ハンセン病―排除・差別・隔離の歴史

制作 : 沖浦 和光  徳永 進 
  • 岩波書店
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レビュー : 1
  • Amazon.co.jp ・本 (264ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784000244077

作品紹介・あらすじ

長い歴史のなかで厳しい差別を受け続け、近代において「祖国浄化」の名のもとに社会から排除されたハンセン病者-。ハンセン病への偏見はなぜぬぐい去られなかったのか。国家による苛酷な隔離政策はなぜ続いたのか。日本社会全体がおかしてきた重大な過ちを、歴史・医療・法律・ジャーナリズムなどの多様な視座から検証し、これからの真の人権回復と問題解明に何が必要かを考える。

感想・レビュー・書評

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  • 先般、北條民雄の『いのちの初夜』を読んだ。北條はハンセン病(らい病)を発症し、隔離病棟で作品を書き続けた昭和期の作家である(夭逝はしているが、死因はハンセン病ではなく結核である)。川端康成がその才を見いだし、支援したことでも知られる。
    作品の内容には心打たれる一方、背景を調べながら、なぜこれほどまでにハンセン病患者が差別にあうのか疑問に思った。らい菌はそもそも、さほど感染力も発症率も高くない病原体である。「隔離する」という方針が合理的とは思えない。しかも、かつては遺伝病ではないかとすら思われていた疾患である。仮に遺伝病だとしたならば、なおのこと、隔離する必要性はない。
    どうして隔離政策がまかり通ることになったのか、その理由が知りたいと思い、行き着いたのが本書である。

    本書は2001年11月に初版が発行されている。2001年とは、熊本地裁により、「『らい予防法』違憲国家賠償請求訴訟」の判決が出た年である。熊本地裁はらい予防法の隔離規定は憲法に違反すると認定した。これほど最近のことであったのか、ということに改めて驚く。
    ともかくも5月の判決を受けて、本書は半年ほどで企画・発刊されている。
    1つには、それまで、らい=ハンセン病差別に関する書籍・資料が十分には発行されてこなかったことがある。裏返せばそれは、ハンセン病に対する世間の「無関心」が、差別の歴史を長引かせてきたことの現れでもある。
    本書の特色は、さまざまなバックグラウンドの執筆者が、それぞれの専門知識や経験を元に、ハンセン病の歴史を振り返っている点である。統一の取れた形ではないが、多層的・複眼的な視点から、この疾患と患者がたどった道筋が立体的に浮かび上がってくる。
    編者はハンセン病の歴史を明らかにするための「叩き台のひとつとして」企画されたといっているが、間口は広く、奥行きの深い、良書であると思う。

    構成は、「総論」、「差別の歴史」、「ハンセン病と現代社会」の三部構成であり、各部に数編の論考・エッセイを収める。
    執筆者は、社会学者、歴史学者(中世史、近現代史)、医師、法学者、ジャーナリスト、映画評論家、患者の家族等である。
    いずれも読ませるが、いくつかを挙げると、医師の目から見た中世以降のハンセン病略史(「隔離の中の医療」徳永進)、中世の被差別民組織の解説(「中世の非人と『癩』差別」丹生谷哲一)、隔離政策に至るまでの近代日本の動き(「ハンセン病と近現代日本」藤野豊)、実際にハンセン病療養所に勤務し、らい予防法廃止に尽力した医師の証言(「菊池恵楓園からの訴え」由布雅夫)、ハンセン病を取り上げたとされる映画に関する論考(「映画『砂の器』が問いかけてくるもの」白井佳夫)、そして療養所内で亡くなった患者に向けた、慟哭のような息子の手紙(「父への手紙」林力)は、あるいは示唆に富み、あるいは心揺さぶる一文となっている。

    ハンセン病差別は少なくとも中世に遡ることが可能である。中世の語り物である『説経節』にも癩者が登場する。外見を著しく損なう病態から、天刑病と呼ばれたり、仏罰の結果であるとされたりした。
    ハンセン病は感染症であるが伝染性は弱い。一方で、発症は「体質」「栄養状態」などに依存するため、こうした特徴を共有する家族内で複数発症することがある。主因は細菌だが、感受性・脆弱性は遺伝によるところが大きいと言えようか。このため、遺伝性と誤解されてきた背景がある。
    癩の家系と見なされて差別の対象となり、非人集団に属したり、あるいは「放浪癩」として物乞いなどで糊口を凌ぐものもあった。
    国の対策としては、どちらかといえば長らく放置状態だったのだが、近代になって様相が変わる。
    明治期、国際会議で感染症であることが確認され、さらに条約締結により、欧米人の日本国内での移動・居住が自由となる。その頃には、らい病は欧米ではあまり見られない疾患となっており、途上国の象徴のように考えられてきた。放浪癩者が欧米人の目に触れることを文明国としての「国辱」ととらえた政府は、慌てて取り締まりに躍起になった。ここで現れるのが、一時は「救らいの父」とも呼ばれた光田健輔である。光田は隔離を強く主張する。毀誉褒貶の激しい人物だが、癩患者のために尽力したことは間違いなく、但し、いかに善意から生じていたとしても、「隔離」を強力に(いささか強引に)押し進めたことにはやはり問題があっただろう。そうして1907年、「癩予防ニ関スル件」とする法律が成立する。光田は全生病院院長となり、以後、長く癩医療界の大きな存在であり続ける。
    やがて、戦争を控え、優生思想に基づく「民族浄化」が叫ばれ始める。1931年、絶対隔離を定める「癩予防法」が成立する。
    そして敗戦を挟み、特効薬プロミンが普及してもなお、隔離政策は続いていた。1953年、隔離を廃止するどころか、隔離強化の方向で「らい予防法」改定。光田はこの成立にも尽力していた。隔離だけではなく、「優生保護法」(1948年)を根拠とする断種(避妊)術も長く続けられていった。
    らい予防法が廃止されたのは、実に1996年のことだった。

    光田らのような隔離主張者の存在は大きかったかもしれないが、もちろん、それだけではないだろう。
    「世間」に漂う、「癩は怖い」というあいまいな漠然とした嫌悪感・恐怖感がこうした差別の背景にあったことは想像に難くない。そこには中世以前から続く、癩患者を忌避する土壌があった。
    隔離し、断種するといった措置には、「感染症であったなら」という処置と「遺伝病であったなら」という処置が混在している。論理的でも合理的でもない、「いや、やっぱりそうはいうけど癩は怖いからね」という暗黙の目配せのようなもの、決して表には出ず、したがって論破もできない「空気」が、大きな差別を支えてきたように思う。

    ハンセン病の理不尽な歴史を思うと深いため息が出る。
    そしてまた、ほかの差別にも通じるであろう構造が垣間見えるようで慄然ともするのだ。

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