バウドリーノ(上)

  • 岩波書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (360ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784000244275

作品紹介・あらすじ

『薔薇の名前』で世界の読者を魅了したウンベルト・エーコが、ふたたび中世を舞台に放つ物語。神聖ローマ皇帝フリードリヒ・バルバロッサに気に入られて養子となった農民の子バウドリーノが語りだす数奇な生涯とは…。言語の才に恵まれ、語る嘘がことごとく真実となってしまうバウドリーノの、西洋と東洋をまたにかけた冒険が始まる。

感想・レビュー・書評

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  • ウンベルト・エーコの代表作『薔薇の名前』は、1300年代の北イタリアにある僧院で起こった猟奇的事件を7日間にわたり描いた作品。閉じられた時空間に展開される百科全書的な知的ミステリーの傑作。
    一方、本作はガラリと反転して、半世紀にわたる冒険譚、神聖ローマ帝国からビザンティン帝国、さらには未知の東洋へと広がりをみせる。前者に比べると格段に読みやすく、ストーリーテリングも軽妙で明るい。だがその詩情は、静謐な哀愁をなみなみと湛えていて、とても幻想的で美しい。

    ***
    1155年、北イタリアに遠征した神聖ローマ帝国皇帝フリードリヒ・バルバロッサ (1122年~1190)は、寒村の農民の子パウドリーノを養子にする。異邦人の話しを耳にするだけで言葉を覚えてしまう稀有な才能をもつパウドリーノは、快活で賢く破天荒、そのよくまわる舌で大人もだます、小さなオデュセウスのよう。
    1204年、第4回十字軍によるビザンツ帝国の都市コンスタンティノープルの略奪を目のあたりにしたパウドリーノは、高官のニケタス・コニアテス(1150年~1213)をすんでのところで救い出す。しだいにパウドリーノの饒舌な冒険譚と生きざまに惹かれていくニケタス……。

    れいによって虚構と史実を華麗に綯い交ぜる手法に脱帽、だつぼう! 神聖ローマ帝国の構築に粉骨砕身のフリードリヒ、やんちゃ坊主のパウドリーノ、そして彼の実父の野卑なガリアウド。重複した父子関係は愉快で温かく、作品全体に漂泊する心地よい通奏低音のようだ。思えば『薔薇の名前』の修道士ウィリアムとその弟子アドソもそうだった、エーコは大きな意味の父子関係を描くのが好きなのかもしれない。

    キリストの聖杯伝説を絡めながら、後半になると「司祭ヨハネの手紙」をツールとした東洋への冒険譚が楽しい。一本足や無頭人、半人半獣といった半神話的な世界が登場する。当時の東洋は強い憧れと、未知ゆえの畏れも大きかったことだろう。ほどなくすればマルコ・ポーロの『東方見聞録』も史実に登場することを思うと、高校時代に夢中になった本がひょんなところで繋がるのだから、懐かしくてわくわくして読書はやめられない。

    東に向かう旅の途中、パウドリーノと仲間たちは小さな国に逗留する。彼らが怪物と称した生きものたちは、奇異でもなんでもなく、その地で共存していることを目のあたりにすると、広々としたパノラマが広がっていくような開放感、それとともにしくしくと胸に迫る痛恨の極み。

    たしかにこの世界は人間だけが生きているわけではない。でも人類は我が物顔でこの星を痛めつけ、搾取してきたことに目をつぶる。どれだけ叩いても奪っても、従順で不死身なのだと思っているのかもしれない。いまや深刻な温暖化を招いて氷床や凍土はとけだし、土地は水没、豪雨水害、殺人的熱波、砂漠化、とまらない森林火災ににっちもさっちもいかない。加えて大気汚染、手に負えない核の廃棄物、プラゴミ……もはや人類はこの星の貪欲な寄生虫やウィルスと変わらないのではないかと思えてくる。宿主は重篤な病を患っているのに、その終焉を迎えるまで、むさぼることに余念のないバグ、わたしもそのひとりなのだ……。

    よわい五十をはるかに超えたパウドリーノの語りは、はかない人間の営みやその愛らしさ、醜さや愚行もすべてやさしく抱きしめるよう。そのしらべはどこか子守歌のように穏やかで、涙が落ちそうな哀しみをやどしている。ニケタスは、彼の話の真偽に不安を感じながら、抗いがたい魅力にひきこまれていく。たとえそれが壮大な虚構だったとしても、その物語には密かな真実が、とわの真実として存在しているかもしれない。
    とても幻想的で美しい作品だ。

    ***
    本を読んでいると、懐かしい想いがよみがえってくることがある……宇宙空間を漂流しているこの星は、あらゆる生きものを乗せた、なんと奇跡のような箱舟だ! と少女はわくわくしながら星空をあおぎ、胸を膨らませたものだった。でもやがて、小枝をくわえた鳩が飛んでくることは決してないことを知る。もはやこの星で戦争や強奪戦などやっている暇はすこしもないのに……齢ふる少女はふと宮沢賢治の言葉を想いだす。
    「世界がぜんたい幸福にならないうちは、個人の幸福はあり得ない」

  • これ、面白すぎる!!これから下に突入~
    私みたいな一般的な知識しかなくても十分楽しめました!
    農民の子だったバウドリーノが神聖ローマ皇帝のフリードリヒ赤髭王に気に入られて養子になり、個性豊かな仲間と出会い、東のどこかにあるという「司祭ヨハネの王国」を探しに行くことに…という話。
    バウドリーノがコンスタンティノープルで助けた高官ニケタスに物語るという形式で書かれているので、途中で時々語っている時代に戻るのだけれど、その息継ぎが読んでいて心地いい。ニケタスも略奪されたコンスタンティノープルから脱出する途中で切羽詰っているはずなのに、最後かもしれないとか言いながら料理人にすごいご馳走とか作らせてたりするのが、らしいというか(笑)いっそリアルな感じがして面白かった。歴史上の人物も、フィクションの人物も生き生きしてて、ニケタスの隣でバウドリーノの話をもっと聴きたい!と感じながら読んでいた。
    読みやすくて方言とかも楽しい訳をしてくれた訳者の堤さんにも感謝!

    • 猫丸(nyancomaru)さん
      もう暫くしたら「ウンベルト・エーコ 小説の森散策」が出るので、読むのが愉しみ!
      もう暫くしたら「ウンベルト・エーコ 小説の森散策」が出るので、読むのが愉しみ!
      2013/02/07
  • エーコは自分にとってかなり特別な作家であると、思う(あやふやな言い方ですいません)。面白さを問うことはエーコの著作を読むことの自分にとっての第一義ではない。複雑さ、隠喩、そして文脈と切り離された言明。そんなものを常に期待しているのだと思う。例えば本書の最後に

    『あなたがこの世で唯一の歴史家だと思わない方がよい。遅かれ早かれ、バウドリーノ以上に嘘つきの誰かが、それを語ることになるでしょうから』-『バウドリーノはもういない』

    という文章がある。嘘と真が輻輳する物語を語るバウドリーノという主人公。その主人公以上の嘘つきが出てきてこの物語を語る筈だというのである。エーコはバウドリーノと同じイタリア北部のアレクサンドリーナ出身。その同郷の後世の嘘つきがエーコ自身という構図が小説の文脈からははみ出たところで示唆される。そういう読み方が強制されている訳ではないけれど、そう読むこともできる(というか読みたくなる)。そんな文章が溢れていることがエーコの著作の最大の特徴なのだろうと思う。だから読み手は心して掛からねばならない。たかだか読書といえども真剣勝負の意気込みにならざるを得ない。けれど、相手は碩学の人エーコである。しかも舞台は中世ヨーロッパという完全に相手の土俵である。最初から勝負になる筈はないのである。

    何もそんなに真剣になる必要もなかろう、という人もいるだろう。もちろん、この「バウドリーノ(上・下)」に関して言えばそんなことを気にせずに楽しんで読んでしまうこともできる。もっとも薔薇の名前にしたところで、推理小説を読むように読んでしまうことだってできるとは思う。もちろんそんな風に読んでしまうことはもったいないことだと思うけれど。それでも敢えて「バウドリーノ」を物凄く矮小化して要約するなら、これは中世版「フォレスト・ガンプ」+「ラ・マンチャの男」(ドン・キホーテ、ではなくて)。
    ところがそんな風に要約した途端にエーコの持ち味は失われてゆく。物語の骨子にエーコらしさがある訳ではなく、往々にしてエーコのドラマツルギーは王道的。時に何か別の物語を下敷きにしているともみえる。そこに載せられていくエピソード、引用、史実、空想などのごちゃまぜが、エーコの話を読むものの脳をぐちゃぐちゃとかき回し、興奮を生み出す。そしてあちらこちらにまぶされた謎かけ。時に引用される文章が敢えて古典語のままになっていたりする。それを目にする作中の人物が「意味は解らぬがこう書かれていた」というようなこと言うので放って読み飛ばしてしまうと、いつまでも説明されることがない。ところが、その意味が解っていると別の読みが立ち上がるということもある(そこへ自力で辿り着くには自分は少々古典の基礎が足りないけれど)。

    薔薇の名前が多くの注釈書や研究本を生んだように、この物語の中には数々の伝説的逸話とそれに対するエーコの解釈のようなものが含まれており、個別に取り出してそれが何を指しているのかを探ってみる人々が出てくるのだろう。自分の不勉強を思い切り棚に上げておいて告白するが、そういう注釈書が出ないかなと思う。

    もちろん、そういう一通りの読み方を待っているエピソードもたくさんある一方で、エーコは何と言って「開かれたテキスト」の著述家だ。中世の物語を借りた幾つものシニカルなメッセージも隠れている(筈!)。時を経て読み返す時に、きっとまた違った物語が立ちあがるのだろう、という予感がする。

  • 権力というものは、多くの人が信じたがる美しい嘘によって支えられている。

    中世のイタリア半島は、こんなに小国(都市?)が乱立して、お互いに戦争を仕掛けあっていたの?古代ギリシャみたいだ。

    ゾシモフによる聖ヨハネの王国に至る地図についての戯言を聞いて以来、バウドリーノは聖ヨハネの王国の実在を半ば信じるようになってしまった。自分が聖ヨハネの手紙を捏造したことを考えれば、聖ヨハネの王国に至る地図なんて眉唾話に飛びつくなんて正気かと思ってしまうけれど、地球が球形か平面かということすらまだわかっていない時代だからな。

    ヨーロッパの中世といえば、魔女狩りくらいの印象しかなかったけど、魔女狩り以外にもいろいろしていたみたい。この話で語られるいろいろは、魔女狩りに劣らず血なまぐさい戦争の連続なわけだけど。

    バウドリーノが正義について語るシーンは、皇帝と出会ったばかりの少年時代と、この巻のラストのセリフくらいだけど、どちらも印象的だ。
    上巻の序盤では「皇帝が何が正義か何が悪かを決める」と語り、ラストでは「われわれが正義を目指してまっすぐ進む」と語っている。下巻でどう変化していくのかも注目したい。
    下巻になったら、フリードリヒが誰に殺されて、バウドリーノが誰を殺すかも明らかになるだろうし。

  • 2020/3/6購入
    2020/6/1読了

  • 聖杯伝説とユダヤ人消えた10部族の話を盛り込みながら、人間の創造力と想像力をシニカルな視点で描きつつ、果たしてそれを書いている自分も後世の大捏造者かもしれないとする作者。
    世界は同心円状に広がるメタフィクションかなのかも?と思わせる壮大なファンタジー。

  • ウンベルトエーコ 「 バウドリーノ 」中世ローマの歴史パロディー。バウドリーノが 司祭ヨハネの国をめざす冒険譚。バウドリーノが言えば、それが真実になる

    「意味のない歴史はない〜出来事を考察し、それらをつなぎ合わせ、その結び目を発見する必要がある」

    「大物のそばにいれば大物になれる。大物は実は小人物。われわれが権力を握れる日が来る」

  • プレスター・ジョン伝説を背景に第4次十字軍で廃墟と化したコンスタンティノープルで、赤髭フリードリヒの容姿たる主人公が虚実定かならぬ半世紀を語る。

  • 最初のシーンは印象的。第四回十字軍によって略奪されるコンスタンティノープルで主人公バウドリーノが歴史家ニケタスを救出するところから始まる。
    そこからバウドリーノが神聖ローマ皇帝の養子となった生涯を記録に留めるよう語り出す。
    淡々と話が進んで行く調子で、今まで読んだエーコの作品とは大分趣きが異なる作品。

  • 感想は下巻で

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著者プロフィール

1932年イタリア・アレッサンドリアに生れる。小説家・記号論者。
トリノ大学で中世美学を専攻、1956年に本書の基となる『聖トマスにおける美学問題』を刊行。1962年に発表した前衛芸術論『開かれた作品』で一躍欧米の注目を集める。1980年、中世の修道院を舞台にした小説第一作『薔薇の名前』により世界的大ベストセラー作家となる。以降も多数の小説や評論を発表。2016年2月没。

「2022年 『中世の美学』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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