- Amazon.co.jp ・本 (460ページ)
- / ISBN・EAN: 9784000244206
作品紹介・あらすじ
一九四五年八月、焦土と化した日本に上陸した占領軍兵士がそこに見出したのは、驚くべきことに、敗者の卑屈や憎悪ではなく、平和な世界と改革への希望に満ちた民衆の姿であった…新たに増補された多数の図版と本文があいまって、占領下の複雑な可能性に満ちた空間をヴィジュアルに蘇らせる新版。
感想・レビュー・書評
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副題が「第二次大戦後の日本人」。
第二次大戦の敗戦後、アメリカを主体とする連合国の占領軍が日本に上陸した。1945年8月の終戦からさほどの日数は経っていない。本書は、占領下の日本および日本人のふるまいの記録である。
筆者のジョン・ダワーは本書発行当時、MITの教授。歴史学者と思うが、学者の著書らしく事実関係を丹念に整理し記録している。1945年からの数年間のことが主題ではあるが、発行は2001年と比較的新しい(それでも20年が経過しているが)。
本書の説明にも書かれているし、本文中の筆者の筆の運び方もそうだが、この時期の日本・日本人について、筆者は、「勝者による上からの革命に、敗北を抱きしめながら民衆が力強く呼応した奇蹟的な敗北の物語」としてとらえている。
同時代に生きていたわけではないので、時代の感覚までは分からないのであるが、本書を読む限り、日本人一般は終戦からマッカーサー占領軍の占領を、ある程度抵抗感なく、受け入れていたように思える。それは表面上はともかく、戦争および戦争を戦うための日本軍の生活全般におけるしめつけや経済的窮乏、さらには、度重なる市街地の爆撃による設備的・人的な被害に対して、当時の日本人は実際には飽き飽きしていたのではないかと思うからである。
そういった気分の中での米軍による占領を、様々な側面から描写・記録しており、とても興味深い。下巻を引き続き読む予定。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
まだ下巻は読み終わっていないのだけれど、素晴らしい本です。★5つじゃ足りないかも。
多くの未知の歴史的事実にすっかり心奪われている。
ノンフィクションならではの驚きと、知性と理性の塊のような著者のフィルターによる新しい視点とをむさぼるように堪能し、何度も行きつ戻りつしているので、いまだ下巻の途中。いったいいつから読んでいるんだという感じですが・・・
上巻は、「増補版の序文」から始まり、「日本の読者へ」と続き、謝辞と目次を挟んで、さらに本来の「序」があるという構成で、本文が始まるまでに前書きのようなものがいくつもあって、ちょっと驚くのだけど、実のところ、この一連の序文が特に素晴らしかった。
著者は、この前書きのパートで、いくつかこの本の命題ともいうべき疑問を投げかけている。
『あれだけの悲惨と混乱の最中にありながら、なぜ、日本は無秩序と無縁であったのか? あれだけの激しい戦闘のあとに、なぜ、占領者に対する暴力がまったく発生しなかったのか? どのような事情によって、日本人はあの苦難を乗り越え、多様な創造性を発揮して「やり直す」ことができたのか? 戦後日本では、いったいどんな心理的、制度的、法的な変革、それも重要かつ永続的な変革が起こったのか?』
これらは、私にとっては、もちろんおなじみの疑問でもある。これを、「だから日本人は素晴らしい国民、世界でも類を見ない勤勉な国民」などという文脈で続ける人が多くて、その偏狭で視野が狭いナショナリズムにイラっとさせられることも多々ある。
でも、著者はこうした質問に、さらにこう続ける。
『戦後初期の「アメリカ」は、イラク占領に苦しみながら、グローバルな「自由市場」の帝国を築こうとしている今のアメリカと、どこがどう違っているのか?』
私はこの部分でかなりびっくりした。
今のイラクの状況と、戦後の日本を結び付けて考えたことなどなかったから。
日本はイラクとは、国民性も気候も文化も歴史も全然違うし時代も違うから、と言えばそうなのかもしれないけれども、考えてみれば、共通点はある。(今までまったくそんな風に考えたことがなかったので、私はここで初めて共通点に思い至る)
当時の日本は "神"(=天皇)の名の下にジハードを戦い、投降するよりは死を選び、自爆攻撃も行った。
敗北後は、対戦相手アメリカの「軍」に支配されていた。
もちろん両国とも白人の国ではない。
『今日のイラクの状況は、戦後の日本を理解するうえで新しい光を投げかけてもいる。イラク占領は、日本占領と根本的に違っている』と著者は書いている。
さらに、『われわれの歴史への問いは、われわれが置かれた状況に応じて変化する』と。
そして、本文に入るわけである。
ということで、本文を読みながら、私の思考はしばしば今現在の政治や社会状況と当時を行ったりきたりした。
今の私たちは、歴史へ何を問いかければいいんだろう?などと考えながら。
こういう思考の旅はとても楽しいです。
当時について、知らない事実ばかりだったと言ってもよい。
物不足だったことはもちろん聞いているけれども、ここまで長期にわたって深刻な飢えがあったとは全く理解していなかったし、その一方で、立場を利用して富を蓄えた人が多くいたことも衝撃だった。パンパンが果たした役割も影響も、この本を読むまではよく分かっていなかった。
マッカーサーに宛てて、一般の人々から手紙が押し寄せたというのもかなり驚かされた。
そして、一番衝撃だったのは、やっぱり天皇陛下にまつわる部分・・・
天皇陛下が、国民の命ごいのために、単身GHQへ乗り込んでいって、すべての責任を取ろうとしたとかいう神話を、まさに私も教え込まれておりました。
これまで、海外の方から、何度か雑談などで天皇制についてどう思うか聞かれたことがあるが、この本を読むと、海外の方々の質問の意味がなんとなく理解できた、、、、ような気がする。
(「地味で勤勉ないい人たちよ~」などと答えていた私のまぬけっぷり・・・彼らが聞きたかったのはそういうことではなかったはずだ。笑)
天皇制については、今も別に否定的ではありませんが、戦中戦後を通して天皇が果たした役割については、つくづくと考えさせられた。
裕仁は少なくとも辞任すべきだったのではないか、というのが著者の見解でしょうが、冷静に振り返ってみれば、確かにそうだろうなと思う。歴史に if はないし、マッカーサーがやっぱり正しいのかもしれませんが。
このあたりは、BS-TBSの「関口宏のもう一度!近現代史」を見ながら、引き続き考えたいと思う。(いい番組です~! 毎週楽しみに見てます)
ちなみに、天皇とマッカーサーに関する記述のクライマックスは上巻ではなく下巻にある。
上巻よりも下巻の方が、GHQと日本の政治家たちとの裏事情をよりえぐり出していて、よりエキサイティングです。(上巻は主に、敗戦時の日本全体の事情と、一般市民たちのリアクションが記されている)
戦争に行ったうちのおじいちゃんは、昭和天皇が亡くなった時、目をうるうるさせてTVの前に座り、何時間も特集番組を見続けていたなぁ。(和室だったからかもしれないが、ずっと正座していた)
保守政党の人々が、占領軍からのラジカルな指令の数々に度肝を抜かれている様子を読むとき、脳裏に祖父のあのしょんぼりした後ろ姿がチラ付きます・・・私にとって、あの姿は戦前および敗戦直後の古き日本の象徴みたいなものなので。
私がネットに、こんなこと(責任をとるべきだったかもとか)を書き散らしていると知ったら卒倒したかも。昭和天皇とそれほど変わらない時期に亡くなりましたが。
ということで、続きを読みます。-
こちらのコメント自体がとてもおもしろく、エッセイを読むかのような気分で読ませていただきました。
おじいさまのエピソードも素敵ですね。
私も"...こちらのコメント自体がとてもおもしろく、エッセイを読むかのような気分で読ませていただきました。
おじいさまのエピソードも素敵ですね。
私も"思考の旅"をするべく、本書を読んでみようと思います。2021/12/01 -
えー こんな素敵なコメントを頂けるとは。なんという幸せ者。
おもしろいと思った本について、一方的にぺらぺらとしゃべった後に、「おもしろ...えー こんな素敵なコメントを頂けるとは。なんという幸せ者。
おもしろいと思った本について、一方的にぺらぺらとしゃべった後に、「おもしろそう! 読んでみたい」と言われる時ほど、本好きを喜ばせる瞬間ってないと思う。
この本がピュリッツァー賞っていうのが今も驚きです。
もちろん賞にふさわしい本だと思うけど、日本人以外が読んでもおもしろいんだなぁ、と不思議です。著者ご自身も驚かれたそうですが。2021/12/02
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日本人を「江戸時代のゼロ成長と家長中心の家=村社会の変化を嫌う伝統」文化社会と見ると、敗戦による変化は支配者を換えただけの愚民の聚合である。中央集権の帝政官僚の忠誠心が民に初等からの学校教育により愛国心を天皇を中心とした信仰(大日本賛美)に裏打ちされ、軍の暴走・大陸侵略に「新たな領土ができた」と有頂天になり、ついにはアメリカ様に挑戦するまで不遜になったと見れば「反省」「新日本」で蒔き直しようという「焼け跡民主主義」を理想化「そこには理念があった」著者は占領軍の贅沢三昧、45万人で電力消費の1/3も指摘する
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【本書のまとめ】
1 戦後の民主主義革命
敗戦した日本に対するアメリカの一連の改革は、「上からの民主主義革命」であった。アメリカの占領軍は解放軍という好意的な言葉で呼ばれていたが、これは戦後の日本の軍人官僚の大部分が保身に走ったり、目下で進行する貧困と無秩序に何の関心も払わなかったりしたことが遠因になっている。この「贈り物」は日本人自らの力で得たものでは無かった。
日本占領下における米国の目標は、比較的おだやかな軍事化と政治改革のための占領であったが、次第に民主主義へと誘導するような史上例のない実験的占領へと変質した。戦争の勝者がこのような大胆な企て――敗戦国の政治、社会、文化、経済を編みなおし、しかもその過程で一般大衆の考え方そのものを変革する――をすることは、法的にも歴史的にも前例がなかった。
何故こうしたラディカルな改革が成功したのか?それは、米国が多少救世主のような情熱を持っていたからだと考えられる。この東洋の敵は、ドイツと違って封建的で西洋化されていない未発達の国である。この敵を啓蒙することには、健全で新しい行動規範を創造しようとする強い情熱が備わることになる。ここに国際法上先例のない行為が正当化される土壌が生まれ、その行為によって得られる「宣教師的感覚」がアメリカを動かしていた。
このアメリカの野心は、憲法の自由主義化、婦人参政権、労働組合運動促進、教育の自由化、財閥解体など、種々の改革によって、日本国民にも知れ渡ることになった。
これらは「上からの革命」である。歴史上類を見ない、軍事政権主導のトップダウン式革命は、日本人の希望に火をつけ、日本人の想像力を刺激した。かつてなかったほどの個人の自由と民主的表現が花開き、古い日本社会の権威主義的な構造が瓦解した。
2 降伏直後の日本人の精神状態
降伏直後の日本人には疲労と絶望が広がり、「虚脱」が見られた。
負け戦を何年も戦い続けた弊害として日本の食糧生産は壊滅しており、人々は日々の食糧にありつくだけでも大変であった。闇市は拡大し続ける一方失業は深刻で、インフレの進行と飢餓の蔓延が起こったにもかかわらず、日本政府は何もしなかった。この時期の窮乏と虚脱は1949年ごろまで続くことになる。
虚脱の原因は、敗戦の衝撃(崇高な目的意識の喪失)だけではない。それは戦争による疲労と民衆の戦意低下が、戦後の指導層の無能とあからさまな腐敗によって増幅されたためであった。戦後の混乱期に乗じて私腹を肥やす指導層が後を絶たず、軍人や官僚による軍需物資の横領が相次ぎ、それを闇市に流して莫大な利益を得ていた。
未曽有の混乱のなかで、日本に独特の人種的・文化的な「和」だとか「美徳」だとか「家族的団結」といった立派な志は、すべて中身のない噓っぱちであったことがあきらかになった。
3 敗北の文化
①パンパン
アメリカが偉大な理由は、それがとてつもない金持ちだったからであり、多くの日本人にとって「民主主義」が魅力的だったのは、それが豊かになる方法のように見えたからだ。
こうした米兵を相手にする「パンパン(米兵向け売春婦)」が数多く生まれる。もともとは米兵が日本人女性を強姦することを防止する目的であり、日本政府の非公式な後ろ盾を受け斡旋された人々がパンパンの職についた。何せよ米兵にすり寄れば金が貰えるため、パンパンたちは少々特異な意味で、戦後日本の物質第一主義と消費至上主義の先駆者であったと言える。
大挙してやってきたアメリカ人の頭の中では、こうした現状を受け、日本自体が女性的だという考えが生まれた。敵である日本人は、撲滅対象の獣のような人間から、手に取って楽しむ従順な異国の人間へと、驚くほど突然に変貌したのだ。国家同士の関係が男女の関係に変換されて表現されていた。
②闇市
闇市ではヤクザによる縄張りが形成されていた。闇市には買えないものがない。ヤクザは周辺一帯の店からショバ代をしょっ引いて儲けを得るのと同時に、ごみ処理や建設業など治安を維持するのに役立った。
③カストリ文化
カストリとは安くて質の悪い、混ぜ物を入れた酒のことである。転じて、低俗でいかがわしい趣向を前面に打ち出した文化を「カストリ文化」といい、1950年代になっても時代の一角に栄えていた。
肉欲・退廃が蔓延する低俗な世界であったが、この世界の住人は、パンパンや闇商人と同じように、古い権威や根拠のない独断からの解放を人々に強く印象付けるような熱気と活力を持っていた。
カストリ文化を代表するのはなまめかしい性的対象としての女性である。セミヌード線画の雑誌、ストリップショーなど、放蕩とエロチシズムはさまざまなレベルに現れていた。
4 言論
敗戦から数週間で、出版、放送、映画といった分野で、敗戦の暗さを吹き飛ばすような明るさが見え始めた。戦後の日本の中心的な発想のひとつは、ほかならぬ「刷新」であったからだ。なじみのある言葉や以前からの発想を、これまでとは違うふうに利用することで、戦争言論から平和言論への移行がスムースに行われた。
5 革命
日本人にとって「上からの革命」はけっして珍しい経験ではない。19世紀半ばからずっと、支配層は民衆に対して産業化・近代化・西洋化を進め、新たな国家の新たな臣民になれと解き続けてきた。アメリカの改革者たちによる日本占領が成功した理由の一つがこれである。
端的に言えば、日本人は権威主義的だったのだ。そのため、「最高司令官ダグラス・マッカーサーは偉大であり、それゆえ、民主主義も偉大なのだ」というのが大多数の日本人の反応であった。
征服者の軍隊は一人ひとりが法外な権威を持っていた。空襲で焼け残った東京の地に建てられた「リトル・アメリカ」には、外の世界の荒廃ぶりとは対照的に、アメ車が行き交い、米国軍人向けの商品を潤沢に扱う店が軒を連ねていた。
勝者は出版を検閲し、メディアを掌握し、特権階級を作り上げた。言うならば、かつての西欧列強が世界に覇権を拡大していく際に伴っていた、人種差別的な教化の焼き増しが繰り返されたのだ。
占領政策は、すでに存在している日本の政府組織をつうじて「間接的」に行われた。占領軍は日本を直接統治するだけの言語能力と専門能力に欠けていたからだ。
日本の軍事組織は消滅したが、官僚制は手つかずのままであり、天皇も退位しなかった。アメリカの植民地総督は、自分達が出した指令を遂行するのに、現地のエリート官僚層に頼り切っていたのだ。その結果、SCAP(連合国軍最高司令官)の庇護を受けた日本の官僚は、戦争に向けて国家総動員を進めていた絶頂期よりも、実際にははるかに大きな権限と影響力を獲得したのである。
対して日本人は、はるかにすばやく民主主義を受け入れた。あらゆる階層の日本人が、それまで天皇にしか抱かなかった熱狂をもって、最高司令官を受け容れ、敬意と服従をGHQに向けるようになったのだ。
知識人の間では、社会の広範な分野で活動する人々が、さまざまな形でマルクス主義を受容していた。多くは、公式的なマルクス主義を乗り越えて、あらゆる真の民主主義革命の基礎を成すと信じられていた「近代的自己」や「近代的自我」、あるいは「近代人の確立」をめぐる根本的な問題を提起していた。
一般人の間では、草の根から民主化運動が起こり始める。女性参政権の付与、学生運動の機運の高まりなど、政治的な意見の交換があちらこちらで行われるようになり、ラジオ等のメディアは、草の根の人々が「民主主義を受け容れるとはどういうことなのか」を考えるのに役立つ事件や活動を根気強く報道した。
労働法、教育改革、女性参政権など、これらの諸改革には、たとえGHQが日本政府に一方的に命令できる優越的立場にあったことを考慮しても、日本人自身の積極的な関与があった。日本人は因習を打破し改革を積極的に受け容れる姿勢が出来ており、それゆえ徹底した仕事を成し遂げたのであった。占領軍の要求が、日本の抑圧的なシステムに風穴を開け、人々に自由に意見を表明させる礎になったのだ。
6 労働者革命
アメリカは日本の政治的自由化と社会改革を推進したが、「経済再建」という点では、積極的な役割を果たそうとしなかった。これが急進的な政治活動を盛り上げる環境を作り上げることになる。
当時、インフレの影響はかなり深刻で、ホワイト・カラー層とブルー・カラー層の賃金格差が縮小し、ホワイト・カラー層の労働組合加入が目立つようになる。労働組合の組織化が急速に進んだのは、かつて総力戦への動員のために労働者がさまざまな会社や産業レベルで組織されていたという事情があったからだ。個々の企業の従業員が自主的に、事務所や工場、鉱山を占拠し、生産管理闘争を行っていた。
1946年当時は、赤旗の意味は革命や共産主義というよりも、経済的受難による労働運動を連想させるものであった。1946年5月19日には、配給制度の不備に抗議する主婦たちが皇居をめざして行進する「食料メーデー」が起こった。と言っても、食糧危機を克服し政治家や官僚の堕落を正すよう、また民主革命を指導してくれるよう、「天皇にお願いする」という内容の運動であり、このうえない思想の混乱と茶番劇であったのだが。
その後、アメリカからの食糧輸送によって、5月中旬に予想された深刻な食糧危機は回避されたものの、激しいインフレは収まらず、1947年2月1日、共産党と左翼勢力によって二・一ゼネストが計画された。しかし、前日にマッカーサーが介入し、ストを中止に追い込んだ。
労働組合と左翼は日本の民主化に実に多大な考えを、つまり政治的思考や急進的な試みも居場所が与えられ得るということを、身をもって証明したのであった。
【感想】
これは面白い!
「戦後」という日本社会の一大転換期において、当時の庶民社会ではどのような現象が起こり、人々は敗戦をどのように受け止めたのか?平和の侵略者たる日本が秩序を回復し、民主主義思想を簡単に受け容れる従順な民となるには、いかなるプロセスを辿ったのか?GHQの占領政策、日本政府の対応、経済状況、市井で勃興したサブカルチャーなど、多角的な角度から戦後の検証を試みる本である。
とある出来事が起こった時――とりわけその事象の社会的インパクトが大きければ大きいほど――、そこに暮らしていた人々の感情の変化は見逃されがちである。社会に起こった衝撃を後世の人々が検証するときは、線よりも点で、ミクロよりもマクロな視点で物事を俯瞰的に捉えてしまう。
しかしながら、戦争と平和は決して断絶された個々の事象ではなく、連綿と続く価値観の変容である。この価値観の移り代わりを捉えるのには、やはり「当時そこに暮らしていた人々の息づかいを観察する」ことが、最も適していると言えるのではないだろうか。この本が素晴らしいのは、その変化を機敏に捉え、「困窮の中の混乱」として見過ごされがちな数々の事象を、「戦後という時代性が引き起こしたファクト」として位置づけたことにある。
まだ上巻しか読んでいないが、専門的な内容にも関わらず大変分かりやすく、また挿絵も相まって当時の空気をはっきりとイメージすることができた。
ピュリッツァー賞受賞も納得の出来栄えである。直ちに下巻も読み進めたい。 -
そうか、戦後は米軍による検閲があったために空白部分がなかなか埋まらなかったんだ。
自民党と米の関係があくまで強固な理由が分かってきた。 -
著者のスタンスはやや左寄りかと思ったが、左にありがちな独善的な説教臭がなく、戦後「何が起きたか」を淡々と丁寧に綴ってある。
吉田茂ら日本の指導層が抱いていた「日本人に民主主義が根付くはずがない」という信念は、必然的に統制された社会(「臣民」の権利は君主の恩寵であり、許容できる範囲内での異議申し立ても可能)を志向する。(そして日本人もそれをよしとする)
軍備、経済、インフラ、資源を徹底的に破壊された敗戦は、それまで日本人の属性であると「信じ込まされ、宣伝されてきた」全体奉仕的な心性をあっけなく剥ぎ取り、拠り所を失くすと同時に重しから解放された、破壊された人生を嘆き、生きるためにエゴイズムを剥き出し、新しい支配者に諂い、それでも自らの力で立ち上がろうとする「市民」を作り出した。
日本について何の予備知識も持たなかったマッカーサーは、白紙状態に置かれた7千万の市民に民主主義を与える使命を帯びた植民地総督として君臨し、一国家の基本理念を個人の思い付きレベルで決めるという壮大な歴史的実験を開始した。
現実を見ず理念だけを追いかけるリベラルらしく、旧体制の経済的基盤だった財閥を解体したが代わりを用意しなかった経済政策は深刻なインフレと食糧不足を生み、理念よりも生存を優先せざるを得ない市民は、生存権のために「民主主義的」要求を掲げて立ち上がる。(この状況で暴徒化しなかったのは日本人の美点と言ってもよいのかもしれない)
しかし、困窮する市民を組織化し、暴力に変えるのは共産党のお家芸であり、残念なことにそこにはコミンテルンからの「命令」が介在していた。日本人が真に日本人の意思で革命を志向していたのであれば、想像を絶する犠牲の上に「民主主義」国家が成立したのかもしれないが、現実は米国の実験に過ぎず、実験である以上、7千万の国民を有するソ連主導の民主主義擬き国家の成立など、可能性レベルでも許容されるはずがない。GHQのゼネスト中止「命令」は、日本が独立した国家ではなく、占領中の植民地にすぎないという現実を革命気分の夢想家に容赦なく突き付けた。
結果は、相変わらず米国の傀儡だが戦前と変わらない支配力を維持した財務省、そこかしこの労働組合に潜伏した活動家、確かに芽吹いた民主主義の信奉者、そして、自ら考えリスクを負って自主的に行動するほど民主主義でもなく、かといって個人を無にして信仰や国家に忠誠を誓うほど全体主義でもない、利己的でシニカルで無気力で熱狂的で優しい「普通の日本人」が残された。 -
終戦直後の日本の世相を論じた本。戦争が日本から何を奪い、何をもたらしたかをこの本から考察できる。外国人が書いているため変にバイアスがかかっておらず、読む側も第三者的視点で冷静に考えることができ読みやすい。
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戦後直後の日本の世相・風俗・思想を詳しく論述した書。外国人の視点であるため、白人の優生思想が若干見え隠れするものの、客観的であることが良い。日本人の著書だとやたら愛国的であったり戦争アレルギーが出てたりと思想が強いものが多いので。
若干難しめの論述をしているのにもかかわらず、訳文が非常に優れてて読みやすい。