- Amazon.co.jp ・本 (160ページ)
- / ISBN・EAN: 9784000245098
作品紹介・あらすじ
パリのカフェの小さなテーブルで、ふと耳元によみがえった亡き父の声。それは夢で聴いた声であり、そこからある物語が生まれた-。世界文学の旗手として注目される著者が、自作を手がかりに創作の契機を綴る。フィクションと現実を行き来するように語られるエッセイ。
感想・レビュー・書評
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このエッセイは、ほとんど小説だ。つまりなんらかの材料が与えられて、それを加工して提出されたものだ。自伝を書くのは簡単だけれど、自作について語るのは容易ではない。そうしてタブッキは、その両方とも避けているように思われる。書かれているのはそれぞれ完結している文学的だったり叙情的だったりする断片で、その元になった小説の雰囲気を匂わせてはいる。これはタブッキの小説を読んだ後に、トリビア的なものを求めて読むというよりは(そういう要素が含まれているのは事実だけれど)新しくタブッキを読もうとする人のための紹介小説として読むのが良いのかもしれない。
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文学
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僕は小説書いたことないけど、自分の作品について語ることにも手探り状態だったり、作品の中で真実と想像が混ざりあうような感覚がすごく好き。タブッキが創造した小説の人物に対して、実際にいるような感覚で語る感覚も良かったなぁ。
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自分の作品について書いたということになっているけれど、それだってほかの人の本について話すための口実にすぎない。はるか遠く旅するとき、心の鞄のなかに、自分でも知らないうちにしのばせて持ち歩いている本の数々。何でもない一日の朝、窓を開ける。自国とは違う国にいる。予想もしなかったことが起こる。すると突然、見えない旅行鞄から記憶が抜け出してきて、理解できなかった風景が理解できたような気になる。
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自作について語るという体裁を取っているのだけれど、だんだん現実と想像の区別がつかなくなって、タブッキの小説世界が続いているかのように思われてくる。それがなんだか心地よく、またタブッキの小説をいろいろと読み返したくなった。
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タブッキが自らの作品を手掛かりに、創作のきっかけや在り方を綴るエッセイ。決して「自伝」ではないが、読み進めるにつれて「他人任せの自伝」という言葉の意味が明らかになってくる。そして、「あとづけの詩学」の意味も。
エッセイであっても、タブッキの手にかかると「どこまでが「現実」でどこまでが「虚構」なのか」わからなくなってくる。そして、読みこめば読みこむほどに、私たちの生きるこの世界、私たちの人生そのものもまた、「現実」と「虚構」のどちらであるのかを「寸分たがわず測る」ことが難しいように思われてくるのだ。
それでも、エッセイという形式であることによって、タブッキの肉声が伝わる部分がある。ファンとしては、そこに触れられることはとてもうれしい。いまだ邦訳されていない近年の作品群が、須賀敦子さんに続く名翻訳者によって訳されるのを心待ちにしている。 -
タブッキが自作小説について語っております。収録されているタブッキの作品は、邦訳作品も未邦訳作品も(一応)読んでいるんだけど、どちらかと言えば、未邦訳作品の創作契機や批評のほうが読み応えがあったかな。「si sta facendo sempre più tardi」の訳が少しひっかる・・・けど、それしかないのかなやっぱり。本書はおそらくノーベル文学賞受賞を見越してたんだろうけど、残念な結果でしたね。
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タブッキが、自作小説について語った批判的エッセイ集だとか。トリッキーです。