文化政治としての哲学

制作 : 冨田 恭彦  戸田 剛文 
  • 岩波書店
4.25
  • (1)
  • (3)
  • (0)
  • (0)
  • (0)
本棚登録 : 28
レビュー : 3
  • Amazon.co.jp ・本 (290ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784000246651

作品紹介・あらすじ

人間のすべての活動は、現世における人間の幸福をより増進させるかどうかという基準に従って評価・選択される暫定的なものであり、人知を超えた実在との接触により真理を得るという特権的な活動などはありえない。哲学もこうした暫定的な活動の一つである。この視点から著者は、咋今の哲学に対して鋭い批判的診断を行う。哲学はアカデミックに自己閉塞すべきではなく、自然科学を含めた芸術・文学・宗教・政治など他の人間活動との相互交渉を深めることで、人間や世界に関する新たな語彙や語り方の提言を行う「文化政治」としての役割を取り戻すべきであると著者は主張する。プラグマティズムの立場から現代の哲学に根底的な問いかけを行い続けたローティ最後の論文集。

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
  • 1996年から2006年までの論文。
    リチャード・ローティ(1931-2007)
    哲学はアカデミックに自己閉塞するべきではなく、自然哲学を含めた芸術・文学・宗教・政治など他の人間活動との相互交渉を深めることで、人間や世界に関する新たな語彙や語り方の提言を行う「文化政治」としての役割を果たすべきであると著者は主張する。

    もくじ
    Ⅰ プラグマティズムから見た宗教と道徳
    文化政治と神の存在の問い/ロマン主義的多神教やとしてのプラグマティズム/誠実な誤り

    Ⅱ 文化における哲学の場所
    偉業・深遠・有限/過渡的ジャンルとしての哲学

    Ⅲ 分析哲学の最近の争点から
    プラグマティストの目から見た現代の分析哲学/自然主義と静観主義/ヴィトゲンシュタインと言語論的転回/全体論と歴史主義/カント対デューイ──道徳哲学の昨今の状況

  • 古代ギリシア以来の哲学の最大のテーマである人間の幸福を論じた最後の論集。象牙の塔から飛び出し、様々な人間活動との交渉の中で、提言としての「文化政治」を具体的に論じた一冊。プラグマティズムの豊かさと踏み込みに驚く。

  • よかった!
    ホーリスティック、多元寄り。
    カントが徹底的にたたかれている。この人はデューイが好きらしい。アイザイアバーリンが出て来たのもまた、好きな感じだった。

    色んな哲学者、思想家をジャンル分けしているので派生学習しやすい。

    プラグマティズムの起源を功利的ロマン主義と置き、ウィリアムジェイムズ、ジョン・デューイ、ニーチェ、ベルクソン、ポアンカレをあげている。
    功利主義のルーツはダーウィン、スペンサー
    ロマン主義のルーツはエマソン、シェリング、ヘルダーソン

    また、現代科学は原子論と全体論に二分している。
    原子論/チョムスキー、ピンカー、フォーダー
    :心や言語がどのように動くか強く説明したい人たち

    全体論/ヴァンサン・デコンブ、ジェニファー・ホーンズビー、ヘレンスチュワード、アーサーコリンズ、リンベイカー
    :分断された理解の不可能生、合理性は社会の実践の一部


    哲学の二潮流/カントvsヘーゲル

    カント〜フッサール、ラッセル〜分析哲学
    ヘーゲル〜グリーン、デューイ〜ポストクーン派/イアンハッキング、アーサーファイン、ブリュノラトゥール

    実践的アイデンティティ:
    何に関して、「それをするぐらいなら死んだ方がましだ」とおもうか。(歴史的、文化的に入手されるもの)かなり複数存在。


    めも

    アネット・バイアー
    ウィルフリッド・セラーズ

    実践に違いをもたらさないものは哲学に違いをもたらさない。

    文化政治
    ある人間集団どうしが互いに対して持っている寛容の度合いを増大させる。
    ー差別用語の放棄
    ー話題すべてを捨てる
    人種、カースト、「彼の祖先は誰か?」という問いを捨てる。

    彼の家系ではなく、現在の行動によって判断されるならこの世界はもっと良いものになるだろう。

    ジェイムズ:何が寛大過ぎ、何が制限しすぎなのかという問いそのものが実は文化政治、
    できるのか?であるのか?べきか?の区別。

    実在する、真である、というのはものや信念がうまくいき、採算がとれ、役に立つとわかり、そのため容認された社会的実践の中に組み込まれた時、それにわれわれがかける褒め言葉。


    博識で思慮深く暇のある人の強み。
    数多くの実践的アイデンティティーがあることに気づいていること。

    ああ、この方向性目指そう。


    再読。

    分析哲学・大陸哲学という対立のそれぞれの陣営に属する多くの人々が、ゴドーを待ちながら多くの時間を費やしている。

    精神的指導者を持つことは、われわれ哲学者がなすべき、全く申し分のないことである。それは人間の想像力がもう一度燃え上がるのを待つことであり、これまで思ってもみなかった話し方をそれが提案するのを待つことである。知識人が哀愁なしに生きられないのと同じ用意、彼らは精神的指導者なしには生きられない。しかし、彼らは聖職者なしに生きることができる。自分の権威を、人間ならざる何かとの特別な関係ー深い淵を超えていくための正しい道を見つけることによって得た関係ーに由来すると説明するような精神的指導者は、彼らには必要ではない。

    物事の仕組みをわれわれに教えるのは形而上学ではなく、経験科学であると知識人が確信するようになると、哲学は二つの選択肢のいずれかを選ぶことになった。一つはヘーゲル、精神史と文化批判とを組み合わせたもの(ハイデガー、デューイ、アドルノ、シュトラウス、アーレント、バーリン、ブレーメンベルク、ハーバーマス)主に非英語圏の哲学界で盛ん。

    もう一つはカント。フレーゲ、パース。

    人が何を問題だと思うかは人が何を重要だと考えるか、による。人が何を重要と感じるかは、人が用いる語彙に大きく依存する。それゆえ、文化政治は多くの場合、馴染みの語彙の使用を控えるよう迫る人と、旧来の話し方を擁護する人との闘争。(言葉の問題か?)

    専門化は全体論者よりも原子論者を優位に立たせ、従って非表象主義者よりも表象主義者を優位に立たせる。言語や思考の基本的構成要素についての理論、および、それらの構成要素がどのように組み合わせられるかについての理論を手にする哲学者は全ては文脈に対して相対的であると言う哲学者よりも体系的であるように見え、従ってより専門的であるように見えるから。

    大陸哲学と分析哲学の大きな対立は歴史主義と反表象主義が英語圏の哲学者よりも大陸の間で広く行き渡っているから。方法の違いではなく、実質的な哲学的見解が違う。

全3件中 1 - 3件を表示

プロフィール

リチャード・ローティ (Richard Rorty)1931年生まれ。元スタンフォード大学教授。2007年没。

リチャード・ローティの作品

ツイートする