バウドリーノ(下)

  • 岩波書店
4.09
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  • Amazon.co.jp ・本 (360ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784000244282

作品紹介・あらすじ

今こそ聖なる杯グラダーレを返還するために司祭ヨハネの王国への道を切り開くのだ!-皇帝ひきいる軍勢とともに、バウドリーノと仲間たちはいよいよ東方への旅に乗り出すが、待ち受けていたのは思いもかけない運命だった。史実と伝説とファンタジーを絶妙に織りまぜて、エーコが遊びごころたっぷりに描きだす破天荒なピカレスク・ロマン。

感想・レビュー・書評

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  • 『薔薇の名前』で一躍有名になったウンベルト・エーコの最新作。今回も題材を中世に求めているが、読後の印象はかなり異なる。山中の僧院を舞台とし、異端審問が影を落とす連続殺人事件の謎解きを描いた『薔薇の名前』が必然的に暗い印象を与えるのに対し、『バウドリーノ』は陰惨な場面も含まれているのにその色調は明るい。

    その原因の一つは主人公バウドリーノにある。北イタリアのアレッサンドリア(作者の故郷でもある)の牛飼いの子として生まれたバウドリーノは、生まれつき言葉を操る才能に恵まれていた。人の会話を聞くと知らない国の言葉でも直ちに理解できるのだ。ある日霧深い山中で道に迷った騎士を助けたことが彼の将来を決定することになる。その騎士こそが神聖ローマ帝国皇帝フリードリヒ・バルバロッサその人だった。バウドリーノの才気が気に入った皇帝は彼を自分の養子にし、叔父であるオットーの下で学問をさせる。

    バウドリーノは天性の夢想家で、自分の思いついたことを本当にあったこととして話す癖があった。つまり生来の大嘘つきである。ところが、「嘘からでた真」という言葉どおりに彼の嘘は次々と実現する。これは、そのバウドリーノが実際に経験したフリードリヒによるイタリア遠征と、その後の「司祭ヨハネ」の国への探検行を描いた物語である、とこう書いてすぐに気づく。嘘つきが実際に経験した物語というのはどこまでが本当の話なのか分からないということである。

    主人公が作者と同じ村の出身となっていることからも想像できるように、嘘つきのバウドリーノは作者ウンベルト・エーコ自身であり、読者は初めから与太話につきあうことを求められているのだ。何故なら誰かによって書かれた歴史があって、はじめてその事件を知るのであって、事実が歴史を残したわけではない。歴史なんてものはみんな多かれ少なかれ為政者に都合よく捏造された偽史でしかない。つまり語った(騙った)者勝ちということさ、というエーコの得意気な顔が浮かんでくる。

    碩学エーコのこと、語りは手が込んでいる。史実と伝説を按配よく配し、それに全くの嘘を織り交ぜた中世文献のタペストリー。その中には、有名な一角獣と処女の図柄が見事な美しさで中央に織り込まれている。その回りを取り囲むように伝説の一本足の生き物スキアポデスやら頭部を欠いた胴体と四肢だけの生き物やら澁澤龍彦によって早くに紹介されていてお馴染みのプリニウスやクテシアスから引用された中世ならではの奇っ怪な連中がぞろぞろ顔を並べている。

    中世好きで、ボルヘスの『幻想動物学提要』を愛読していた澁澤が生きていてこれを読んだら、さぞ喜んだことだろう。澁澤の『幻想博物誌』に紹介されている犬頭のキュノケファロスや矮人ピュグマイオイ、巨大な貝殻のような耳をぴんと立てたパノッティが物語の中で大活躍する。中でもスキアポデスは重要な役を担う。これらの畸形人間は、フランス中部ヴェズレーの教会正面扉口に彫り込まれているという。エーコはエミール・マールあたりから引っぱり出してきたのだろう。因みに『幻想博物誌』には司祭ヨハネのことも英語読みでプレスター・ジョンとしてちゃんと載っている。

    バウドリーノの話の聞き役はコムネノス朝とアンゲロス朝の多くの皇帝に使えた歴史家にしてビザンツ皇帝の書記官長を歴任したニケタス・コニアテス。時代は紀元1204年。コンスタンティノープルは、第4回十字軍によって蹂躙されている最中であった。火事と略奪で脱出もままならないニケタスは、バウドリーノに話をせがむ。所謂「枠物語」。ペストで足止めを食らった人々が物語る『デカメロン』や、古くは『千夜一夜物語』にまでさかのぼれる物語形式である。

    ネタもととなっているのは、フライジングのオットーが書いた『二国年代記』。その中に、東方にキリスト教異端のネストリウス派を信じる王にして司教ヨハネが治める国があり、十字軍の救援にエルサレムに向かったがティグリス川の洪水にあって断念したという伝聞を記す記述がある。ヨーロッパで「司祭ヨハネ」について初めて言及したのがこれである。その後、司祭ヨハネの国からビザンツ皇帝宛てに送られてきた親書やら、それに対するローマ教皇の返書など多くの偽書が各国語に翻訳され様々な国に飛び交った。エルサレムで苦戦中の十字軍を東方のキリスト教国が助けにくるという一種の宣伝活動だが、エーコはこれもバウドリーノの仕業とする。

    映画「インディ・ジョーンズ」シリーズにも登場する「聖杯」伝説も大事なネタの一つ。ここではグラダーレと呼ばれているが、バウドリーノの旅は、グラダーレを司祭ヨハネの国に返すという名目で行われる。質素な木造りの聖杯は、実はバウドリーノの父親がワインを飲むために作った物で真っ赤な偽物。しかし、それを本物と信じた探索の旅の仲間がフリードリヒ殺害計画を企てる。十字軍遠征中のフリードリヒが川で沐浴中に謎の死を遂げたという史実がミステリ仕立てとなって組み込まれている。さしもの密室殺人もニケタスの友人パフヌティウスによって見事な解決を得るが、それはバウドリードにとっては皮肉なものであった。

    異形の種族が奇想天外な戦いぶりを発揮する場面のグロテスクなユーモア。一角獣に象徴される騎士道的恋愛、つまり愛への忠実のために愛を諦める愛。策謀渦巻く宮廷人の権力闘争とその壮絶な最期、いずれも暗黒の中世という時代背景を逆手にとって、旺盛な筆力と厖大な知識を持つエーコならでは描けない想像を絶する世界をひたすら奔放に描ききったピカレスク・ロマンである。ヤワな小説など足下にも寄れない構想力を示す圧巻の物語と言っておこう。

  • 下巻は一気読みでした!もう愉快で楽しくて。
    中世エッセンスがてんこ盛り。
    キリスト教の世界観に科学や哲学、市場で売ってる怪しい薬に東方魔境の世界とかとか。個人的には「真空」についての議論と聖遺物についての諸々のエピソードが楽しめました。あの超有名な聖遺物が出てきたときは思わずニヤリとしましたよ!最後には密室殺人?の謎ときまで。ここでは、謎解きの冷酷さを見ました。私はミステリ好きだけど、解けない謎があってもいいのになあ…としみじみ思いました。
    あとがきにもありましたが、ほんとにエーコ先生楽しんで書いているのが伝わってくるお話でした。
    参考文献も読んでみたくなりましたが、難しそう…。

    • 猫丸(nyancomaru)さん
      「中世エッセンスがてんこ盛り。」
      うんうん。
      エーコの本はペダンティックで、知的好奇心が擽られます。
      「中世エッセンスがてんこ盛り。」
      うんうん。
      エーコの本はペダンティックで、知的好奇心が擽られます。
      2013/02/07
  • イカしたほら吹き野郎が、東の果てのそのまた果てにあるって言う伝説の神の国を求めるながいながーい旅のお話。

    そもそも旅に出るまでが意外と長くって、素敵なほらを吹きまくって、成り上がって、だらだらとどうでもいいような討論を繰り返しつつ、旅に出るのか出ないのか…的なくだりが割と続いたりする。歴史的なあれこれも交えて割と退屈なくだりもあったりする。

    でも一度12人のゆかいな仲間たちとの大冒険が始まってしまえば、もうそこからは、驚きと興奮の数々が次から次へと訪れるっていう至福の時間が約束される。

    幻想的な国々と異国的感性の人々、ポップでキュートな怪物たち、あの子とのメロドラマ、嘘で固めた宝物、そして、愛するべきものを守るための最後の闘い…。
    んで、このまま冒険押しで終わるかと思いきや、カラクリまみれの密室殺人の謎が解き明かされる衝撃のラストへと展開してく。

    つまり、歴史小説、青春小説、冒険小説、推理小説が、語り方を変えつつ、時間と空間をうまく飛び越えながら、横断的に成立してる。しかもそのどれもが、バウドリーノという一人のほら吹き野郎の愛とか友情とかにまつわる内面的なあれこれと密接に結びつきながら、一つの大きな流れを作ってて、伝記文学として華麗すぎるほど素晴らしくまとまってる。人の一生には、歴史も青春も冒険も、推理ですら欠かせないわけですな。

    とにかく、下巻に入ったらあっという間。最高ですじゃ。

  • フリードリヒの死の真実は偽りで、バウドリーノは無実の人間を殺しただけだった。生涯をかけて追い求めた聖ヨハネの王国は存在せず、聖杯は自分自身で捏造した偽物だ。
    バウドリーノがまだ幼かったころ、彼の師が言った通り、バウドリーノの生涯は美しい嘘に満ちたものになった。

  • まさに縦横無尽。こいつを楽しめる大人になれてよかった。

  • 2020/3/6購入
    2020/6/12読了

  • 人間の創造力と想像力をシニカルな視点で描きつつ、果たしてそれを書いている自分も後世の大捏造者とする作者。
    世界は同心円状に広がるメタフィクションかなのかも?と思わせる壮大なファンタジー。

  • ウンベルトエーコ 「 バウドリーノ 」中世ローマの司祭ヨハネ伝説のパロディー。「歴史は神が作るもの」というキリスト教的歴史観や神学論争(無神論、三位一体説)を批判?

    歴史は神が作ったものというキリスト教的歴史観の批判
    *バウドリーノが語る嘘(未来)が 現実になる=神が語る(またはイエスが語る)言葉が 現実になる
    *最後は 嘘が現実にならず 悲劇へ

    父と子の関係(神とイエスの関係)で物語が展開
    *フリードリヒとバウドリーノ、実父とバウドリーノ
    *バウドリーノと子、バウドリーノとニケタス

    神学論争の批判?
    *三位一体説(父、子、精霊)から 神を定義できない
    *神は目的なき意思〜存在する 存在しないとも言えない

  • 終わったかに見えたバウドリーノの旅は終わらず、聖杯の探索は闇に消え、聖ヨハネの国は東方に鎮座し続ける。

  • 下巻は、バウドリーノが司祭ヨハネの王国目指す話が中心となり、上巻と違って幻想的・空想的な雰囲気になる。そして、最後にコンスタンティノープルに戻り、上巻初めのニケタスに出会うところまで戻ってくる。

    「薔薇の名前」や「フーコーの振り子」と異なり、圧倒的な量の知識が繰り出される感じではなく、期待していたエーコらしさはなかった。冒険譚という色彩が強く、自分としてはそこまで好きにはなれなかった。

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著者プロフィール

1932年イタリア・アレッサンドリアに生れる。小説家・記号論者。
トリノ大学で中世美学を専攻、1956年に本書の基となる『聖トマスにおける美学問題』を刊行。1962年に発表した前衛芸術論『開かれた作品』で一躍欧米の注目を集める。1980年、中世の修道院を舞台にした小説第一作『薔薇の名前』により世界的大ベストセラー作家となる。以降も多数の小説や評論を発表。2016年2月没。

「2022年 『中世の美学』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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