人は愛するに足り、真心は信ずるに足る――アフガンとの約束

  • 岩波書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784000245012

作品紹介・あらすじ

オバマ大統領に送る平和へのメッセージ。戦乱と干ばつに苦しむアフガンの地で"命の水路"を切りひらく日本人医師の崇高な闘い。

感想・レビュー・書評

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  • 中村哲さん関係の本を読んだのはこれがはじめてである。講演を聞いたこともない。噂だけは聞いていた。立派な人だ、という噂である。医者なのに、アフガンに行って、人の命を助けるために、井戸を掘るようになった、ということも聞いていた。自衛隊派遣の対極にある人、という印象だった。

    2008年8月第一回目のインタビューが終わった直後にに、伊藤青年の死亡事故が起きる。中村医師は、日本人として一人残って用水路堀りの仕事に専念している。

    中村医師は、ペシャワール会という600万人の食料を保証するための事業を完成するためのNPO団体を運営するために、表立って発言している。しかし基本的には九州男児、あまりパフォーマンスは嫌いな性質だということがわかった。

    澤地久枝という一級のジャーナリストの聞き手を得て、立体的な中村哲像が浮かび上がってきていると思う。

    伯父が火野葦平で、彼は戦前に転向して「麦と兵隊」という従軍小説を書く。戦後火野は1931年の港湾ゼネストを背景にした「花と龍」という小説を書く。この中に、実は中村医師の父親勉も参加している。勉は日本共産党の傘下にあった全協に派遣されてその総指揮に当たったのだ。しかし、逮捕されてやはり一時転向した。母方の祖父は玉井金五郎、いわゆる川筋の顔役だった。……「革新」と「任侠」。そして「文学つまり思想」。この三つの系譜をみごとに受け継いだ人物が、中村哲という人物なのではないか。

    昨年6月図書館に予約して半年後にやっと読むことが実現できた。本来ならば、少しでも支援するために買ったほうがいいのだろうけど……。

    以下印象に残ったところをメモする。

    「(北朝鮮の拉致問題について)私はいま、家内の里の大牟田というところにいるんですが、あそこは何百人だか、何千人だか、強制連行で朝鮮人が連れてこられて何百人も死んでいます。そのことは皆、忘れているんですね。拉致という行為そのものは、国家的犯罪ですから、北朝鮮が悪くないなどととうことは一言も言いませんが、それ以上のことを日本はした。大牟田の炭鉱で数百人が死んでいて、一番労働条件の過酷なところに朝鮮人労働者は回されている。その合同葬儀がちようど、横田めぐみさんの拉致などを連日報道しているときにあったのです。在日の知り合いに、意見を聞いたら、「先生、それを言うと日本中から袋叩きにあいますよ」というのです。つまり、彼ら自身も自粛するような、このムード。これは戦時中のムードに近いものじゃないかと感じました。自分の身は、針で刺されても飛び上がるけれども、相手の体は槍で突いても平気だという感覚、これがなくならない限り、駄目ですね。」

    澤地「人の行動原理を律するという意味で、儒教というのは十分宗教的だとおっしゃいました。ご自身はクリスチャンでいらっしゃる。そのクリスチャンであることと、十分宗教的であるという意味での儒教的なものが、実際にパキスタンや、アフガニスタンで活動をなさるときに、ご自身の中でどのように生きているのか」
    中村「(略)私が馴染まされたのは、陽明学の「論語」です。(略)王陽明が考えるのは、実は、われわれの智識以前に事実があるのだと。その事実を感得するかどうかで、その人の徳の高さが決まるのだというのが、大体われわれが習った論語の読み方です。その「事実」は、イスラム教の中にもあるわけで、(略)だから「キリスト教の仲間だけで通用する言葉でなく、そのあたりを歩いている普通のイスラム教徒にもわかる表現で語ろう」ということも出てきます。」

    「マドラッサで学んでいる子供をタリバンというのですが、それはアラビア語です。単数形がタリブ、複数形がタリバンですが、マドラッサで学ぶ子供のタリバンと、政治勢力としてのタリバンは違うのです。その区別も良く分からずに「タリバンが終結している」というので爆撃して「タリバンを80名殺した」と新聞に載る。死んだのは皆、子供だったとかね。タリバン=過激思想の持ち主じゃないんですよ」

    澤地「日本の対アフガン政策のリアクションとして、一部の人にしろ、テロ行為を容認する人たちが、対象攻撃に日本を加える可能性が大きくなっている、既にそうなりつつあると言っていいですか」
    中村「次の世代はそうでしょうね。いま、残っている世代、大人の世代は、それなりの親近感をもってやってきましたけど、次の世代は日本人=欧米人という見方をせざるえないでしょう」

    一番多いとき24人の日本人スタッフがいたが、今もこれからもスタッフは一人つまり中村医師一人だと中村氏は言う。
    「(あとを引き継げる現地スタッフは)正直言ってこれからも育たないと思います。それは、やはりある人格を中心としたひとつのまとまりなので、どんな優秀な人がやっても、決して代役がきかないのです。」

    用水路は日本のそれが誰が作ったのかもわからないようにやがて名前は忘れられるという。
    「そうやって人の名前は忘れられる。しかし、そのものは残っていく。」

    中村「首都カブールに行きますと、東京銀座かおまけのきらびやかなアーケードができていて、何か起きないほうがおかしい。あれを見て、普通の正義感のある地元の人が、怒らない筈は無いと思うんですね。」
    澤地「それは石油をもとにした大金持ちがいるということなんですか」
    中村「いやいや、そうじゃないんです。国外からの援助で潤った政治家や商売人たちが、それを作っているんです。かたや餓死者が次々と出ているという状態、かたや、大金持ちが庶民では生涯できないほどの贅沢をしていて、それを外国の軍隊が守るという、この構図。これが崩れないわけがない。そのなかで、テロ特措法だのなんだの、むこうで聞いていると、トンチンカンなものを議論しているという気がしてならないです。」

    (国会での証言)
    アフガンの農村では復讐というのは、絶対の掟である。一人の外国兵死亡にたいして、アフガン人の犠牲はその百倍と考えていい。

    陸上自衛隊の派遣は有害無益、百害あって一利なし、というのが私たちの意見です。

  • 週刊ブックレビュー(5/15)佐高信さんがお薦めの一冊で紹介したものです。
    私にとって題名からして難しかったのですが、内容は高校生レベルに落として下さったということで、わかりやすいものです。

    アフガニスタンときくと、戦争や干ばつがあって、怖くて不衛生なところ、そして怖いイスラム教徒がいるところというイメージです。
    TVで流れてもろくに見ませんでした。

    今回、ここにハンセン病治療のためにきて、用水路を作るなどして
    25年間この地で活動する中村哲さんを初めて知りました。

    いかに中近東やそれに関わる国々について、知ろうともしないで偏見を持っていたかということを実感しました。

    私には彼のような活動はできそうもないけど、この本を読んだことで何かに生かせればいいなと思いました。

    本書より
    >日本がアメリカにしたがって、「対テロ」戦争参加のための名目として、集団自衛権などと、憲法を骨抜きにしようとするぎりぎりの時点で、中村医師は
    武力不要(無用、有害)丸腰の貢献こそという
    アフガン平和復興のモデルを一つ作り上げた。
    「いのちの水」でよみがえる「復興アフガン」である。

  • 中村哲氏(1946~2019年)は、1984年にパキスタンのペシャワールに赴任し、ハンセン病の治療やアフガニスタン難民の診療に従事、その後、長年、戦乱と旱魃に苦しむアフガニスタンで、井戸・水路建設などの復興事業を行ってきた医師。NGO「ペシャワール会」現地代表。2003年にマグサイサイ賞、2018年にアフガニスタンの国家勲章を受章。2019年10月7日には、アフガニスタンでの長年の活動が認められ、同国の名誉市民権を授与された。また、2014年には自伝『天、共に在り―アフガニスタン三十年の闘い』で城山三郎賞も受賞している。
    2019年12月4日、アフガニスタン東部のジャララバードにおいて、車で移動中に何者かに銃撃され、亡くなった。享年73歳。
    本書は、ノンフィクション作家の澤地久枝(1930年~)が、中村医師の生い立ちから、アフガニスタンでの活動までをインタビューし、2010年に発刊されたものである。
    私は、長年、世界の紛争地と国際支援・協力の現場に関心があり、本書も出版直後の2010年に読了し、『天、共に在り』(絶版になっていたが、氏の死去後、復刊されたようだ。ただ、書店では見かけない)も読んでいるが、国際支援・協力に携わる多くの日本人の中でも、稀有な存在であった中村医師が銃撃され、亡くなられたことには強い衝撃を受けた。
    中村医師は、パキスタン・アフガニスタンに赴任当初、医師として患者の治療にあたっていたが、医学の恩沢から完全に見捨てられている現地の村々を歩き、わが目でその惨状を確かめるに至り、遂には白衣と聴診器を手放し、「百の診療所より一本の水路を」と現場で井戸掘り、水路建設の陣頭指揮をとることになる。以来現地人と協力して掘った井戸は1,000本を超え、1万6,500ヘクタールの農地を潤した。
    また、現地に深く根差した中村医師が、見、聞き、感じ、触れた紛争地の状況、そこで生きる人びとの生活というのは、関係国の政府の発表や大手メディアの報道は言うまでもなく、危険を伴いつつ現地に潜入し、我々に貴重な情報をもたらしてくれるジャーナリストたちの取材とも異なるものであった。
    そうした中村医師だからこそ、現地の人びとに深く愛され、心から信頼されたことは間違いなく、その存在は、日本よりもアフガニスタンでより多くの人びとに知られ、その死は、より多くの人びとに悼まれたのだ。。。
    現地のために尽くし、それによって名誉市民権まで授与されたことが、過激派勢力のターゲットとなった原因なのだとすれば、こんな皮肉・理不尽なことはない。
    世界のあらゆる人びとが、「人は愛するに足り、真心は信ずるに足る」という思いを共有する日が来ることを願うばかりである。
    (2010年9月了)

  • 『あれも必要だ、これも必要だと言っていると、ほんとうに何もできない。しかしまあ、神というか、天というか、おそらく自分にはできないことまでは強制なさらないだろうというのが、私のささやかな確信で、「これだけやったから許してください」と言うしかないですね。それでいいんじゃないかと思いますね。』

    これが、25年間もアフガニスタンの人々に寄り添った人の言葉だろうか。なんという謙虚さなんだろう。

    アフガニスタンの山岳地帯で誰もしないからと、ハンセン病の治療に始まり、水がないからと井戸を掘り、食べ物がないからと畑を耕し、やがて重機を扱いながら二十数キロの水路を開き、砂漠化した大地を緑に変え、今や六十万人ものアフガン人がそこで暮らすようになっている。

    テロとの戦いという名目で何万人もの兵隊を送り続け、無実の人々を殺戮し続けているオバマにノーベル平和賞が贈られるような世界を、子供たちに見せ続けていいのか。中村先生の偉業こそ、世の中にもっと知らしめるべきだと、僕は思う。

  • 「九条を守る会」の澤地久枝さんが、アフガニスタンで井戸を掘るお医者さん、中村哲さんにインタビューしています。中村さんの他の著書は、アフガニスタンの現場報告が主で、彼の個人的な生い立ちや家族のことはわかりません。このインタビューは、そこを聞き出しているところが、ぼくには嬉しかった。
    https://plaza.rakuten.co.jp/simakumakun/diary/201912140000/

    • kuma0504さん
      相変わらず素晴らしい書評だと思います。ブクログは長い文章でも十分入りますから、そのままここに載せたら良いと思います。因みに、この本に関しては...
      相変わらず素晴らしい書評だと思います。ブクログは長い文章でも十分入りますから、そのままここに載せたら良いと思います。因みに、この本に関しては、私も2011年10月に、此処に書評を載せています。
      2019/12/14
  • 小さな体で医師としての人を根底から愛し信じて、アフガンに身をうずめたすごい人だった。生半可な心ではここまでできないだろう。なくなってからも表に出てこない奥さん家族も素晴らしい人たちなんだろう。中村さんは普通の九州女だと言っているがそれが一番難しいのではないか。日本にいればドクターとしてそれなりの生活が約束されていたのに、アフガンに火中の栗を拾って水路を作るなんてよほどの意思がないとできない。クリスチャンとして汝の敵を愛せよの心ではなかったのか。

  • ノンフィクション作家の澤地久枝さんが徹底した事前調査と、対談における見事な切込みで、中村哲氏の人となりや活躍を伝えてくれる。アフガン近辺で25年(当時)の長きにわたり、医療や灌漑に取り組んできた中村氏の頭の下がる活動は心を打つ。氏はアフガンの灌漑に命を懸けて取り組んできたのだが、脇目も振らずというのではなく、昆虫と山と家族を日々愛し、本当に人間的な謙虚な人であった。周りの人たちへの配慮も驚くほど。視点は偏らず全体をよく見ている。「人は愛するに足り、真心は信じるに足る」を地で行った人だ。〝あとがきに添えて”:『もし現地活動に何かの意義を見出すとすれば、確実に人間の実体に肉迫する何ものかであり、単なる国際協力ではなく、私たち自身の将来に益するところがあると思っている。』

  •  作家・澤地久枝さんによるインタビュー。中村哲医師は、長年アフガニスタンで活動を続けてきた。医療活動、そして井戸掘りや水路建設。中村さんの帰国時に行われたインタビューは、伊藤和也さんが拉致殺害された事件の前後の時期で、そのことにもふれてあった。アフガン人の職員も5人殉職されたそう…。プライベートな一面、伯父・火野葦平さんや小説のモデルとなった祖父のこと、10歳で亡くなった息子さんのことなども。
     寺子屋であり地域の共同体の要であるマドラッサ、マドラッサで学ぶ子どもたちのことをさすタリバンという言葉。「タリバンが集結している!」と爆撃して、たくさんの子どもが亡くなったということもあったそうだ。

  • 三葛館一般 289.1||NA
    アフガニスタンで、医療活動をしながらその限界を痛感し、1400本の井戸掘りや水路建設など、命がけの行動を起こしてアフガン復興の道筋を示してこられた中村哲医師と、ノンフィクション作家、澤地久枝さんとの対談集です。
    「中村医師の活動のなにか役に立ちたい」との澤地さんの思いで企画された本書の発行は、中村医師があとがきに綴られた、「もし現地活動に何かの意義を見出すとすれば、確実に人間の実体に肉迫する何ものかであり、単なる国際協力ではなく、私たち自身の将来に益するところがあると思っている。人として最後まで守るべきものは何か、尊ぶべきものは何か、示唆するところを汲んでいただければ幸いである。」とのメッセージに、若い人が「人をタスケルということ」の本質を学ぶことができる、奥の深い一冊であることを感じます。

    和医大OPAC → http://opac.wakayama-med.ac.jp/mylimedio/search/book.do?target=local&bibid=57183

  • 2011年49冊目。


    25年間アフガニスタンに寄り添ってきた著者から伝わる圧倒的なリアリティ。
    それは、メディアからだけでは分からない(更に言えば誤解する)現地の現状でもあり、
    生涯をかけてきた者の理想主義に陥らない「できること」への情熱と「できないこと」への謙遜でもある。

    今の日本への言及(危機感)も多数あり、インタビュー形式で読みやすいのでぜひ読んで欲しい。

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著者プロフィール

澤地久枝(さわち・ひさえ):1930年、東京生まれ。その後、家族と共に満洲に渡る。ノンフィクション作家。1949年中央公論社に入社。在社中に早稲田大学第二文学部を卒業。著書に『妻たちの二・二六事件』『火はわが胸中にあり』『14歳〈フォーティーン〉』『昭和とわたし』など多数。『滄海よ眠れ』『記録ミッドウェー海戦』でミッドウェー海戦を克明に跡づけるとともに、日米の戦死者を掘り起こした功績により菊池寛賞受賞。2008年朝日賞受賞。

「2023年 『記録 ミッドウェー海戦』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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