日本文化における時間と空間

  • 岩波書店 (2007年3月27日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (280ページ) / ISBN・EAN: 9784000242486

AIがまとめたこの本の要点

プレミアム

みんなの感想まとめ

日本文化における「時間」と「空間」の捉え方を深く掘り下げる本書は、特に西洋や中国との対比を通じて、日本の独自性を浮き彫りにします。著者の知見は広範で、時間の概念を五つに分類し、日本文化が無限の時間観を...

感想・レビュー・書評

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  • 2007年に読んだ本。ふと思い出して、当時書いた感想を貼る。

     日本文化論はすでに汗牛充棟の観がある。日本の知識人なら誰もが書けそうな気になる分野であるし、なぜか日本人は日本文化論を読むのが大好きだから、一定の需要もあるのだろう。

     しかし、日本に生まれ育った知識人が自己の知的来歴を語っただけで、まっとうな日本文化論になるわけではない。日本文化のなんたるかを熟知し、なおかつ諸外国の文化にも通暁したうえで臨まなければならない。そうしなければ、日本文化のありようを鏡に映すように相対化することができないのだ。

     その点、加藤周一は日本文化論の書き手としての資格を十二分に具えている。なにしろ、『日本文学史序説』などの大著をもち、フランス・カナダ・中国・メキシコなど諸外国の大学で日本文化を講じてきた「国際派知識人」なのだから。

     その加藤が「日本の思想史について私の考えてきたことの要約」として書いた本書は、さすがに読みごたえある日本文化論になっている。その場の思いつきで日本文化を語ったようなお手軽本とは格が違う。
     さすがは論壇の重鎮、老いてなお明晰である。論述に少しの乱れもない。

     加藤は、古代から現代に至るあらゆる日本文化を鳥瞰し、そこに通底する基本原則を抽出しようと試みる。各分野・各時代を刺しつらぬく串となるのは、「時間と空間」という切り口である。

    「時間と空間に対する態度、そのイメージや概念は、文化の差を超えて普遍的なものではなく、それぞれの文化に固有の型をもつにちがいない」

     ――そう考える加藤は、日本文化に「固有の型」を探していく。
     三部構成で、第一部で時間、第二部で空間を扱い、結論にあたる短い第三部では時間と空間の相関が論じられる。

     「時間と空間」という漠としたものを読者にも可視化するため、文学作品にあらわれた日本人の時間意識、代表的建築や絵画にあらわれた空間意識などが、次々と指摘されていく。
     膨大な日本文化からその特徴を抽出し、さらに膨大な諸外国の文化と比較対照して差異を浮き彫りにするという難作業のくり返し。それを加藤は、並外れた博識と分析力で軽々とやってのける。

     意表をつく指摘が多く、“目からウロコが落ちる”たぐいの知的興奮が随所で味わえる。
     たとえば、日本の歴史的建築は「平屋または二階建て」が基本であったことと、日本舞踊の踊り手の足は「両足が同時に床を離れることはない」こと。一見無関係な二つの例から、加藤は日本文化の「水平志向」を指摘し、その意味を考察していくのだ。

     加藤は、日本文化は時間においては「今」に、空間においては「ここ」に意識が集約された「今=ここ」の文化であると結論する。そしてその特徴が、現代に至るまで日本人の行動様式を決定づけているとしている。

     「過去は水に流す」という意識のありよう、集団帰属意識の強さなど、正負両面の“日本人らしさ”の理由が、文化の本質から解き明かされていく。古典のような風格を具えた、重厚な日本文化論である。

  • 2011年に読了していたけど、どんな本だったか思い出したくなり当時のノートを引っ張り出してきた。

    西洋文明と中国文明との対比から日本文化の特徴を炙り出す。本書は特に、「時間」と「空間」の捉え方について。
    加藤周一の知見の広さにはいつも度肝を抜かされ、一体どれだけの時間をかけたらこんな俯瞰的な視座が得られるのかと呆気に取られる(もはや絶望に近い)のと同時に、彼の知性に触れるのは好奇心が刺激されて目がつい輝く。

    (メモに対する感想)
    ・ユダヤ・キリスト教的世界の時間感覚が有限だということになるほどと思った(「西洋の「進歩」という考え方に違和感を覚えたのは、歴史観の違いによるのか、そっかー!」とノートにあるので読んだ当時も同じことを思ったらしい)
    ・最近フランスの古典文学に触れようとする中で、「フランスでは小説の中の構造作りに凝っていて、日本の小説はなんだか短いな」と思っていたのは、「第一部 時間」の議論と呼応する。
    ・一方、タイで「タイの人は日本人よりもっと刹那的(今を生きている)」と思っていた。これはどう考えればいいんだろう?長寿化と資本主義の到来、四季の有無の違いもある気がする。
    ・「膨張主義の帝国が上手くいくためには、」軍事力と「被支配者に対しても説得的な言説」が必要、という点について、これはまだ現代にも尾を引いていて、その得手不得手は海外に進出してる外資系企業vs日系企業の中身を見れば明らかだと思う。

    手元にメモしかないのが残念なのでぜひ入手して再読したい!

  • 第2部以降を読んで
    2部は空間の話。古来よりムラ社会である日本において、内部の人とは対等だが、外部の人に対しては上に見て従うか、あるいは見下すかの二択であったことが例示される。例えば、ムラにおいて官吏は従う対象で、旅芸人は見下す対等だったように。あるいはかつては属国として従っていた中国を、アヘン戦争後は急に見下したように。
    前に仕事で話した大企業のお偉方が、外国人のコミュニケーションと日本人のそれを比較して言っていた、「結局日本人は対等な話はできないんですよ。目上が目下に論説をぶつ。目下はうんうん頷いて聞く。それしかできない。」という話と重なる。
    外交の場面でも、日本は包括的な問題解決においてイニシアチブを取ることはなく、本当に国益に関係するトピックの時だけ「わが国」の主張を通そうとする。この姿勢はあらゆる問題において関係国と調整を図り、いくつかの選択肢を提示したうえで妥協点を探すEUなどとは大きく異なるとのこと。これもかなり身に覚えがある。

    これらは全て、コミュニティの内部に向かう強烈な意識に端を発するとのことだが、果たして今の日本人もそうだろうか。もはや自分の生まれた地域にこだわりのない人、さらには日本という国にすらこだわりのない人も多いことだろう。会社の形態もかつてはムラに例えられたが、今はもうそうではないことは明白だ。そういう人々が国際社会でどう振る舞い、どういう日本人像を作っていくことができるのか。少なくとも形式的にはムラの消失した現代日本において、私たちはもっと別の精神性を獲得できるはずである。いつまでも「外国人から見た日本文化のすごいところ」なんでテレビ番組を作ってご満悦に浸っている場合ではない。その段階から抜け出せる社会的土壌はもうあるのではないか?
    加藤周一は(これまでの日本文化のどうしようもなく悲しい性を丹念に炙り出してくれたものの)残念ながらその先を提示してはくれない。

    ーーーー
    第1部 (時間について)を読んで
    「明日は明日の風が吹く」し、「宵越しの銭は持たない」日本文化は、過去や未来に対して明確なビジョンを持っておらず、あるのは今だけであると説く。おそらく和辻哲郎に言わせれば、台風などの突発的災害が多い日本の風土が育んだ独特の「諦観」ということになろう。読んでいて自分も、「今が良ければ良い」と思うし、「失敗しても何とかなる」と思うし、最終的には「人生はなるようになる」と思えてしまう典型的日本人の一人だと気づいた。

    著者曰く、その価値観は、文明開化や敗戦後にころっと態度を変える国民性にも表れており、例えばナチスの罪を徹底的に懺悔し断罪したドイツとは異なる。(確かに右派でない人でさえ、いつまでも過去の恨みを忘れない隣国に対して、どこかで「第二次大戦は軍部の責任が大きいし、賠償金だって払ってるのに、いつまで過去に拘ってるんだろう」という感想を全く持たないとは言えないだろう)
    特にこの「今さえ良ければ良い」傾向が顕著だったのが平和な江戸時代で、芸術は急激に世俗化し、室町時代のような宗教や哲学に触れたものは見られなくなるようだ。
    ここまで読んで、平成のポップスを思い出した。よく「最近の歌は深みがない」というが、何のことはない、平和だったのだ。
    「(たまに困っても)基本は平和」というのが、過去や未来を真剣に考えない要因として大きいのだろう思う。今が苦しければ未来への思いが強くなるだろうし、未来が危ういと思えば過去を勉強するだろう。島国で外敵も無くのほほんと暮らし、台風で困ってもまあなんとかなり、オイルショックで困ってもまあなんとかなり、リーマンショックで困ってもまあなんとかなってきたのが日本である。皮肉にもかつて日本が未来に対して何か大きな構想を持った唯一の例がおそらく大東亜共栄圏で、それは列強の侵略という危機に晒されていた時代だ。
    そう思ったとき、これからの時代はどうだろう。世界情勢は日に日に危うくなっている。大国は何をしでかすか分からない指導者を抱えている。隣国との溝はここに来て急激に深まっている。国内でも嘘と本当が入り混じっている。台風や地震は、もはやちょっと困る程度の規模ではなくなっている。試しに、これからのポップスの変化には注目していようと思う。軽薄な歌よりも、哲学的な、重いものが流行りだしたら時代が変わったサインだろう。

    きっと、ここからは日本人にとって不得意な時代になるかもしれない。「なるようになるさ」ではなく、未来に対して意思を持たないといけない。そのためには過去を自分で体系立てないといけない。そして戦前戦中のように、一部の意見に迎合してもいけない。これらは未だかつて日本の民衆が一度もやったことのないことである。もちろん、不得意だから、やったことがないからといって、それをやらなくてもいい理由にはならないのは明白だ。でも、自分にそれができるだろうか。

  • 時間と空間のとらえかたについて、日本の文化(絵画、和歌、俳句、演劇)からその特徴を捉えようとする本です。まず時間について、世界には(1)はじめと終わりのある時間(ユダヤ教)、(2)円周上を無限に循環する時間、(3)無限の直線上を一定の方向に移動する時間、(4)始めなくおわりのある時間、(5)始めがありおわりのない時間、の5類型がある。そして古事記から始まる様々な例をひもとき、例外はあるものの、日本は(2)(3)の無限の時間の概念が主流だと主張しています。そこでは時間の分節化が難しく「いま」の連続で時間が流れゆくとのこと。

    ついで空間についてですが、こちらは(1)開かれた空間、(2)閉じられた空間、という類型の中で、日本は想定通り(2)だという主張がなされます。これだけですと真新しさはないのですが、私が最も興味深かったのは、日本の空間の3つの特徴として、「オク(奥)」の概念、水平面の強調、そして建て増し思想が挙げられていたことでしょう。これは実感にあいますし、現実の建築物だけでなく企業の組織にも同様の特徴があると思いました。特に3つ目の建て増し思想については、よく隠喩で「熱海の旅館」という表現がされることがありますが、熱海の旅館に行ったことがある人ならわかるように、無節操に建て増しされた迷路のような構造になっています。著者はここから、日本の空間思想を、部分から全体へ、つまり部分重視、細部重視主義であり、全体ではなく「ここ」を何よりも重視していると指摘します。

    そして2つがあわさると「いま=ここ」志向が、日本文化に見られる時間と空間の特徴だと結論づけるわけです。確かに禅宗のお寺で座禅に参加すると「いま=ここ」に集中せよ、そこにこそ真実があると諭すわけですが、これだけ座禅がブームになっていることを裏返すと、現代人は、「いま=ここ」ではなく、過去や未来、そして「ここ」以外の事象に囚われすぎているということが言えるのかもしれません。いろいろと考えさせてくれる良書でした。

  • 恥ずかしながら、初・加藤周一。訃報を聞く少し前に新刊で買ったままほっぽらかしてあったのを読んだ。多分最後の著作ではないかと思う。やや牽強付会の感は否めず、全体的に迂遠で冗長ではあるが、恐るべき博覧強記。もうあと10年、いや、5年生きて今の日本を語ってほしかったも思う。

  • ふむ

  • 日本人は「今=ここ」からあらゆる世界を見がち、という仮説を時間と空間意識から紐解いた本。
    この前読んだ「日本語をみがく小辞典」の中にも「日本語は自己中心的」という表現を見かけたけど、時間・空間に対する文化もあわせてその理由を考えると面白いかも。

  • f.2025/3/1 (2025-018)
    p.2007/6/19

  • なんとかなる、宵越しの金は持たない。
    今まで何とかなってきた日本だが、どうにかならなそうなこれならの日本、世界で内と外の概念と区別を取り払い活躍できる時代になるのか?
    個人的には国や国境を超えて活躍する1割の個人と9割の日本に囚われる集団になりそうな未来が来そう。そんな事を本書を読んで感じた。
    急な外圧が有ればコロッと向く方向が変わる日本なだけに早めにその痛みを伴う変化がある方が、むしろ幸せなのかもしれないなと思った


    一章 時間の類型

    始めと終わりがある時間はユダヤキリスト教的世界の特徴
    ヘレニズムは別。

    日本とも対照的。

    仏教は半ば循環的、半ば直線的。
    輪廻は繰り返す、しかし今の生と次の生は違う。

    2章
    言語表現と音楽に対し脳の別の部位で反応。
    西洋近代おくらべれば日本は全体の構造よりも瞬間の音色や間を重視する。

    戦慄は多声的でなく、単線的。しかし音色に詰まっている。

    絵巻物、現在の連鎖

    音楽でも絵画でも今の強調。全体よりも部分。

    宵越しの金を持たない。
    一瞬の辛味の激しいわさび。

    今にフォーカスして体制を変える必要がない?
    今の日本もそう?

    第2部 1章 空間の類型

    軍事力だけで長く維持された帝国はない。
    異民族や異文化を支配するために、物理的な暴力による強制と共に、支配を正当化する言説を必要とする。

    ヨーロッパの近代文化の歴史的背景にはヘレニズムとキリスト教。

    めも
    内と外の概念。ムラ社会。沖縄のうちなーんちゅと内地の概念と似てる?

    遠い外部からの訪問者は上か下に位置する。

    劣等感を裏返した誇大妄想。
    ジャパンアズナンバーワンもそれまでの劣等感の裏返し?
    今の日本賛美も?

    ーオクの概念。
    奥に向かうほど空間の聖性が増す。 オクとは運動の方向性。

    私的生活空間の秘密性は空間の閉鎖性。
    ムラ境や国境の閉鎖性を生み出したのと同じ社会心理的傾向

    ー水平面の強調
    世界の宗教建築は縦の天高いものも多い。
    神社には塔はない。仏教は外来宗教。
    日本舞踊も両足が床を離れない。

    ー建増し
    NYやパリの計画建築。
    京都以外は建て増しでカオス。
    象徴するのは地下鉄工事。パリは19世紀末に一挙に作った。

    建て増し主義からは小さな空間の嗜好と非対称性の好み。
    細部→全体へ向かう。全体→細部ではない。

    これが形成されたのは茶室の文化?

    2部2章 空間のさまざまな表現

    柱と屋根の構造で壁の支えがないため日本は庭があり大きな開口部?

    オクと建て増し、神社と武家屋敷

    アジアのような広大な砂漠や草原がない。
    山や海などの自然は眺める方向で景色が違う。

    3章 行動様式
    岩倉使節団と遣唐使。
    開花と鎖国が交互に。必要になると開国。例えば漢字や明治時代の軍事力など。

    集団主義は農工から→高度経済成長の終身雇用の職場まで。


    3部
    一章 部分と全体

    今にフォーカスしてる。
    鎌倉時代の絵巻物。

    過去や不都合な過去は水に流す。
    誠心誠意があれば意図の善悪は気にされないのでは?ー筆者

    それぞれの集団から世界を見るのであり、世界の中の日本から見るのではない。

    2章
    共同体集団の習慣が制度化されて組織されていたのは17世紀後半から20世紀後半に及ぶおよそ300年間。

    伊勢参りは現代のデモ?
    デモがSNS空間でも起きてる?=Twitter
    監視社会の日本の中での変身願望?

    共同体は個別的で特殊な価値を持って普遍的価値に対抗するほかはない。
    ーそれでもお前は日本人か


  • 7/13は日本標準時制定記念日
    時間つながりでおすすめ。日本文化を貫く時間と空間に対する独特な感覚とは?
    可能性と限界に迫ります。

  • 作品日本文化における時間と空間
    外国人に日本文化の説明するときの本で根拠を示す。

  • 日本文化を「雑種」と定義づけたことで有名な加藤周一。この本では、日本文化における時間と空間に関して考察がなされていた。西洋との比較・具体的な文献(例えば、古今和歌集の引用)などが多く、説得力があった。

    時間論の入門書として手に取るのも良いだろう。
    直線上の時間という考え方(キリスト教的)と、円周上を循環する時間(仏教的・輪廻転生)という考え方など勉強になる。

    また、日本の伝統としての空間に関する考察も興味深い。宗教的建築物や世俗的建築物に置いて、日本で縦の線を強調する建築ができたのは、第二次世界大戦以降だそうだ。それ以前は、水平の面に沿い地を這うような様式が一般的であった。また、舞台などでも地に沿う考え方があり、例えば日本舞踊は両足が同時に床を離れることはないという。
    こんな所にも、知らず知らずのうちに日本人らしさというものが隠れているのだと思うと、興味深い。

  • 日本の文化の特徴を、「いま」に対する認識の強さという観点からとらえている。

    例えば時間の感覚については、日本語の中には構造的にしっかりとした時制の体系がないということから、自らの意識の外にある時間の流れの中に物事を位置づける感覚が弱いといったことが挙げられている。過去を振り返り反省することや未来を構築することより、うつろう「いま」を中心に物事を認識するという日本文化の特徴につながっている。

    また、空間の面でも、日本の建築が初めから全体の構想を立てるのではなく、順次建て増しをしながら拡張をしていく作り方にもされているということも、挙げられている。これも、それぞれの時点で完成をさせながらも、次の時点では新しい完成に向かって移り変わっていく日本文化の「いま」のとらえ方の特徴を表している。

    日本文学だけでなく、絵画、言語、建築、政治・社会といった幅の広い分野に論点を広げながらも、大きくは「時間」と「空間」の観点から日本文化を分析していた点が印象に残った。

  • 「今=ここ」という考えは境地のものという印象だが、この本では真逆の視点が得られる。つまり、日本の典型的な考え方であり、必然的に至る考えであるという道筋。

    部分と全体という視点も面白い。建て増し・部分の自己完結性が日本の特徴。

  • この本を読了するのに数カ月かかり、2回目を読みながら感想文を書くのにまた2,3カ月かかった。一文一文の密度が濃く、格調高い。奥が深い。世界が広い。

    加藤周一は、これから日本人はどうあらねばならないかを考えるために、これまでの日本文化を分析している、西洋や中国と比較して。時間や空間にあらわれる日本文化の特質が日本人の優秀さや、逆に愚かさを生んでいると考えている。

    日本人の文化的な特質を加藤周一は「今」と「ここ」にまとめる。日本人には「今」と「ここ」しかない。だから過去は水に流し、鬼は外福は内なのである。

    米中の接近に際して、とっさに日中国交回復を成し遂げた座頭市的な早業外交。大震災後の市民レベルでの素早い対応。今には強い。

    一方で、それは日本人の大勢順応主義という特質に結びつく。
    攘夷が開国になり、西洋崇拝となる。米英撃滅の次に米国追随、保護貿易による経済成長の次に市場開放と「自由化」・・・「大勢順応主義は、集団の成員の行動様式にあらわれた現在中心主義である。」

    俳句の時間は瞬間であり、それを支える制度化された「季語」は日本独特である。

    随筆も日本独特の文学だが、面白いのは「全体」ではなく「部分」である。

    絵画、特に絵巻物の中の時間は常に「今」となる。

    日本語の語順は、文末に動詞を置き、「全体を知る前に細部を読むことを読者に強制する」

    都市空間や建築においては「左右相称性と非相称性が重要で」あり、前者は空間の全体にかかわり、後者は部分重視となる。

    「中国は徹底した相称性文化の国であり、日本文化は正反対の非相称性に徹底する。西洋はその中間に位置する」

    日本空間の特徴、第一に「おく」の概念、第二に水平面の強調、第三に建増しの思想であり、建て増すことによって非相称的な空間が生まれる。

    神社や徳川時代の武家屋敷にもこれらの特徴が明瞭に見られる。

    桂離宮、そして茶室、妙喜庵待庵。

    この本は3部構成で、1部は時間、2部は空間、第3部はその関係を取り扱っている。

    さらに1部と2部は、それぞれ3章構成であり、その第1章は古代神話や信仰体系すなわち世界観における時空間を取り上げ、第2章は芸術・文化における時空間の表現を考察の対象とし、第3章は近代から現在における日本人のとってきた行動様式をみている。

    第3部は時間と空間の関係、その両者に貫徹している共通法則をまとめ、さらにそれどう超えるかを考察している。

    空間とは行っても、自然、地理、社会(ムラ、国、そして外交)、建築など多岐にわたっている。

    時間についても、ユダヤ教、古代ギリシャ、古代中国、仏教、古事記、短歌、連歌、俳句などを取り上げている対象は広い。

    加藤自身、世界のあらゆる文化を縦横に飛び回り、引用している。時空間を超越しているかのように見える。

    本書全体で、時間における部分重視が「今」であり、空間における部分重視が「ここ」であるということをつまびらかにしている。

    しかし、なぜそうなのかについては、明確には述べていないように思われる。それは文化とは、人間社会における精神生活の総体であり、過去からの蓄積が層を成した結果としか言えないからなのだろうか。残された第一の課題である。

    時空間を物理的に超越するためには脱出すること、それを完成させるために亡命すること。そして、時空間を精神的に超越するのは禅であるとしているが、禅についてはそれ以上詳しく展開していない。第二の課題である。

    1部2部の1章における歴史意識は、丸山眞男のいう「古層」に近いという。これは私の勉強すべき課題である。

  • 「時と所の特殊性を超えて、普遍性へ向かおうとする精神こそが自由である」

    だって

  • 日本文化の特質を時間と空間の二軸から「今 = ここ」の強調と捉えて論じています。「今 = ここ」は、部分が全体に先行するものの見方、すなわち眼前の、私が今居る場所への集中することであり、それは大勢順応主義と共同集団主義へと向かう傾向が強くなることを導き出しています。日本人の宗教観・文学・建築・絵画など様々な分野を例証として説明している箇所は納得できるところが多いです。最終章で「今 = ここ」からの脱出について書いていますが、文字通り「今 = ここ」という時空間からの脱出について述べるのに留まっていたのが残念でした。日本文化の特質としての「今 = ここ」から、心理的に脱却するためにはどういうことが考えられるかについても筆者の考えを論じてほしかったです。

  •  日本文化へのアプローチとして、時・空の2相から、言葉、建築、芸術という多様な対象を引き合いに出している。彼の文章は何かを知るために読むものではない。「どのように考えるか」を実践するために読むべきだろう。

  • 図書館1階の学士力支援図書コーナーでは、大学の建学の精神に基づいた図書を3つのテーマに分けて配架しています。
    ・アイデンティティを求めて
    ・いかに生きるか
    ・視野を広げる、世界を知る力

    この本は→「アイデンティティを求めて」

    配架場所はこちら→http://libopac.josai.ac.jp/opac/opac_details.cgi?lang=0&amode=11&place=&bibid=2000036684&key=B129974253820502&start=1&srmode=0

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著者プロフィール

評論家。「9条の会」呼びかけ人。

「2008年 『憲法9条 新鮮感覚』 で使われていた紹介文から引用しています。」

加藤周一の作品

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