課題を解決する目的を持っている。既知のものを未知化するのもまた創造。
    それは、耳を澄まし目を凝らして、生活の中から新しい問いを発見していく営みである。
    デザインは情報の建築ともいえる。感覚とは「すべて皮膚の上の出来事である」といえる。複数の感覚によって集められた感覚刺激が脳の中で噛み合って「イメージ」が生まれる。デザインのフィールドは視覚だけでなく、人間の「感覚」である。
    そして、大事なことはここでの情報は感覚器官からもたらされる外部入力だけでなく記憶も材料として活用されている。
    無印良品は「が」ではなくて「で」でいい。これは、世界においてバランスさせるために必要な価値観である。そして、そのシンプルさは!どんな状況にも対応できるという見立てを意識したデザイン。
    〈共感出来たところ〉
    ・情報過多と言われるが、その「過多」なものが実際には半端な情報であることがストレスなのでは?なぜなら、人間は情報の多さを好む。豊かで密度の高い情報量によって世界
    感じ尽くしたいと思っているはず。
    ・センス・ドリブン!!!まさに私が思ってたこと〜「メッセージと同じくらいマッサージを必要としている」沁みる言葉。。
    ・「情報を慈しむという点で書籍の魅力を意識している」「情報は一つのゆで卵である」
    ・「知ってる、知ってるはまるで思考の終止符のように会話を完結させてしまうのである」
    ・「認識を肥やすこと」世界の見方は無数にあり、それらを目覚めさせ活性化させることが物と人間との関係を豊かにする。

  • 5年ほど前に「デザインのデザイン」を読んだので、改めてSpecialEditionを読みました。

    まさにデザインのデザインと評するに相応しいいくつかの展覧会の説明会からはじまり、各デザイナーの作品の写真、それに対する原先生の説明が書かれています。
    分厚い本もわくわくする作品紹介からはじまるので、どんどん読み進めていきたくなる楽しい本です。

    原先生が言いたいことをすべて理解するのはきっと難しいですが、美しく完成された作品だけがデザインなのではなく、そこに行き着くまでの考え方や過程を含めて人を惹きつけるのだと感じる各作品の構想を教えてくれます。

    一番ぐっときたのは、「あったかもしれない万博」という章の最後に書かれていた以下の文です。

    “何かを否定するだけのメッセージを作ることに僕は興味がない。デザインは何かを計画していく局面で機能するものであるからだ。環境問題であれ、グローバリズムの問題であれ、どうすれば改善に向かうのか、一歩でも好ましい方向に進めるにはどうすればいいのか。そういうポジティブで具体的な局面に、ねばり強くデザインを機能させてみたいと考えている。そういう意味では、僕の万博はまだ終わっていない。”

    環境問題で批判にあい、構想しデザインを進めていた森の中で万博を開催することができなかったという章の最後の文です。
    素晴らしいデザイナーは世界を正しい方向へ導こうとする熱意があるように思っています。少しでも好ましい方向に近づけていこうという思想が、人々の心に届くようなデザインを生み出すのだと改めて感じた箇所でした。

  • 「ビジュアルコミュニケーション応用研究」
    里見慶先生 参考図書
    https://library.shobi-u.ac.jp/mylimedio/search/search.do?target=local&mode=comp&materialid=00081107

  • 思考の終止符、知識の獲得はゴールではない
    という章に書かれてあったことが印象的だった
    あらゆる情報を簡単に手に入れられるようになった現在、情報や知識をマウントを取るための道具に貶めてしまっている気がする
    情報自体には大した価値がなくなっている時代にも関わらわず

  • 0071
    2018/10/06読了
    分厚い…。
    教科書で読んだのはどれだったんだろう。
    内容はどれも面白かった。
    愛・地球博の章は気になるなあ。
    実現してほしかった。
    基礎デの授業はやっぱり楽しそうだ。

  • 全ての人に読んでほしい超名著。
    私にとっては、所謂、人生を変えた一冊。

  • 自分の世界を広げてくれた一冊です。
    生活の中のデザインを考えることは一生の楽しみになったと思います。

    大分県立芸術文化短期大学:
    美術科 教員 谷口能隆

  • 自分たちの生きる世界をいきいきと認識すること
    感覚を覚醒させ、世界を感じ直していくこと
    丸いボールに触れ続けると上達へ向かう

  • 知識を蓄積し,見える化するinformationに対し,いかに知らないかを覚醒させるexformationという視点が新鮮だった.
    この考えは何かに応用できないか.

  • デザインとはなんだろうか?
    美しい構図? 使いやすい形? カッコいい造形?
    絵画もデザインと言えばデザインだろうし、建築の設計もデザインだろう
    文房具にもあらゆる種類のデザインがあるし、街にある広告はなんてカラフルなデザインばっかりだろう そもそもデザインされていないものがこの世にあるのだろうか?

    この本はそんなデザインとはなんぞやというなんだか小難しそうな哲学的なような命題を
    小気味よく、軽快に述べている
    デザインはなにもデザイナーさんだけのものではない
    むしろあらゆる職業についてまわる概念だ

    小難しい命題を分かりやすい文章で読んでみる
    しかもデザインという華やかな題材だ
    知的な本を読みたいあなたにオススメの一冊

  • デザインに興味を少しでも持っている人は必ず読むべき。原氏の広い視野から物事を捉える洞察力を垣間見ることができる。デザインは自分の関わる環境全てから吸い上げて、綺麗に並べるものであると感じた。

  • special edition。辞書みたいです。

    これは、一度では、わからない。

    何回も何回も読んで、咀嚼が必要。

    なので、とりあえず、「目を通した」ということだけ記録。

    この内容を、「ああ、そうだな」と思えるまでにどれくらいかかるか


    無印良品「で」いい、という感覚に到達するのはすごい、と思うのですが

  • 原研哉さんの作品と考え方。

    「HAPTIC」展が印象的。どれも面白いものばかりだが、中でも皮の質感を表したジュースと、ジェルリモコンがすごい!ジェルリモコンは実物を見たいなぁ。五感がゾクゾクする感じはとても面白い。

    「アジアの端から世界を見る」
    やはり、こういう世界は好きだ。行き着く先、というのはこのようなものになるのだろうか。何も無い、ということは全てのものを受け入れる可能性がある、ということ。

  • ・視聴覚+hapticな感覚
    ・コミュニケーションセンスはメディアを生き抜く
    ・情報の美は、わかりやすさ、独創性、笑い

  • 著者:原 研哉

    やっと読み終わった。
    自分が読んだのは写真の厚さの3倍くらいあるSpecial Edition。
    明治大学でお借りさせてもらいましたw

    原研哉は好きだ。
    日常の中で誰もが気にもしないようなことをあえて取り上げて、おもしろくしてしまう。
    少し違うけど自分が目指すべきところにいる一人。
    毎回なるほどと思わせられ、なんか得した気分になる。
    たとえばRE-DESIGN展。
    身近なものを見直して、デザインしなおして新鮮に感じ直してみようという試み。
    原研哉はそーいう展示を企画したりする。
    もちろん自分でも作品をだす。
    写真は原研哉がデザインしたものではないが、トイレットペーパーをRE-DESIGNしたもの。
    穴が四角くなっている。
    これによって、引き出すときにカタカタと抵抗が起きて、必要以上に紙を使うこと防ぐ。
    あえて、不便になってるところがみそ。
    なるほどって思った。

    こんな感じのことをいろいろやってる人ですw

    高いけど今度買おうかな。

  • なにもないがすべてがある。

    なんか、むずかしく書いてある。

  • 世界は複雑から始まる。
    デザインの意義はその複雑さを削ぎ落としてシンプルなものとして世に再び生み落とすことである。
    何かのインタビュー記事で見た原研哉の言葉だ。

    シンプル。それはミニマムとはちがう。
    シンプルに囲まれてシンプルに生きたい。

  • p64“パスタの製造マシンは想像よりもずっと巨大なシステムで、僕はそれを現地で目の当たりにし、当初抱いていた食のデザインのイメージが、ロマンチック過ぎることをあらためて認識した。マカロニは高度なプランニングに基づいたデザインそのものであった。予想と違っていた点は、生産量の莫大さと、プランニングの緻密さ、厳しさの度合いである。ちょっといいデザインという程度では生産も市場も動かない。現在の市場で生き残っているマカロニは家庭の皿の上でも、生産効率においても支持され勝ち残ってきたデザインの強者であり傑作なのである。イタリアはおいしいものを追求する明るい情熱で、マカロニをしんかさせていった。〜身近になにげなくあるものに、本当に強靱なデザインが潜んでいる。マカロニは、好奇心と知性を標榜し、問題解決のプロを自任する建築家たちですら、簡単には手を伸ばせない高度なプロダクツである。原料となる穀物そのものの生産に端を発し、お皿の上で湯気を立てるまでの長い道筋をたどると、おそらくは地球規模のマカロニの問題がそこに存在するに違いない。
     そこに気づくことができたのがこのプロジェクトの収穫であった。”p70“展覧会HAPTIC〜デザインを考えるときに、色や形から考えないということは案外難しい。たとえばコーヒーカップを例にあげると、そのデザインを考える際には誰しもまずドローイングを描いてしまいがちである。ここではそれをやらない。フォルムが云々などと発想する前に、そのコーヒーカップがいかに人間の感覚を刺激し、覚醒させうるかを第一に考える。そのような方法でデザインしてくださいと依頼したわけである。”p75“〜フォルムではなく「感じ方」に着目することで未踏のデザイン領域に気づくことが出来る。”p80“ジャスパー・モリソンにHAPTICを頼んだとき、彼は優れたリアクションをしてくれた。「HAPTICというのは五感で涎を出させるようなものだろう」と彼は言った。美味しいもの、たとえば”肉がじゅうじゅうと焼けているのを空腹の状態で見ると、唾や涎が出る。これは味覚上の反応だが、味覚だけではなく、感覚全体で何かを感じて、五感から涎が出る感じがHAPTICだろうということである。すばらしい比喩である。HAPTICとはまさに「五感の涎を出させる」ことである。”p94“デザインは受け手の脳の中にイメージの建築を立てること。その建築の材料は、外からやってくる刺激だけではなく、その刺激によって呼び覚まされる膨大な記憶である。ここでは、呼び出された記憶と、現実との間の微妙なずれと一致が演出されている(深澤直人 ジュースの皮)”p102 〜世界を舐め、触り、匂いを嗅いで意味づけをしてきた体験と記憶が、感覚のバックグラウンドをなしているからである。
    僕は常々、デザインは情報の建築であり、その建築は情報の受け手の脳の中に建てられるものであると考えてきた。その建築の材料は、感覚器官を通して外部からもたらされる情報でもあるが、同時に、それらの外部刺激によって呼び起こされた「記憶」も、大変重要な建築の材料になっているのではないかと最近は思うようになった。内側に貯えられてきた膨大な記憶を、外からの刺激で呼び起こしながら、人間は世界をイメージし、解釈している。
    「歩く」という行為は、手や足を振り子のように運動させ、重力とバランスをとりながら前に進むという運動であるが、一回一回の身体動作を計画的には行っていない。「ブロックの継ぎ目を踏んでいこう」とか、「蟻を踏まないように」などと考える場合をのぞいて、普段は「歩く」行為によってもたらされた一回ごとの外部刺激をいちいちチェックしながら次の行動を起こしてはいない。むしろ記憶の中の「歩く」を反芻しながら「こんなもんだろう」とタカをくくって「歩く」をやっている。基本的には「見る」も「聴く」も同じである。はじめて会う人も、その顔や声のすべてを新たに感じ直しているのではなく、記憶にあるおびただしい「人」の記憶に照らしてそれとの「差異」だけに着目し、(このくだりをセンセーションのところに使う。)それ意外の部分は「所詮人間だろう」とタカをくくって見ている。「人間」として括れる部分はこれまでの記憶で代用しているわけである。感覚器官を通しておびただしい情報が脳に伝わってくるけれども、新しい情報だけで人は世界を判断しているのではなく、それを膨大な記憶に照応させて世界を解釈している。感覚は常に脳の中に融合され、連結され溶け合っているのである。
    デザインの対象は色や形だけではない。いかにそれを感じるかという「感覚」の探求も重要なクリエーションの一環である。だから、人間の感覚がどのような働き方をするかを観察していくことは、新たなデザインのヒントとなるはずである。”p109“今日の社会は情報過多と言われるが、実は「過多」ではないのではないか。「半端な」「欠片のような」情報が、おびただしくメディアの中に存在しているだけではないのか、と。欠片一個一個の情報の量は、むしろ非常に少ない。情報量が半端なものがおびただしく存在している状況に、脳が負荷を感じているのではないか。脳にかかるストレスは「多さ」ではなく「半端さ」なのではないか、と。メディアの進展と、その旺盛な取材力を背景に、世界のあらゆる事象はその表面を芝刈り機に刈られる芝のように刈られて、その断片がおびただしくメディアの中を飛び交っている。僕たちの豆腐のような脳の表面には、下が見えないほどおびただしく振りかけられたスパイスのように情報の破片が付着している。だから、一見物知りになった気分になるが、実際のところは半端な情報の付着を快適に感じていない。ひるがえって足の裏で地面を気持ちいいと感じる情報量は豊かで密度がある。人間の脳は情報量が多い状況を好むのである。つまり人間の脳のキャパシティは十分に広くて、その広い受容力の全体を使い切って世界を感じつくしたいと待ち構えている。しかしその潜在力が非常に狭められたままになっていて、それが現在の情報ストレスの一因なのではないかと思うのである。”
    p145“マーケティングは人々の欲望の様相をスキャンし分析する営みであるが、これはポジティブな欲望だけではなく、怠惰への無意識の欲望、つまり「ゆるみ」につけこんでいく側面もある。〜”
    p157“〜この脳の中の建築には、感覚器官からもたらされる外部入力だけではなく、それによって呼び覚まされた「記憶」も材料として活用されていることである。むしろこちらの方がイメージの主材料かもしれない。記憶はその主体が意思的に過去を反芻するためだけにあるのではなく、外からの刺激によって次々と呼び起こされ、新しい情報を解釈するためのイメージの肉づけとして働く。つまり、イメージとは、感覚器官を通じて外から入ってくる刺激と、それによって呼び覚まされた過去の記憶が脳の中で複合、連繁したものだ。デザインという好意は、このような複合的なイメージの生成を前提として、積極的にそのプロセスに関与することである。これを情報の建築と呼ぶのは、その複合的なイメージを、意図的に、計画的に発生させることをいしきしてのことである。”
    p228“無印良品−なにもないがすべてがある”
    p232“無印良品のコンセプトは、田中一光というデザイナーの美意識と、堤清二という日本の流通産業を牽引した企業化のヴィジョンの交感から生まれた”
    p238“「が」ではなく「で」 〜「が」は個人の意志をはっきりさせる態度が潔い。お昼に何が食べたいかと問われて「スパゲティでいいです」と答えるよりも「スパゲティがいいです」と答えた方が気持ちいいし、スパゲッティに対しても失礼がない。同じことは洋服の趣味や音楽の嗜好、生活スタイルなどについても言える。嗜好を鮮明に示す態度は「個性」という価値観とともに必要以上に尊ばれるようになった。自由とは「が」に近接している価値観かもしれない。〜しかしそれをみとめる一方で、「が」は時として執着を含み、エゴイズムを生み、不協和音を発生させることを指摘したい。結局のところ人類は「が」で走ってきて行き詰まっているのではないか。消費社会も個別文化も「が」が走ってきて世界の壁に突きあたっている。そういう意味で、僕らは今日「で」の中には、あきらめや小さな不満足が含まれるかもしれないが、「で」のレベルを上げるということは、この諦めや小さな不満足をすっきりと取りはらうことである。そういう「で」での次元を創造し、明晰で自信に満ちた、そして自由な経済社会においても競争力のある「これでいい」を実現すること、それが無印良品のヴィジョンである。”
    p302“東京は好奇心の旺盛な街だ。世界のどの都市よりも他の文化から情報を集めることに熱心である。そしてそれらの情報をていねいに租咀嚼して、世界に起こっていることをリアルに理解しようと勤勉な知性を働かせている都市でもある。自分たちの立っている場所が世界の中心ではない、そしてもとより世界に中心などないのだという意識がその背後には動いているような気がする。だから自分たちの価値観ですべてを押しはかるのではなく、他国の文化の文脈に推理を働かせつつそれを理解しようとする。その熱心さの理由はやはり日本という国が経てきた厳しい近代化の経緯に負うところが大きいのだと思う。〜”
    p371“〜常々、僕は答えよりも問いが重要だと考えてきた。誰も考えなかった問いを発見することが創造である。独創的な問いが生まれれば、答えは必然的に独創的である。〜”
    p373“何かを知ることはイマジネーションのスタートであってゴールではない。ところが「知ってる、知ってる」を多発する会話に象徴されるように、僕らはいつの間にか知識をイマジネーションへと昇華する道筋から脱線させ、思考の電車を停止させてしまっている。情報を発信する側は断片的な情報を受け手に投げ与えることのみに熱心になり、受ける側はそれらを受けとめることをひとつのゴールと考えるようになった。練ったりこねたりする面倒な局面はさけて、いつしか僕らはひたすら情報のスローイングとキャッチングに終始している。ここに、コミュニケーションにおける創造性の停滞という問題が潜んではいないだろうか。”

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著者プロフィール

グラフィック・デザイナー。1958年岡山市生まれ。武蔵野美術大学教授。日本デザインセンター代表。
文化は本質的にローカルなものととらえつつ、日本を資源に世界の文脈に向き合うデザインを展開している。広告、商品、展覧会、空間など、多様なメディアで活動。
著書は『デザインのデザイン』(岩波書店/サントリー学芸賞受賞)、『白』(中央公論新社)ほか多数。

「2014年 『みつばち鈴木先生』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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