- Amazon.co.jp ・本 (374ページ)
- / ISBN・EAN: 9784000241809
作品紹介・あらすじ
一九八二年から雑誌『アニメージュ』に連載され,映画版の制作を挟み九四年に完結した,宮崎駿の長編マンガ,『風の谷のナウシカ』.この作品の可能性の種子は,時代の喘ぎのなか,いま,芽生えと育ちの季節を迎えようとしているのかもしれない――.多くの人に愛読されてきたこのマンガを,二十余年の考察のもと,一篇の思想の書として徹底的に読み解く.
感想・レビュー・書評
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表紙は第5巻のナウシカの呟きを採っている。
虚無にいわれるまでもなく
私達が
呪われた種族なのは
判っている
大地を傷つけ 奪いとり 汚し 焼き尽くすだけの
もっとも醜いいきもの
この後、虚無的になったナウシカはメーヴェに乗って王蟲のところへ行き、大海嘯の後に腐海の苗床になり大地の傷を癒そうとしている王蟲と共に、腐海の一部になろうと沈んでゆくのである。その瞬間、王蟲はナウシカを救うためにナウシカを食べる。
もはやナウシカは、青き衣をまとった救世主ではなく、滅びゆく世界の仕組みを探し求める旅人でしかない。宮崎駿が、戸惑い探りながら作り上げた神話的物語。‥‥なんのことやらわかんないですよね。基本はやはり全7巻を読んでもらうか、この本をじっくり読むしかない(絵は少ないが、台詞はかなり採用している)。
どうやら初めて本格的に現れたマンガ版「風の谷のナウシカ」論らしい。82年に連載開始、何度もの中断のあとに94年に全7巻が完結。「アニメと原作は全くの別物である」ことは、知る人ぞ知られている。私は、最終巻は特に暗く難解で、正直戸惑った。どう言葉にしていいのかわからないままに本棚の奥に仕舞われて25年が経った。
そのあと「もののけ姫」(98年)は、正にマンガ版ナウシカだと私は思ったものだが、それさえも宮崎駿は否定して行った。もちろん宮崎駿の暗い衝動は、鈴木プロデューサーの仕掛けで巧妙に隠されている。この本は、直近アニメとの関連は、ほとんど言及されていない。残された課題は、そこだろう。
赤坂憲雄は、私の比較的信頼する民俗学者である。もちろん、民俗学含む人類学のバイアスがかなり掛かっていて、もう少し別の読み方も出来る余地があると私は思っている。ただし、赤坂氏も言うように「裏読み」的な読み方(隠されたメッセージを探る→マニアックな読み方)には、私も与(くみ)しない。絵も含めた物語と直に向き合う。豊穣な物語世界が、この全7巻の中にあることを改めて確認させて貰った。
短い書評で、赤坂憲雄版「ナウシカ論」を紹介することはできない。「ナウシカ」は反黙示録である。と言っても、なんことやらさっぱりわからないでしょ?私的には、最後の巨神兵が何故あんな「変容」を遂げたのか、今回やっと言葉でなんとか説明できる気がしてきた。とっても面白かった、とだけ言っておこう。
※本の趣旨とは関係ない処で啓示を貰うのは、読書の喜びのひとつである。文字を持たないナウシカ的世界の中で、文字がいかに世界を支配して変えようとしたかを、「ナウシカ」はもしかしたら見事に描いていたかもしれない。日本の古代、弥生時代は、もしかしたら意識的に文字を拒否していた可能性がある。もう一度、埃を被った本棚から引っ張り出して読む必要があるだろう。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
面白そうと思って、購入する前にもう一度、マンガ版『風の谷のナウシカ』を読み返した。
ナウシカを一通り読むと、考えたくなる部分が幾つも出て来る。
筆者もそんな思いに駆られて著したのだろうか。
ストーリーを丁寧に追いながら、墓所のクライマックスシーンの解釈は、自分の中に渦巻いていた分からなさに、一つの示唆を与えてくれた。
あとは個人的なナウシカ感想(笑)
王蟲とは何だったんだろう。
幼生を贄に取られた時は攻撃色を示し、粘菌に対しての大海嘯?には青いままだったのも、不思議。
人間が生み出したシステムとしての生き物だけれど、彼らは新人類と同じ体液の色を持ちながら、怒りも悲しみも持ち合わせている。
ナウシカに言わせると、だからこその慈しみと友愛なのだろうけど。
ナウシカを読んで思ったのは、墓所は未来を統べる神にはなれず、恐らく清浄な世界で満ちることもないだろうということだった。
それでも、ナウシカが墓所を壊したことで、王蟲の培養や巨神兵といった、明らかにレベルを超えた力で、一気に滅亡するエンディングからは遠のいたのではないかと思う。
対して私たちは、核を扱えると思っているのか。
そして、ナウシカのように分を超えたテクノロジーを見極める目を持っていると言えるのか。
人間が生み出した巨神兵によって、裁定されたのは皮肉にも人間自身だった。
映画では描かれなかったオーマの成長と、クシャナさんの決断が、マンガ版ではお気に入りだ。
ここについても別冊出してくれないかな。
こんな風に(笑)、『ナウシカ考』を元に各々のナウシカに想いを馳せて欲しいなと思う。 -
「宮崎駿監督=ドストエフスキー」
27年前、夏休みの読書感想文をマンガ版『風の谷のナウシカ』で書いた自分は、あながち間違ってなかった。
筆者の赤坂氏は、マンガ版ナウシカは反-黙示録の試みであったと読む。そして、登場人物の声の多様さに触れ、冒頭に記したような結論に至っている。
一神教的ファンタジーの世界に惹かれる自分と、それに欺瞞を感じる自分。
飛行機械をはじめとするテクノロジーを偏愛する自分と、大樹をはじめとする原初的な自然を愛おしむ自分。
少女や母の中に聖性を認めたい自分と、それらに幻滅しつつも幻想を抱かざるを得ない自分の心性自体に嫌悪を催す自分。
宮崎監督の中にある多様な亀裂が、このマンガに多様な声と割り切れないエンディングをもたらし、多様な読みを呼び込んでいることに、改めて感嘆する。 -
今こそマンガ版『ナウシカ』を読み直そう!と思わせてくれたその一点だけでも価値のあった本。おかげさまでこの年末年始はナウシカを読み返しながら過ごすことになり、考えてみればパンデミック下の今にふさわしい物語であるかもしれない。
さて、まさに赤坂憲雄が強調するごとく、ナウシカとは神の計画に歯向かう混沌である。この主人公を生み出した作者の宮崎駿自身もまた全能の神としての語り手の位置をとりえず、物語そのものがもつ力に引きずられていた。それゆえか、よく考えてみると最後までわからないこともこの物語には多い。
赤坂氏は本書で「文字」「卑賤民」「宗教」「文字」「名づけ」「母」「黙示録」などいくつかのテーマを立ててこの豊饒な混沌を読み解く試みを行っている。まさにいずれも重要なテーマであるのだが、腐海そのもののような物語を前に、物語の中に手を突っ込んでみては作者が投げ出していった描写を取り出して輪郭をなぞるだけに終わるような部分も多かったように感じられる。
たとえば母というテーマの中核的重要性は、このマンガを読んだ誰もが感じ取ることだろう。母に愛されることのなかった娘ナウシカは、巨神兵に「ママ」と呼びかけられてその母となることを引き受ける。この物語において「母」が生/再生産よりもむしろ死と濃密に結びついているのは赤坂の指摘の通りなのだが、それにしてもこの決定的な行為としての「母となる」ことをどう理解すべきかは容易に理解しがたい問題だ。それはナウシカが周囲の人々に繰り返し見せてきた慈母の像と似ているようでいて明らかに違う。ナウシカが「オーマに名をあたえたときから心を閉ざし」たのはなぜか、そしてオーマが名をあたえられたことにより知能を発展させ裁定者を名乗ることになるのはなぜなのか。もうすこし突っ込んだ考察が読みたかったところだ。
そしてこの点と関わり、やや意外でもあったのは、「3.11」を経ての読み直しにもかかわらず、核の問題が明示的に考察の中に据えられていないということだ。
1982年に連載が始まったこの物語において、「火の七日間」に使用され「毒の光」を放つ巨神兵はあきらかに核兵器そのものである。放射能に冒された世界を腐海が浄化するというイメージは美しいけれども、核が肉と人格を備えて人を母と呼ぶ姿は、あまりにもグロテスクというしかない。ナウシカはそのような存在に「無垢」という名をあたえて起動させ、それが最初から死神として作られなかった可能性を考える。あるいはオーマが裁定者を名乗るのは、その恐るべき力をいかに使うかによって実は人自身が裁きに付されることを意味しているのか。毒をまかれた東北をフィールドとする赤坂氏はこの核をめぐる想像を今どう読んだのだろうか。
そのような生命を弄ぶ科学技術が伝わるのが西洋的なトルメキアではなく、むしろ東洋を思わせる土鬼国であるということも興味深い。どこからともなくこの地に降臨して土着の宗教を否定し宗教支配を敷いてきた神聖皇帝も、たしかに天皇制の影が射しているように思われるが、この考察もまたそこまでで終わっている。
それだけ原作が偉大な混沌ということでもあろうが、文章にくどい繰り返しが多いこともあり、わくわくするような知的興奮をあたえてくれる分析とまでは思えなかった。
とはいえ、ここから先はまさに原作とそれぞれが格闘する領域なのかもしれない。少なくともそのための手がかりは示してくれる本である。 -
本書を読み進め、今更ながら、コミック版ナウシカの物語の強度と深度におののいた。
著者は、ほとんどの場所で批評的な言説、謎解き的な言明を避けている。まるでナウシカの世界を民俗誌として、忠実に「記録」することに徹しているようだ。
しかし、様相は『黙示録』への参照から一転する。『黙示録』の排除、欺瞞を嗅ぎ取り、ナウシカは反黙示録的性格と言い切る。西欧的二元論を超える広がりを持っていた。
思想史的なインパクトをはかるには、まだ早い。まだまだ私たち人類はそこまでいたっていない。
追記:最期のバフチンのポリフォニー論は蛇足ではないか。締めの言葉が必要だったのかもしれないが、最期までナウシカとナウシカ考を読んだ読者には自明の事実だ。 -
マンガ「風の谷のナウシカ」を論じた大作。民俗学者である著者が、ひたすらにテキストとしてナウシカを読み込み、解釈した試み。かなり好き。
本書は25年間の考察を経て2019年11月に出版、マンガ「ナウシカ」の思想に真っ向から挑み、地理、世界史、民俗学、神話や文学など現実の文脈のなかにナウシカを位置付け、さまざまな角度から読み込んだ野心的な本です。
宮崎駿の思想の到達点など、丁寧にな解釈が面白い。
この本を読みながら、「ジブリ」と同時代であった幸運をつくづく感じました。
続きはブログへー!
https://hana-87.jp/2021/03/27/nausicaa_kou/ -
国家に対する共同体を基本とした部族社会
技術の非可逆性
二元論に対するアンチテーゼ
文字による支配
ナウシカを改めて読み直したい
教養と言っても過言ではないほどに現代社会を見据える多くのテーマが組み込まれている -
読んでいると、どこかの国の歴史本を読んでいるような気分になりました。でもこれは宮崎駿の創作した物語。個人的には、「浄化」は今のコロナ禍と重ね合う部分もあるのではと感じました。
難しい言葉で敢えて書かれているような印象を受けますが内容は、ナウシカファン同士であそこはこうだよね!と語り合っているような感じでしょうか。またマンガを読み返したくなりました。
後半は、引用が前半と同じ箇所が多く内容も重複している気がしたので星4つにしました。