日本文化における時間と空間

著者 :
  • 岩波書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (280ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784000242486

作品紹介・あらすじ

日本文化の特質とは何か。著者は時間と空間の二つの軸からこの大きな問いに挑む。文学・絵画・建築など豊富な作品例を縦横に比較・参照しつつ、日本文化を貫く時間と空間に対する独特な感覚-著者はそれを「今=ここ」と捉える-に迫る。その鋭い筆は宗教観や自他認識へと及び、この志向が今日のわれわれの日常や政治行動をも規定していると喝破する。日本文化の本質、その可能性と限界を問う渾身の書き下ろし。

感想・レビュー・書評

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  • 2007年に読んだ本。ふと思い出して、当時書いた感想を貼る。

     日本文化論はすでに汗牛充棟の観がある。日本の知識人なら誰もが書けそうな気になる分野であるし、なぜか日本人は日本文化論を読むのが大好きだから、一定の需要もあるのだろう。

     しかし、日本に生まれ育った知識人が自己の知的来歴を語っただけで、まっとうな日本文化論になるわけではない。日本文化のなんたるかを熟知し、なおかつ諸外国の文化にも通暁したうえで臨まなければならない。そうしなければ、日本文化のありようを鏡に映すように相対化することができないのだ。

     その点、加藤周一は日本文化論の書き手としての資格を十二分に具えている。なにしろ、『日本文学史序説』などの大著をもち、フランス・カナダ・中国・メキシコなど諸外国の大学で日本文化を講じてきた「国際派知識人」なのだから。

     その加藤が「日本の思想史について私の考えてきたことの要約」として書いた本書は、さすがに読みごたえある日本文化論になっている。その場の思いつきで日本文化を語ったようなお手軽本とは格が違う。
     さすがは論壇の重鎮、老いてなお明晰である。論述に少しの乱れもない。

     加藤は、古代から現代に至るあらゆる日本文化を鳥瞰し、そこに通底する基本原則を抽出しようと試みる。各分野・各時代を刺しつらぬく串となるのは、「時間と空間」という切り口である。

    「時間と空間に対する態度、そのイメージや概念は、文化の差を超えて普遍的なものではなく、それぞれの文化に固有の型をもつにちがいない」

     ――そう考える加藤は、日本文化に「固有の型」を探していく。
     三部構成で、第一部で時間、第二部で空間を扱い、結論にあたる短い第三部では時間と空間の相関が論じられる。

     「時間と空間」という漠としたものを読者にも可視化するため、文学作品にあらわれた日本人の時間意識、代表的建築や絵画にあらわれた空間意識などが、次々と指摘されていく。
     膨大な日本文化からその特徴を抽出し、さらに膨大な諸外国の文化と比較対照して差異を浮き彫りにするという難作業のくり返し。それを加藤は、並外れた博識と分析力で軽々とやってのける。

     意表をつく指摘が多く、“目からウロコが落ちる”たぐいの知的興奮が随所で味わえる。
     たとえば、日本の歴史的建築は「平屋または二階建て」が基本であったことと、日本舞踊の踊り手の足は「両足が同時に床を離れることはない」こと。一見無関係な二つの例から、加藤は日本文化の「水平志向」を指摘し、その意味を考察していくのだ。

     加藤は、日本文化は時間においては「今」に、空間においては「ここ」に意識が集約された「今=ここ」の文化であると結論する。そしてその特徴が、現代に至るまで日本人の行動様式を決定づけているとしている。

     「過去は水に流す」という意識のありよう、集団帰属意識の強さなど、正負両面の“日本人らしさ”の理由が、文化の本質から解き明かされていく。古典のような風格を具えた、重厚な日本文化論である。

  • 2011年に読了していたけど、どんな本だったか思い出したくなり当時のノートを引っ張り出してきた。

    西洋文明と中国文明との対比から日本文化の特徴を炙り出す。本書は特に、「時間」と「空間」の捉え方について。
    加藤周一の知見の広さにはいつも度肝を抜かされ、一体どれだけの時間をかけたらこんな俯瞰的な視座が得られるのかと呆気に取られる(もはや絶望に近い)のと同時に、彼の知性に触れるのは好奇心が刺激されて目がつい輝く。

    (メモに対する感想)
    ・ユダヤ・キリスト教的世界の時間感覚が有限だということになるほどと思った(「西洋の「進歩」という考え方に違和感を覚えたのは、歴史観の違いによるのか、そっかー!」とノートにあるので読んだ当時も同じことを思ったらしい)
    ・最近フランスの古典文学に触れようとする中で、「フランスでは小説の中の構造作りに凝っていて、日本の小説はなんだか短いな」と思っていたのは、「第一部 時間」の議論と呼応する。
    ・一方、タイで「タイの人は日本人よりもっと刹那的(今を生きている)」と思っていた。これはどう考えればいいんだろう?長寿化と資本主義の到来、四季の有無の違いもある気がする。
    ・「膨張主義の帝国が上手くいくためには、」軍事力と「被支配者に対しても説得的な言説」が必要、という点について、これはまだ現代にも尾を引いていて、その得手不得手は海外に進出してる外資系企業vs日系企業の中身を見れば明らかだと思う。

    手元にメモしかないのが残念なのでぜひ入手して再読したい!

  • 第2部以降を読んで
    2部は空間の話。古来よりムラ社会である日本において、内部の人とは対等だが、外部の人に対しては上に見て従うか、あるいは見下すかの二択であったことが例示される。例えば、ムラにおいて官吏は従う対象で、旅芸人は見下す対等だったように。あるいはかつては属国として従っていた中国を、アヘン戦争後は急に見下したように。
    前に仕事で話した大企業のお偉方が、外国人のコミュニケーションと日本人のそれを比較して言っていた、「結局日本人は対等な話はできないんですよ。目上が目下に論説をぶつ。目下はうんうん頷いて聞く。それしかできない。」という話と重なる。
    外交の場面でも、日本は包括的な問題解決においてイニシアチブを取ることはなく、本当に国益に関係するトピックの時だけ「わが国」の主張を通そうとする。この姿勢はあらゆる問題において関係国と調整を図り、いくつかの選択肢を提示したうえで妥協点を探すEUなどとは大きく異なるとのこと。これもかなり身に覚えがある。

    これらは全て、コミュニティの内部に向かう強烈な意識に端を発するとのことだが、果たして今の日本人もそうだろうか。もはや自分の生まれた地域にこだわりのない人、さらには日本という国にすらこだわりのない人も多いことだろう。会社の形態もかつてはムラに例えられたが、今はもうそうではないことは明白だ。そういう人々が国際社会でどう振る舞い、どういう日本人像を作っていくことができるのか。少なくとも形式的にはムラの消失した現代日本において、私たちはもっと別の精神性を獲得できるはずである。いつまでも「外国人から見た日本文化のすごいところ」なんでテレビ番組を作ってご満悦に浸っている場合ではない。その段階から抜け出せる社会的土壌はもうあるのではないか?
    加藤周一は(これまでの日本文化のどうしようもなく悲しい性を丹念に炙り出してくれたものの)残念ながらその先を提示してはくれない。

    ーーーー
    第1部 (時間について)を読んで
    「明日は明日の風が吹く」し、「宵越しの銭は持たない」日本文化は、過去や未来に対して明確なビジョンを持っておらず、あるのは今だけであると説く。おそらく和辻哲郎に言わせれば、台風などの突発的災害が多い日本の風土が育んだ独特の「諦観」ということになろう。読んでいて自分も、「今が良ければ良い」と思うし、「失敗しても何とかなる」と思うし、最終的には「人生はなるようになる」と思えてしまう典型的日本人の一人だと気づいた。

    著者曰く、その価値観は、文明開化や敗戦後にころっと態度を変える国民性にも表れており、例えばナチスの罪を徹底的に懺悔し断罪したドイツとは異なる。(確かに右派でない人でさえ、いつまでも過去の恨みを忘れない隣国に対して、どこかで「第二次大戦は軍部の責任が大きいし、賠償金だって払ってるのに、いつまで過去に拘ってるんだろう」という感想を全く持たないとは言えないだろう)
    特にこの「今さえ良ければ良い」傾向が顕著だったのが平和な江戸時代で、芸術は急激に世俗化し、室町時代のような宗教や哲学に触れたものは見られなくなるようだ。
    ここまで読んで、平成のポップスを思い出した。よく「最近の歌は深みがない」というが、何のことはない、平和だったのだ。
    「(たまに困っても)基本は平和」というのが、過去や未来を真剣に考えない要因として大きいのだろう思う。今が苦しければ未来への思いが強くなるだろうし、未来が危ういと思えば過去を勉強するだろう。島国で外敵も無くのほほんと暮らし、台風で困ってもまあなんとかなり、オイルショックで困ってもまあなんとかなり、リーマンショックで困ってもまあなんとかなってきたのが日本である。皮肉にもかつて日本が未来に対して何か大きな構想を持った唯一の例がおそらく大東亜共栄圏で、それは列強の侵略という危機に晒されていた時代だ。
    そう思ったとき、これからの時代はどうだろう。世界情勢は日に日に危うくなっている。大国は何をしでかすか分からない指導者を抱えている。隣国との溝はここに来て急激に深まっている。国内でも嘘と本当が入り混じっている。台風や地震は、もはやちょっと困る程度の規模ではなくなっている。試しに、これからのポップスの変化には注目していようと思う。軽薄な歌よりも、哲学的な、重いものが流行りだしたら時代が変わったサインだろう。

    きっと、ここからは日本人にとって不得意な時代になるかもしれない。「なるようになるさ」ではなく、未来に対して意思を持たないといけない。そのためには過去を自分で体系立てないといけない。そして戦前戦中のように、一部の意見に迎合してもいけない。これらは未だかつて日本の民衆が一度もやったことのないことである。もちろん、不得意だから、やったことがないからといって、それをやらなくてもいい理由にはならないのは明白だ。でも、自分にそれができるだろうか。

  • 時間と空間のとらえかたについて、日本の文化(絵画、和歌、俳句、演劇)からその特徴を捉えようとする本です。まず時間について、世界には(1)はじめと終わりのある時間(ユダヤ教)、(2)円周上を無限に循環する時間、(3)無限の直線上を一定の方向に移動する時間、(4)始めなくおわりのある時間、(5)始めがありおわりのない時間、の5類型がある。そして古事記から始まる様々な例をひもとき、例外はあるものの、日本は(2)(3)の無限の時間の概念が主流だと主張しています。そこでは時間の分節化が難しく「いま」の連続で時間が流れゆくとのこと。

    ついで空間についてですが、こちらは(1)開かれた空間、(2)閉じられた空間、という類型の中で、日本は想定通り(2)だという主張がなされます。これだけですと真新しさはないのですが、私が最も興味深かったのは、日本の空間の3つの特徴として、「オク(奥)」の概念、水平面の強調、そして建て増し思想が挙げられていたことでしょう。これは実感にあいますし、現実の建築物だけでなく企業の組織にも同様の特徴があると思いました。特に3つ目の建て増し思想については、よく隠喩で「熱海の旅館」という表現がされることがありますが、熱海の旅館に行ったことがある人ならわかるように、無節操に建て増しされた迷路のような構造になっています。著者はここから、日本の空間思想を、部分から全体へ、つまり部分重視、細部重視主義であり、全体ではなく「ここ」を何よりも重視していると指摘します。

    そして2つがあわさると「いま=ここ」志向が、日本文化に見られる時間と空間の特徴だと結論づけるわけです。確かに禅宗のお寺で座禅に参加すると「いま=ここ」に集中せよ、そこにこそ真実があると諭すわけですが、これだけ座禅がブームになっていることを裏返すと、現代人は、「いま=ここ」ではなく、過去や未来、そして「ここ」以外の事象に囚われすぎているということが言えるのかもしれません。いろいろと考えさせてくれる良書でした。

  • 恥ずかしながら、初・加藤周一。訃報を聞く少し前に新刊で買ったままほっぽらかしてあったのを読んだ。多分最後の著作ではないかと思う。やや牽強付会の感は否めず、全体的に迂遠で冗長ではあるが、恐るべき博覧強記。もうあと10年、いや、5年生きて今の日本を語ってほしかったも思う。

  • p.2007/6/19

  • なんとかなる、宵越しの金は持たない。
    今まで何とかなってきた日本だが、どうにかならなそうなこれならの日本、世界で内と外の概念と区別を取り払い活躍できる時代になるのか?
    個人的には国や国境を超えて活躍する1割の個人と9割の日本に囚われる集団になりそうな未来が来そう。そんな事を本書を読んで感じた。
    急な外圧が有ればコロッと向く方向が変わる日本なだけに早めにその痛みを伴う変化がある方が、むしろ幸せなのかもしれないなと思った


    一章 時間の類型

    始めと終わりがある時間はユダヤキリスト教的世界の特徴
    ヘレニズムは別。

    日本とも対照的。

    仏教は半ば循環的、半ば直線的。
    輪廻は繰り返す、しかし今の生と次の生は違う。

    2章
    言語表現と音楽に対し脳の別の部位で反応。
    西洋近代おくらべれば日本は全体の構造よりも瞬間の音色や間を重視する。

    戦慄は多声的でなく、単線的。しかし音色に詰まっている。

    絵巻物、現在の連鎖

    音楽でも絵画でも今の強調。全体よりも部分。

    宵越しの金を持たない。
    一瞬の辛味の激しいわさび。

    今にフォーカスして体制を変える必要がない?
    今の日本もそう?

    第2部 1章 空間の類型

    軍事力だけで長く維持された帝国はない。
    異民族や異文化を支配するために、物理的な暴力による強制と共に、支配を正当化する言説を必要とする。

    ヨーロッパの近代文化の歴史的背景にはヘレニズムとキリスト教。

    めも
    内と外の概念。ムラ社会。沖縄のうちなーんちゅと内地の概念と似てる?

    遠い外部からの訪問者は上か下に位置する。

    劣等感を裏返した誇大妄想。
    ジャパンアズナンバーワンもそれまでの劣等感の裏返し?
    今の日本賛美も?

    ーオクの概念。
    奥に向かうほど空間の聖性が増す。 オクとは運動の方向性。

    私的生活空間の秘密性は空間の閉鎖性。
    ムラ境や国境の閉鎖性を生み出したのと同じ社会心理的傾向

    ー水平面の強調
    世界の宗教建築は縦の天高いものも多い。
    神社には塔はない。仏教は外来宗教。
    日本舞踊も両足が床を離れない。

    ー建増し
    NYやパリの計画建築。
    京都以外は建て増しでカオス。
    象徴するのは地下鉄工事。パリは19世紀末に一挙に作った。

    建て増し主義からは小さな空間の嗜好と非対称性の好み。
    細部→全体へ向かう。全体→細部ではない。

    これが形成されたのは茶室の文化?

    2部2章 空間のさまざまな表現

    柱と屋根の構造で壁の支えがないため日本は庭があり大きな開口部?

    オクと建て増し、神社と武家屋敷

    アジアのような広大な砂漠や草原がない。
    山や海などの自然は眺める方向で景色が違う。

    3章 行動様式
    岩倉使節団と遣唐使。
    開花と鎖国が交互に。必要になると開国。例えば漢字や明治時代の軍事力など。

    集団主義は農工から→高度経済成長の終身雇用の職場まで。


    3部
    一章 部分と全体

    今にフォーカスしてる。
    鎌倉時代の絵巻物。

    過去や不都合な過去は水に流す。
    誠心誠意があれば意図の善悪は気にされないのでは?ー筆者

    それぞれの集団から世界を見るのであり、世界の中の日本から見るのではない。

    2章
    共同体集団の習慣が制度化されて組織されていたのは17世紀後半から20世紀後半に及ぶおよそ300年間。

    伊勢参りは現代のデモ?
    デモがSNS空間でも起きてる?=Twitter
    監視社会の日本の中での変身願望?

    共同体は個別的で特殊な価値を持って普遍的価値に対抗するほかはない。
    ーそれでもお前は日本人か


  • 7/13は日本標準時制定記念日
    時間つながりでおすすめ。日本文化を貫く時間と空間に対する独特な感覚とは?
    可能性と限界に迫ります。

  • 作品日本文化における時間と空間
    外国人に日本文化の説明するときの本で根拠を示す。

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著者プロフィール

評論家。「9条の会」呼びかけ人。

「2008年 『憲法9条 新鮮感覚』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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