元の文章がわかりづらいのか、翻訳がわかりづらいのかは不明だが、とてもわかりづらい文章。(後半の章に進むにつれ読みやすくなるので単純に翻訳のせいな気がする)ただ、読んでいると 直接の知識を提供される文章というよりは、その文章を読んで考えさせられることが多く、これこそが、文章の芸術?なのかもしれないと思わされる作品。
かなり分野的に偏りがあるのでおすすめするかというと・・・うーーーん・・・となる。
第1章
死を目前にすると、手法を前進させることより、過去の自分の馴染みのある手法を全て提示し、それぞれを行き来しながら一つの作品とする晩年の形式となった、ベートヴェン。あらゆる商業主義を徹底的に拒絶したシェーンベルク。一般への分かりやすさより作家の信念に固執した難解な晩年のスタイル
第2章
自らが生きている19世紀の流れを踏襲せず、あえて断ち切って18世紀の音楽スタイルを取り込み、その制限の中で自分の最上の表現をすることで、独特な晩年の作風となった、リヒャルト・シュトラウスの例。
第3章
コシ・ファン・トッテがモーツァルトのオペラで晩年の形式をもつ唯一の作品で、全てのストーリーの帰結は死によってもたらされる休息であるということ
第4章
ジャン・ジュネの晩年の作品は死を特別視しない。安定的なものではなく、アイデンティティを他者のアイデンティと戦わせ、組み込まれない、飼い慣らされもしない、爆発的燃焼に価値を見出したということ
第5章
ランぺドゥーサの山猫は 血筋でしか書けない貴族階級が没落していくシチリアの最後の貴族としてのありようを「わかりやすく」伝える晩年のスタイル
第6章
何の既存勢力(名門音楽大学)や門下にも属さず 聴衆や観客に感動を与えることを意識した(ポピュラークラシック)活動ではなく、常に独自の解釈による新たな創造に受容者を引き入れることを追求したグールド
第7章
さまざまな作家が出てくるが、晩年のスタイルとは必ずしも老齢の産物とは限らないこと。 自らの表現したいもののために、それまでのスタイルや、作品の受容者に評価されることを直接の目的とせず、それまでの自身や時代の表現レベルを超えた高次元のものを生み出すスタイル