文学について

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レビュー : 3
  • Amazon.co.jp ・本 (456ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784000246569

作品紹介・あらすじ

幼少期から抱き続けた作家への夢を、小説『薔薇の名前』によって実現したエーコにとって、物語を書くことと、学術的な理論書を著すことは、どのような関係にあったのか。二〇〇〇年以降、批評と創作の双方に軸足を置きながら、自らの集大成に向けて歩み始めたエーコが、文学についての思索をまとめ上げた渾身の一冊。

感想・レビュー・書評

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  • ウンベルト・エーコが48歳で小説家デビューした理由 | NHKテキストビュー
    http://textview.jp/post/culture/34347

    文学について - 岩波書店
    https://www.iwanami.co.jp/book/b527928.html

  • 『二重のコード化の例は、今日ではたくさんの広告でも見ることができる。ある階層においては、ごく少数の映画作家にしかわからない実験的なテクストのように構成されているにもかかわらず、エロティックな状況のほのめかし、有名人の顔の魅力、編集のリズム感、背景の音楽など「ポピュラーな」モティーフによって、あらゆる種類の視聴者を惹きつける』―『間テクスト的アイロニーと読みのさまざまなレヴェル』

    ロドニー・アッシャーが監督した「Room 237」という風変わりな映画がある。全編、スタンリー・キューブリックが撮った「シャイニング」に秘められたメッセージを読み解こうする人々の説を紹介するドキュメンタリーだが、惨劇が起こるホテルの構造の矛盾を指摘してその意図を読み解いたり、アポロの月面着陸が捏造であることを秘かに伝えるものだと解釈したり、映像を丹念に読み解いてそこにある表象をホロコーストであるとかミノタウルスであるとか解釈する人々が登場する。監督自身はそれらの主張を「My personal take on it is, for one, I don't think it's nearly as visionary as any one of these folks have found(私の個人的な見解は、(映画の中の表象は)どれ一つとして、これらの人々の誰もが見つけたほど幻想的なものではないと思います)」と、それらの解釈とは距離を置いているとの立ち位置のようだけれど、本当にそれを幻想(visionaryには「洞察力のある」という意味もありますが)と言ってしまって良いのだろうか。ウンベルト・エーコが自らの小説や文学批評について語る文章を読むと、その判断は怪しくなってくる。

    テキストの読みについて語った文章の中で、二重のコード化、という技法についての解説が出てくる。曰く、物語には、文章の文字通りの意味を逐語的に読み取って立ち上がらせる物語と、背景や引用されている別のテキストを読み取りその引用の意味するところを読み解いた読者に向けたメッセージというものがある、と。エーコには有名な「薔薇の名前」について自ら解題した「「バラの名前」覚書」という自著もあり(これを読んだ時には知識の壁の高さに愕然としたものだが)同じような解説が為されているけれど、本書に収められた「どのように書くか」という文章でも、エーコの場合、描かれる世界についての緻密な設計に基づいて小説が構築されていること、どんな些細なことにも(例えば、二つの建物の同じ階を繋ぐ渡り廊下にはどの位の段差があるか、等)反映されるべき詳細があると解説する。また、登場人物のプロフィールから、その志向、時代背景や文化的背景、語るべき方言に至るまで考えられていて、なおかつ名前一つとっても何かを意味しないものがないことも告げられる。

    そうなると、文学的素養の多寡の差に加えて、原文のイタリア語で表現された文体の違いを読み取れない翻訳ではエーコの面白さは到底理解できないということにもなりかねないが(ある程度、その考えは正しいとも思うが)、読者が記号論的意味合いや文学的仕掛けを知らずとも読み取ってしまうニュアンスというものも確かにあるともエーコは語る。もちろん、作家にとっての良き読者となる為には、逐語的解釈の「レヴェル」から作家の意図を読み取れる「レヴェル」になることが求められていることは間違いないのだろうけれども。だが、時には行き過ぎた読み、つまり作家が意図した以上の意味を読み解いてしまう読者もいる。

    『つまり、いたるところに深層の意味が隠されている。(中略)聖性だか邪(よこしま)な無意識だか知らぬが、あたかもそうしたものがわたしたちに例外なくつねに二次的意味なるものに従って発話させているかのようで、わたしたちの言うことなどすべてどうでもよいことのようにすら思えてくる。なぜなら、その理屈に従えば、わたしたちの言説の本質はどこか他処にあることになり、それがしばしば見過ごされる象徴のなかということになるからだ』―『象徴(シンボル)について』

    そんな行き過ぎた読みに半ばうんざりしたようなことを表明する一方で、テキストの「開かれ」とはそうしたものであることも、この知の巨人は認めている。自著に対するそのような作者の思ってもいなかった「事実」の解釈についての正誤の判定を求められた時、エーコは判定を下すのではなく、その読みもまた「禁じられたものではないと認め」ている。ただしその読みが(実在する)テキストに基づいているならば、との条件付きで。我々が無根拠に信じていること(例えば、中世以前の人々は世界が平板であると信じていた、という言説)を「テキストに基づいて」読み解(ほど)く集大成とも言える大著作「異世界の書 幻想領国地誌集成」(少々値が張りますが手元に置く価値のある、何よりも多くの美しい図版に溢れた本です)をエーコは著しているが、その中で「ダ・ヴィンチ・コード」は「99%真実です」と主張するダン・ブラウンに対して反論する方法も(第14章 レンヌ・ル・シャトーの捏造)、まさに(一次資料に近い)テキストに基づいてのことだ。

    何故、人はあらゆるものに表象を見出しその意味を物語るのか。これについてのエーコの説明はとても判り易い。以下は中世が如何に象徴に満ちた世界であったかを語るものだが、中世を現代に置き換えて読むことも可能だ。

    『言葉を換えるなら、中世の世界は象徴に不安を抱き、中世の人間は熊や黒豹や薔薇や樹木を前に戸惑い、震え、畏怖していた。(中略)神学はおろか、動物寓意譚までもが躍起になってそうした象徴を解読し、隠喩(メタファー)や寓意(アレゴリー)へと変容させることで、それらの持つ気まぐれさをどうにか抑え込もうとするのである』―『象徴(シンボル)について』

    不安を解消するために物語る、つまりは判り易い話に変換して解釈を試みるのは、繰り返すけれど、中世の人々だけではないだろう。陰謀論や都市伝説などがまことしやかに語られ、多くの人の関心を引き付けてしまうメカニズムも全く同じものだからだ。「ヌメロ・ゼロ」というユダヤの議定書にまつわる小説をエーコが書いた意図と、本書に収められている「偽りの力」を記した意図は同根で、人が如何に騙され易いか(信じたいものを信じてしまうか)について警鐘を鳴らすことだったのだなと聞き取った。

    『実のところ教養ある人間の第一のつとめは、日々「百科事典」を書き換えるために用心深くありつづけることなのですから』―『偽りの力』

  • 文学について
    著作者:ウンベルト・エーコ
    発行者:岩波書店
    タイムライン
    http://booklog.jp/timeline/users/collabo39698

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著者プロフィール

1932年イタリア生まれ。ヨーロッパを代表する作家・記号学者。小説に、『薔薇の名前』『フーコーの振り子』『プラハの墓地』『バウドリーノ』など、エッセイに『ウンベルト・エーコの世界文明講義』など多数。

「2021年 『ウンベルト・エーコのテレビ論集成』 で使われていた紹介文から引用しています。」

ウンベルト・エーコの作品

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